一章-2
確かに小動物を使って呪いをかけるのは、魔法使い達が良く使う手だ。
『姫君と私の付き合いは貴方よりも長い。遠い故郷より私だけを連れてきたのは、姫にとって私が愛玩動物であり心の拠り所である何よりの証拠。それに、私の言葉を聞こえるようになったのは、貴方だけ。貴方の方がおかしいのではないですか?』
思わずそう言えば、王太子はどこか困ったように視線を反らした。それから何か考えるように部屋中に視線を巡らせる。
ふと、開け放たれたままだった扉の方に目を止めた。その視線の先を追えば、音もなく戸口にグレーテルが立っていた。
『グレーテル』
「王太子殿下、申し訳ありませんが一時退出をお願い致します」
彼女の名を呼ぶが、やはりオティーリエの声はただの小鳥の虚しい鳴き声にしかならない。それに気付いた王太子は静かに瞠目した。
「殿下?」
「……分かった、少し待ってくれ」
「はい」
グレーテルは恭しく一礼すると、寝室の扉を音もなく閉めた。
「本当に、俺にしか聞こえないんだな……」
『お分かりいただけましたか? 私がおかしいのではなく、貴方の耳がおかしいのです』
「生意気な小鳥だな」
王太子はゆっくりと振り返るとオティーリエの傍までやってくる。その表情は硬いが、瞳には何かを決意したような光が宿っている。
王太子は鳥籠に顔を近づけると、声を潜めた。
「これから、医者とヴァイザーが来る。その会話を聞いて覚えていろ」
『何故?』
「姫が眠りに付いた件、父王の意向により俺は関わらせないつもりらしい。ヴァイザーに任せることになった」
『それは、解決するまで誰も手を出させないと?』
「ああ。俺まで呪術に掛ってしまってはいけないからだそうだ」
恐らく呪術が関係してくるからだろう。魔法の前ではいくら武術に優れているとはいえ、王太子も騎士団も専門外だ。
「姫がどうしてこうなったのか、俺は知りたい。お前の声は俺にしか聞こえないのだろう?」
『ヴァイザー達の会話の内容を貴方に伝えろと』
「ああ。任せた……また来る」
言うや否や王太子は踵を返し、寝室を出て行った。
『私は覚えると言っていないのに……』
あんな強引な性格をしているとは思わなかった。
『けれど、ヴァイザーならば私の声を聞けるのでは?』
宮廷魔法使いの束ね役である『賢者』はこの大陸屈指の知恵者だ。呪術によってこのような姿になっているオティーリエの姿を見破ってくれるかもしれない。
暫くすると、扉が開かれた。
グレーテルを先頭に壮年の男性が二人、寝室へと入ってくる。白髪混じりの黒髪と切れ長の鋭い眼、鷲鼻が特徴的の侍医と踝まで伸びた白い髪と髭、青い穏やかな瞳が印象的なヴァイザー。一度しか会ったことは無いが、二人とも信頼に値する人物だと言うことは雰囲気で分かる。
グレーテルはテキパキと寝台を覆う紗幕を柱にくくりつけ、眠りに付くオティーリエの手を静かに毛布の中から引き出す。グレーテルと入れ替わるように侍医が前に出ると、オティーリエの腕を恭しく持ち上げた。
「脈、呼吸共に正常。病気の可能性もありません……眠っているだけとしか私には判断できません」
「ふむ」
ヴァイザーは小さく頷くと、オティーリエの頭上に手を翳した。
「微かに呪術の痕跡が残っている。相手は相当の手練のようだ……魔力の痕跡すら残していない」
「やはり、呪術ですか。眠り続ける呪術と言うのはあるのですか?」
「いや、これは恐らく呪術が失敗したのだろう」
(失敗ですって!?)
ヴァイザーの言葉にオティーリエは思わず声を上げてしまった。しかし、オティーリエの声に反応せずジッと眠る自分を見つめている。
(ヴァイザーでも、私の声は聞こえない?)
淡い期待が儚く散ったことにオティーリエは肩を落とした。
「ほう、これを差し上げたのは王太子殿下だったか……」
どこか嬉しそうな声を上げたヴァイザーは、オティーリエの左手を恭しく持ち上げ見つめている。
その視線の先にあるのは、結婚式の後に王太子がオティーリエに贈った指環だ。銀色の環に細やかな細工がされたそれは、王太子からの初めての贈り物だ。
「それは?」
「古代魔法文字で『刻まれた古の紋 暁の光で我を守りたまえ』と書かれている。王太子に頼まれて作ったのだが、おかげで姫君の身を守ることが出来たようだ」
まさか、そう言う意味が込められている指環だとは思いもしなかった。古代魔法文字などこの世界の魔法の祖だと言われている《ヤルンヴィド》の魔女達ぐらいしか使わないだろう。
ヴァイザーはホッと息を吐いたが、すぐに表情を険しくする。
「しかし、参った」
「どうしたのです?」
「どうやら、姫の魂はここにはないらしい」
「なんですと!?」
ヴァイザーの唐突な言葉に侍医とグレーテルは驚きに目を瞠った。
「恐らくは呪術の失敗のせいだとは思うが……魂が帰らぬままならば、姫君は衰弱し、眠ったまま死んでしまうことになるだろう」
「何とか、ならないのですか?」
血の気が失せた顔でそう問うグレーテルにヴァイザーは長い髭をゆっくりと扱いた。
「呪いを掛けた者を見つければ、なんとか手を尽くしてはみるが。王には最悪の場合もありえるとご報告しなければ」
「殿下には」
「この件、殿下にはお知らせしないことになっている。二人も、他言無用で頼む」
「……分かりました」
「はい」
ヴァイザーの言葉に侍医とグレーテルは神妙な面持ちで頷いた。他言無用の理由、恐らく王太子のためだろう。情愛薄いのであればそのまま何も知らずにいたほうが、オティーリエが死んだとしても少しだけ心に傷を負うだけで済む。
(私は、このまま死んだ方がいいのかもしれない……)
その方が王太子のためになるだろう。どうせ、帰る場所などオティーリエにはないのだ。今ここにいる自分が助かる保証もない。