カーブミラーにうつったモノ
最近は学校の校則についての話題を聞くことが増えた。理由もわからず生徒を縛るものをブラック校則と揶揄されるようになった。
思い出したのは、かつて通っていた中学の通学路に関してのルールだった。
それは中学校に入ったばかりのことだった。新入生の僕らにとって中学校の制服も校舎も、登下校の道もすべてがあたらしいものに見えた。
担任は中年のベテラン教師で手馴れた様子で一ヶ月前まで小学生だった新入生をまとめていった。
帰りのホームルームが終わった後、数人の生徒が担任に呼び止められた。その中には僕も含まれていて、後で職員室に来るようにと言い渡された。
初日からなにかをやらかした記憶なんてなくて首をひねりながら職員室に向かう。扉を引くとこちらと似たような生徒がいた。別のクラスの生徒だったけれどよく見知った相手だった。
「よう、なんかやったのか?」
からかい気味に声をかけあう。それから、ここに呼び出されたのが全員同じ小学校出身だということに気がつく。そのことにみんなが気づいていたが誰も心当たりがないようだった。
待っている間、職員室の教師たちからちらちらと見られている、だんだんと居心地が悪くなった。ドアを引く音が聞こえて、担任教師がようやく職員室に姿を見せた。まっすぐにこちらに近づくと、その視線が僕らへと順番に向けられていく。
いよいよだと思いながら、友人達が身を固くさせるのがわかった。
「うん、全員いるみたいだな。すまないな入学早々呼び出して」
無精ひげを生やした口元をゆるめて優しげな口調で語りかけてくるので、僕らはほっと肩の力を抜く。
「ちょっとした入学ガイダンスみたいなものだからすぐに終わる。東小出身の生徒に言うのが決まりでな。通学路についてだ」
前置きしたとおり話はすぐに終わった。
なんてことはない、下校途中は車に気をつけるようにというものだった。特にとある十字路を通るときは絶対だと念押しされた。なるべくならその十字路を通らない大通りを使えとも言われた。本当に話はそれだけだった。
学校を出ると、みんな近所なものだから帰る道は一緒になる。もちろん話題は先ほど職員室で言われたことになった。全員が納得いってない顔をしている。
「さっきの話って不審者とか痴漢対策なのかな?」
「それならホームルームで言えば済むことじゃん」
それも新入生全体ではなく一部の人間にしか言わないということにも引っかかった。答えはでないまま分かれ道に出た。左に向かえば大通りに入る。大通りから帰れば歩道も整備されていてみんなの家にも近い。
「なあ、いってみないか」
もちろん馬鹿な中学生であった僕らにとって、大人からの禁止なんてものは逆に興味を引きつけられる。みんなの足は右に向いた。
大通りをはずれると道は細くなり両脇を家の塀に囲まれる。瓦葺きの家が多く、古臭いと感じる家が並んでいた。道を舗装するアスファルトもひび割れている箇所が多く、わざわざこの道を通りたいと思わせる場所ではなかった。
それでも見知らぬ場所をみんなで進むのは気分を高揚させる。これから向かう十字路について、それぞれ好きに予想した。最初は真面目な意見もあったけれど話の方向はオカルトチックになっていく。
「実はさ、うちの兄ちゃんからも聞いたことがあったんだよ。中学校からの帰り道にやばい場所があるって」
十字路で事故死した地縛霊がでるのだとか聞かされて、みんなで疑い気味の目で「本当かよ」といいながら笑い合う。
「おっ、あの十字路じゃないのか」
細い路地と交差する新しい道が見えた。大きな期待と少しの不安を抱えて近づいていく。だけど、そこにあったのはなんの変哲もない十字路だった。事故が起きそうな見通しの悪さもなく、変質者が潜んでいそうな暗がりもない。カーブミラーの錆の浮いたオレンジ色が目に付くだけだった。
「な~んだ、なにもないじゃないか」
十字路の中央に立ったが何も起きることはなかった。カーブミラーを覗き込んだがうつっているのは自分の姿だけ。どうせ噂に尾ひれがついただけだろうと、小さな冒険は終わった。
次の日、教室で担任教師に呼び止められた。昨日に続いて今度は何だろうかと足を止める。
「昨日話した十字路には行ったか?」
「え……いや、その」
怒られるかと思って僕は言葉を詰まらせる。
「なんもなかっただろ」
教師はからかうような笑みを浮かべているので、全部お見通しらしいと素直にうなずいてみせた。幽霊がでるという噂も話すと笑われた。
「前にあそこで生徒が巻き込まれた交通事故があってな。幸い大した怪我じゃなかったんだが、そのときから噂が出始めたみたいだな」
学校側としては生徒が気味悪がって近づかなければいいと放置しているらしい。
そこまで語ると、中学生になっても幽霊で怖がらせようとするなんて子供だましだなと苦笑していた。それでも事故が起きた場所だからと軽く注意を受けた。
これで話は終わりかと思ったが、ふと思い出したように聞いてきた。
「ところで、カーブミラーは見たか?」
どうしてと聞き返すと、無精ひげを散らしたあごをさすりながら「これは聞いた話だが」と前置きをした。
「あの十字路だけどな、人身事故自体は少なかったが自損事故はたびたび起きていたんだ。あそこであまりにも事故がおきるから、ドライバーに聞いてみると原因は揃って脇見運転だったそうだ。別にスマホやカーナビを見てたわけじゃない、あそこにあるものが原因だそうだ」
あそこはそんなに気になるようなものなんてあっただろうかと首をかしげる。
「そのドライバーたちみんなが口をそろえて言ったことが一つあってな、カーブミラーに映りこんでいるモノに気をとられたらしい」
何が映っていたのかを聞くけれど、わからないと首を横に振った。教師達で見に行ったこともあったが何も見えなかったらしい。
「オレもまだこの学校に赴任して日が浅いからな。聞いているのは噂程度だ」
話はそれで終わったが、人によって見えたり見えなかったりという特別感にひきつけられた。噂の真実を見つけようと自分なりに調べはじめた。友人たちが部活やテストについて話す間も頭の中は『十字路』という単語で一杯だった。
結局、噂の真実なんてものはなかった。得たのは役に立ちもしないオカルト知識だけ。十字路、昔の言い方では『四辻』と表して、魔と遭遇したり異界との境だったりと不吉な意味合いが多いのだとか。
まったく手ごたえのない成果にやる気はしぼみ、学校生活の忙しさの中いつのまにか忘れていった。
そんな十数年前の記憶を思い出しながら久しぶりの故郷への道に車を走らせていた。
同窓会の知らせが来たのでたまにはと思って帰ってきた。フロントガラス越しに見える風景を懐かしむ。中学生のころ徒歩で通っていた通学路を今は車で通っている。変わった場所もあれば変わらない場所もあり、時間の流れを感じた。
実家はもうすぐだ。思い出にひたりながら時間の流れをさかのぼっていると思い出したのはあの十字路の噂。同窓会のときに話の種にでもなればいいと寄ってみることにした。
ウィンカーをだして大通りをはずれて小道に入った。記憶をなぞるように進むと十字路が見えてくる。オレンジ色のカーブミラーは相変わらず錆が浮いたままだった。この路地にはいったとたん時間があの頃に薪戻ったように感じられた。
十字路に近づくとスピードを緩めていく。結局今度もなにもないのだろうと思いながら、交差する道の安全を確認していく。
カーブミラーをのぞきこんだ―――そのとき違和感があった。
「ん……?」
鏡面になにかが映りこんでいた。それが人間だとわかる。誰かがこちらを見ていた。カーブミラーの真下に立つ角度だ。カーブミラーから視線をはずして確認したが誰もいない。
もう一度見る。見覚えがある気がした。車が近づくほどはっきりと見えてきた。
そこに映っていたものは、学生服を着た中学生の頃の自分だった。持っている荷物まで入学当事のものと同じだ。何かを探すようににカーブミラーをのぞきこんでいる。
人によっては見えないという意味がわかった気がした。直後、車に小さくない衝撃が襲った。