別離・再会
「ミーナさん、ミーナさん」
遼平の呼ぶ声で目が覚めた。見覚えのある部屋。そうだ、ここは謎の部屋、思わず体に手を当て確かめた。裸じゃない、服を着ている。あのTシャツ、血は付いていない。
「遼ちゃん、どこにいるの」
「よかった。やっと届いた」
「何、どうなってるの。私、謎の部屋にいる。でも服を着てる。遼ちゃんは? 遼ちゃんはどこにいるの。なんで声だけが聞こえるの」
「俺、どうも別の世界に来たみたいです。こっちにもミーナさんがいます」
「え!」
「俺、一カ月くらい前にこっちに来たんです。アルカディアに行こうとしたら、アルカディアがないんです。ユートピアというレストランになっていました。中に入ってみたら、あかりさんもマスターもいませんでした」
「そんな、そんなことが……」
「俺、ずっとミーナさんに呼びかけてました。朝起きたときと寝る前、一時間ずつ。でも反応なくて、でも会いたくて、ミーナさんの高校に転校したんです。そしたら、ミーナさんがいたんです」
「……それで、どうしたの。まさか、いきなり抱きついたりしてないよね」
「はは、しちゃいました。ミーナさーんって」
「バカね。突き飛ばされたでしょ」
「さすが、ご本人、その通りです」
「どんな恰好で抱きついたの」
「セーラー服です」
「え、学校が認めたの?」
「はい、想定問答は状況が違ったので、使えなかったんですが、ミーナさんに教えてもらったトランスジェンダーってことで認めてもらいました」
「そうなんだ。それで、そっちのミーナともうエッチしたの?」
「まさか。毎日話しかけて、やっと一昨日から一緒にお弁当食べるくらいになったところです。祐美さんも一緒ですけど」
「祐美と……。私は? 私はどうすればいいの。遼ちゃんに会いたい。私、そっちのミーナに嫉妬してる」
「ミーナさん……、今、謎の部屋にいるって言いましたよね」
「うん」
「だったら、今VRに繋がれているんだと思います。遼平さん、未来の俺がきっと迎えに行きます。もう少しの辛抱です」
「嫌よ。私は遼ちゃんがいい。だって、あんなに楽しいことや、怖いことも一緒に体験した遼ちゃんじゃなきゃ嫌。お願い、戻って来て」
美菜は泣きながら言った。
「ミーナさん、泣かないで。ミーナさんが泣いたら俺も悲しい」
遼平も涙声で答える。
「でも、嬉しいです。そんなにミーナさんに想われて。遼平さんも俺なんです。遼平さんも同じように愛してあげて」
「できない。だって、遼平さんは知らないでしょう。宝石の一日も観覧車もナポリタンの奇跡も。私を助けてくれたことも、動けない私をお風呂に入れてくれたことも」
美菜は泣き崩れた。
「だから、だからそれを全部話してあげるんです。ミーナさんが、謎の部屋のことを全部俺に話してくれたように。女装したことや、観覧車の中でのキスや想定問答、コウノトリさんで大笑いしたこと、最後に角刈りの大男と力を合わせて戦ったことも全部話すんです。そうすればそれは遼平さんの記憶になります。遼平さんも俺ですから、同じ立場になればきっと同じことやってたはずです」
「でも、でも……、それでも遼ちゃんがいい。お願いよ。戻って来て」
美菜は泣き崩れながらも思っていた。きっと遼平はもう戻れない。遼平はパラレルワールドにいる。そこで肉体を得た以上、もうこちらには戻れない。わかっていたが認めたくなかった。
「泣かないで、ミーナさん。ミーナさんに泣かれると俺も…。俺もほんと言うとミーナさんに会いたい。俺をこんなに愛してくれるミーナさんを思いっきり抱きしめたい」
そう言って、遼平は泣き出した。声を上げて泣いている。
「遼ちゃん……」
美菜も泣いた。泣きながら思った。これは別れの儀式なんだ。一緒に泣きながら覚悟を決めているんだ。
「俺、ずっと泣いてたんです。ミーナさんに会いたいって。こっちに来て、ミーナさんもあかりさんもマスターもいなくて、俺、ひとりぼっちになったようで……。俺も戻りたいです。ミーナさんに会いたい。でも、戻り方がわからない」
遼平は泣き続けている。
「遼ちゃん……、そうだったんだ。つらかったね」
「はい、だから、こっちのミーナさんに会いに行ったんです。でも、こっちのミーナさん、きついんです。なんかぎすぎすしてて。でも、見た目はミーナさんそのものだから、つい抱きついちゃうんです。その度に突き飛ばされてます」
「バカね。私は男が大っ嫌いって言ってたでしょう。遼ちゃんが男だってわかってるんでしょう」
「はい、名まえが遼平ですしね。心は女だって言ったんですけどね。だったらなんで俺とか言うんだって言われちゃいました」
「そうね、遼ちゃんのこと知らなければ、そう思うかもね」
「だから、俺、毎日ミーナさんの教室に行って、俺とミーナさんの物語を話してるんです」
「遼ちゃんと私の物語……」
「あ、最初は遼平さんとミーナさんの物語ですけど、祐美さんと一緒に聞いてもらっています」
「祐美が……、祐美は面白がって聞いているでしょう?」
「はい、祐美さんには受けまくっています。だけど、ミーナさんは仏頂面で、迷惑そうな顔で、たまにめげそうになりました」
「そうなの? ごめんね。昔の私は男が嫌いでどうしようもなかったの」
「でも、そんなとき、祐美さんが俺の教室に来て、教えてくれたんです。ミーナさんは俺が来るようになってから、随分表情が柔らかくなったって。あんな顔してるけど、俺の話を楽しみにしてるって。そして、ミーナには君が必要だって言ってくれたんです」
遼平は再び泣き出した。
「そう、祐美が」もらい泣きしながら美菜は言った。
「俺、嬉しくてわんわん泣いてしまいました。クラス全員がいる中で。祐美さん、ありがとうって」
「祐美らしいな」
「だから俺、頑張って話してます。それで、ついにミーナさんに笑ってもらったんですよ」
「ん、何だろう。コウノトリさん?」
「まだそんなとこまで行ってません。遼平さんです。大家さんの話」
「ああ、大家さんの顔を見たら、しぼんだって話ね」
「はい、祐美さんには大うけでした。ミーナさんは『下品ね』とか言ってましたけど、笑いを堪えてる感じでした。でも、『はずせるものならはずしたい、こんな変なもの』には、声を出して笑ってました。祐美さんと一緒に手を叩いて大笑いしてくれました」
「そう、そうなのね。よかったね」
遼平はもう覚悟を決めている。たくさん泣いて、吹っ切って新しい生活を始めたんだ。祐美に失恋して、教師に強姦されて、ボロボロになった美菜を救おうと頑張っている。
その時気づいた。自分もそうだった。ボロボロになって、ガチガチに固まった心を、謎の部屋の遼平が溶かしてくれたんだ。
「だから、ミーナさんも、遼平さんに話して欲しいんです。俺とミーナさんの物語を」
「うん」
「ミーナさん、もし俺がまだそっちにいて、でもミーナさんとの記憶を失くしてたらどうします」
「それは……そうだね、遼ちゃんと私の物語をひとつひとつ聞かせてあげる……、そうか、それと同じことなんだね」
「そうなんです。遼平さんは俺なんです。未来の俺。ただ記憶がないだけなんです」
「わかった。遼ちゃんも頑張ってるし、私も頑張らないとね。でも、やっぱり寂しい。こんなことなら、もっとたくさんエッチしとけばよかったね」
「え!いや、その、えーっと……そうですね」
「遼ちゃん」
「はい」
「そっちのミーナとたくさんエッチするんだよ」
「いやだ、ミーナさん、エッチ」
「あはは、それ、私の台詞じゃない」
「あ、ミーナさんの笑い声が聞けた」
遼平も笑っている。
「ミーナさん」
「ん、何」
「ミーナさんの言った言葉で、俺が一番好きなの何だかわかります」
「んー、なんだろう。あ、あれかな。大好きな遼ちゃんとセックスしちゃった」
「ああ、それもいいですね。でもそれは俺が最初に言ったんですよね。もしミーナさんが先に言ったのなら断トツ一位でした」
「そうなの? 残念。なんだろう。わかんない」
「コ、コウノトリさん、ご、ごめんなさいです」
「えー、それ? なんでそれなの」
「この言葉を思い出すと、その時のミーナさんの顔も思い浮かぶんです。涙流しながら大笑いしてる顔を。かわいくて大好きなんです。胸がキュンキュンしちゃうんです」
「そうなの? 私も遼ちゃんの笑ってる顔好きだよ。かわいくてかわいくて大好きだよ」
「ミーナさん、……顔を、…さんにも……てくだ…」
突然遼平の声が途切れがちになった。
「どうした、遼ちゃん。よく聞こえない」
「……い、ミー……聞こ………さーん」
「遼ちゃん、遼ちゃん。もう少し話したい。待って、お願いよ」
「ミー……ありが………楽し……ほんと……ました」
「ほんとに、ほんとに楽しかったね。私の方こそ、ほんとにありがとう」
それきり、遼平の声は聞こえなくなった。
美菜は泣いた。遼平との楽しかった思い出が、走馬灯にように心に浮かぶ。それを思うと涙が止まらない。
「遼ちゃん、遼ちゃん」と、声を上げて美菜は泣いた。
遼平とはもう会えない。それは確実なことのような気がする。遼平はおそらく死んだのだ。死んで魂の存在になってパラレルワールドに旅立った。人が来世と呼んでいるのは、パラレルワールドなのかもしれない。
だったら私はどうなったのだろう。背中を刺された。角刈りが急所をはずしたと言っていたから、致命傷ではないかもしれないが、出血多量で死んでいるかもしれない。
その時、郁美のことに思い当たった。郁美は角刈りに脅されて美菜を呼んだ。おそらく、美菜がドアの鍵を開けたときに、角刈りが郁美を刺して、アパートの中に突き飛ばしたのだろう。だとしたら、郁美は生きてはいない気がする。動いていない郁美の急所をはずす訳がない。
「郁美さん、ごめんなさい。綾ちゃんも、本当にごめんなさい」
美菜のせいで、幸せに暮らしていた郁美の人生を奪ってしまった。そして、その娘の綾から、かけがえのない母親を奪ってしまった。
これは耐えられないと思った。大好きな小さな子の幸せを奪ったこと、辛く寂しい人生を、自分のせいで送らせてしまう。償いきれないと思った。
どうすればよかったのだろう。痩せ型に大人しく強姦されていればよかったのか。そもそも、遼平に会うために、アルカディアに来たのが間違いだったのか。
遼平やあかりと過ごした輝いていた楽しい日々が、綾を不幸にしてしまった、その一点で、急に光を失ってしまった。
嫌だ、嫌だ、こんなの耐えられない。
「綾ちゃん、ごめんなさい。私を許して」
美菜は泣いた。泣くことしかできなかった。正座したまま上体を前に倒して、謝り続けた。
いつまでも、いつまでも泣き続けた。
どれくらい泣いていたのだろう。ほんの数分のような気もするし、まる一日と言われても違和感はない。泣いても泣いても気分は晴れない。もう嫌だと思った。夢なら覚めて欲しいと思った。
夢!
そうだ、辛い夢なら覚めればいい。48歳の意識不明の美菜の夢から。
美菜は初めて夢から覚めたいと思った。
もうすぐ遼平が来る。美菜は急にそわそわし始めた。髪の毛を整え、服を改めた。
『私はわくわくなんかしていない。遼ちゃんと別れ、綾ちゃんを不幸にしてしまって、打ちのめされた心を、ただ遼平さんに慰めてもらうだけだ』
『私は遼平さんとセックスしたいわけじゃない。そうしないと夢から覚めることができないから』
そうやって、自分の気持ちに弁解してみても無駄だった。認めるしかない。自分は遼平に会いたがっている。会いたくて会いたくてしかたがない。そして、遼平に抱かれたがっている。遼平に抱かれて身も心も癒してもらいたい。
『遼平さん、早く来て。そして私を……』
美菜は遼平に抱かれる場面を想像した。なんだかうまくいかない。服が邪魔だと気がついた。この部屋で遼平と会うときはいつも裸だった。裸で抱き合えば、セックスまで一直線だ。服を脱がなければならない。どうやって。自分で? なんだか恥ずかしい。遼平に脱がしてもらう? もっと恥ずかしい気がする。
『もう、なんで服なんか着てるのよ』
美菜は服を脱いだ。Tシャツを脱ぎ、ブラをはずし、パンティを下した。裸になって、ベッドの上で女座りした。
頼りない気がした。四方断崖絶壁の上にいるような心許ない思いがする。そして思った。遼平が服を着ていたら……。自分だけ裸だったら、服があるのに。
そう思うと、物凄く恥ずかしくなって、慌てて脱いだ服を着た。
『私、何やってるんだろう。バカだ』
そうだ、遼平はどんな恰好で現れるのだろう。この部屋での遼平はいつも裸だったから、16歳の遼平の姿を思い浮かべた。ウエイトレス姿の遼平、似合いすぎて驚いた。デニムのミニスカート姿、コバルトブルーのミニワンピース姿、美容室の鏡の中の遼平、触ると砕け散ってしまうような、痛々しいほどに可憐な姿。まだ見ていないセーラー服姿を思い浮かべた。ポニーテールを青いリボンで結んでいる。思うだけでも息が苦しくなる。見たかった。そして、下着の上にTシャツだけを着た遼平を思った。
その時、遼平が現れた。Tシャツ一枚の姿で、ベッドの端で膝立ちして美菜を見ている。
「遼ちゃん」美菜は立ち上がって、遼平の元へ駆け寄った。遼平も「ミーナ」と叫んで、美菜を受け止めた。
抱き合って、唇を合わせた。互いの舌を絡めあった。唇を離し、顔を見つめあった。髪型は16歳の遼平そのものだった。美菜のことを「ミーナ」と呼んだから、47歳の遼平のはずだ。しかし、そんなことはどうでもよかった。今、遼平と抱き合っている。
ふたり同時に、相手のTシャツを捲りあげ、先に遼平を脱がし、次に美菜が脱がされた。
互いの背に手を回し、ブラのホックをはずし、ベッドに倒れこんだ。
遼平が美菜の胸に顔を埋め、美菜は遼平の頭を抱きしめた。美菜は遼平の愛撫を受けながら『なんだ、裸になるのって簡単なのね』なんて考えていた。
遼平の愛撫が下に降りてきて、パンティが脱がされた。遼平が美菜の太ももを愛撫している。美菜は両手で股間を隠した。
「下触られるの嫌なの?」と、遼平が聞いてきた。
「ううん、触るのはいいけど、こんな明るいところで見られたくない」
遼平の顔が戻って来て、美菜に軽くキスした。
「ミーナ、会いたかった」
「私も会いたかった、遼ちゃん」
そう言って、美菜は力の限り遼平を抱きしめた。
「遼ちゃん、私目覚めたいの。だから、私を天国に連れてってね」
「そうか。じゃ、頑張らないと」
遼平の手が股間に伸びてきた。そしてひとつになった。
「遼ちゃん、戻ったら、私を遼ちゃんのお嫁さんにしてくれる?」
「もちろんだよ。結婚しよう。結婚して幸せになろう」
美菜は遼平の腰の動きに合わせながら、考えていた。
『綾ちゃん、ごめんなさい。私幸せになりたい。戻ったら必ずあなたを探しに行くから。もし、あなたが不幸だったら、迎えに行くからね』
『戻ったら私は48歳だ。子ども産むのは無理かなあ。結菜に会いたかったな』
遼平の動きが激しくなった。美菜は考えるのを止めて、突き抜ける快感に身を委ねた。
遼平の動きが突然止まったとき、快感の大波に呑まれ、美菜は意識を失った。




