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序章-3

 離宮を離れ、王宮への道を進む。

 暫く歩くと、渡り廊下に差し掛かり手入れの行きとどいた中庭の美しい緑が目に入ってくる。もう、すっかり春は過ぎ夏が訪れようとしている。初夏と共に咲き始めた薔薇の花の香りが鼻孔を擽る。

 オティーリエが生まれた地方はまだ春も終わらない、寒い季節だろう。花が咲くのも夏がもっと近づいてからだ。

 同じ国でも地方によってこうも気候が違うのかと今更ながらに驚く。

「夏が来るのね……」

「季節が巡るのは早いですわね」

「……南方は、もう夏日かしら?」

 その呟きにイングリットの表情が固くなる。けれど、オティーリエは気付くことは無かった。

 渡り廊下を進み、手前で右に曲がり王宮の奥へと向かう。

暫く進むと、書庫が見えてくる。王宮の少しばかり奥まった場所にあるそこは、身分関係なく誰もが出入りできる場所だ。禁書などは司書の許しがなければ王でも読むことは叶わない。この国随一の蔵書の数を有している書庫の扉をオティーリエは押し開いた。

 古びた紙とインクの匂いがオティーリエを出迎えてくれる。

 天井に届くほど高い本棚に隙間なく埋められた書物達。蝋燭では書が燃えてしまう可能性があるため、『明石』と呼ばれる魔法使いたちの手によって作られた魔法具がもたらす温かな光が何とも幻想的な世界を生み出している。

「おやおや~麗しの王太子妃殿下のおでましだぁ~」

 クルクルと回りながらオティーリエの目の前を横切って行ったのは、暗紫色の文官服に身を包んだ長身痩躯の青年だった。

 長い灰色の髪が顔の半分を覆っているため、表情は窺えない。人を寄せ付けない格好とその行動からあまり近寄りたくはない人種だ。

「御機嫌よう、ツィーオン」

「ご機嫌よぉ~御本の返却ですかぁ?」

 ツィーオンは変わり者だが、書庫にある蔵書のすべてを把握している司書だ。本名はオティーリエよりも長く覚えづらかったためツィーオンと呼ぶことにしている。

「今回の本はどうでしたか~?」

「ええ。とても面白かったわ、ありがとう」

 オティーリエが差しだした本を恭しく受け取って見せると、ツィーオンはにんまりと笑った。まるで夜空に浮かぶ三日月のような笑みだ。

「あと、はい。もし良かったら、食べて」

「うわっほぅ!」

 オティーリエが差し出した紙包みを受け取ると、ツィーオンは歓声を上げてその場でクルクルと回りだす。まるで糸が切れた操り人形のような動きにイングリットが小さく呻いた。

「殿下の前ではしたない!」

 その声はツィーオンの耳に届いたらしく、突然回るのをやめるとズイとイングリットへ顔を寄せた。

「んー、お怒り侍女ちゃん、ここは書庫だよぉ~王様も王太子妃殿下も関係なく、ここではただの利用者だよぉ。この前も言ったのに、侍女ちゃんは覚えられないの?」

「なっ!失礼な、覚えています!」

「だったら、何度も聞かないでよ。鈍くさいなぁ」

「なっ!?」

「イングリット……ツィーオンも、私の侍女をからかうのは止めて。今度から手土産は無しにするわよ」

 オティーリエの言葉にツィーオンは慌てて菓子を懐にしまうと、本棚の影へと隠れて小さく返事をする。

「イングリットも。ここでは地位は関係ないってことを覚えておいて。それに、ツィーオンは私に何も失礼なことはしていないわ」

「………はい」

「でも、イングリットを侮辱したのは駄目ね。お菓子の量は減らすわ」

「ええぇー!」

 本を頭に載せたまま器用に肩を落とすツィーオンに苦笑しながらオティーリエは首を傾げた。

「………お勧めの本はあるかしら?」

「あります、ありますとも!」

 オティーリエのご機嫌を取ろうと明るい声を出すツィーオンの姿に、思わず噴き出しそうになるのを堪える。

 本当にツィーオンはお菓子に目がない。機会があればお茶に誘いたいが、外聞を気にしなければいけない立場のため無理な話だ。

(本当、窮屈だわ……)

 どんな立場の人間もお茶に誘えたあの頃とは違うのだと実感する。しかし、ここに来る事を選んだのはオティーリエだ。

(例え……お飾りの王太子妃でも……)

 考えたことを払うようにオティーリエは頭を振った。

「殿下、でんか~この本はどうですかぁ~?」

「ツィーオン、私そんなに読めないわ」

 腕に抱えるのがやっとなほど本を持ってきたツィーオンにオティーリエは思わず溜息を吐いた。

 借りる本を選びまた来ることを告げて、オティーリエは書庫を後にした。

「ふぅ」

「お疲れね、イングリット」

 廊下に出た瞬間息を吐いたイングリットにオティーリエはからかうような笑みを浮かべる。

「何故、姫様は平気なのです?」

「ふふ。平気ではないけど、ツィーオンは話してみると博識だわ。さすが、文官ね。それに……あれは、からああいう姿を装っているんだと思うの」

「え?」

「少し変わっているからと言って、人を甘く見るモノではないわ」

 オティーリエの言葉にイングリットは眉間にしわを寄せると、神妙な面持ちで頷いて見せた。そこまで気を張る必要はないとは思うのだが、イングリットは用心深い。いや、異性に対してのみ警戒をしていると言っていいかもしれない。女の園である離宮では特に多い。王太子の側室を望んでくる者が少ないように思うのは、オティーリエの考えすぎなのかもしれない。

「オティーリエ姫」

「はい?」

 名を呼ばれ振り返った瞬間、目の前に広がったのは暗闇だった。

光すら飲み込むほど純粋な黒。

「え?」

 呟きは言葉には出来なかった。突如襲ってきた恐怖に一瞬で口の中が渇く。

「姫様っ!」

 イングリットの悲痛な声が聞こえる。けれど、オティーリエは指先一つ動かせないまま、闇に飲み込まれた。

 目の前が激しく歪んだ。


『……では………?』

『それは……とも』

 遠くに声が聞こえる。すぐ後に扉が閉まる音が響いた。頭の中を叩かれたような衝撃に、思わず身を震わせる。

 こんなにも大きな音を立てて扉を閉める存在が離宮にいるとは思いもしなかった。

(誰だと言うの?)

 意識が戻ると体が激しく揺れるのが分かった。均衡が崩れ、足で掴んでいる棒を放しそうになった。

(足?)

 瞼を開き、オティーリエは思わず悲鳴を上げた。けれど、その声は言葉にならず小鳥の囀りとして部屋中に響き渡る。

(これは、どう言う事?)

 自分を見下ろせば、見慣れた瑠璃色の羽毛に包まれた小さな身体が見える。どう見ても、オティーリエの小さな友人の物だ。

(まさか……私、鳥になったとでも言うの?)

 尋ねても応えてくれる声は無い。

 小さい心臓がバクバクと音を立てるのが分かった。

 思考が落ち着き始め、この原因に思い当たる。書庫から出た時遭遇した、あの暗闇だ。恐らく魔術の類だろう。

 宮廷魔法使いが使う物ではなく、人を呪ったりする禁忌の魔術の方だ。ヴァイザー達は《呪術》と呼んでいる悪魔の業。使える者が限られているだけあって効力は強いと聞いている。

(もしかして、私は死んで……?)

 不安に思い視線を巡らせる。止まり木から見える位置から、寝台の上にふくらみがあるのが分かった。紗幕が邪魔で顔までは見えないが、恐らくオティーリエの体だろう。

 けれど、安心はできない。いつ死んでもおかしくは無い状態かもしれない。

(一体、何があったというの?)

 頭の中を様々な出来事、考えが駆け巡り頭痛がしてくる。小さな鳥の頭で深くを考えるのは無謀なのかもしれない。

(どうすれば……)

 オティーリエは力なく鳴いた。

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