8 真実を求め
「エル! 奴が来るよ!」
「奴?」
エルシィが親分とミランダに協力を仰いでから二日後、営業開始前の占いの館にミランダが訪れた。
「今度、ブレイクソ侯爵がうちの店を貸し切るらしいの。店主も親分からエルに協力をするよう言われてるから、従業員一同全面協力するって!」
「ありがとう! その日は私も占いの館を閉めて、ミランダのお店に行くわ!」
報告するだけしてバタバタと自分の店に戻ったミランダを見送り、エルシィは物思いに耽る。
「とうとう疑惑の相手と直接会うのね……」
その日もやって来たユベールには、ミランダの店にブレイク侯爵が現れ、その際はミランダたちが調査に全面協力してくれることだけを話した。
自分も店に行くと言えば、紳士なユベール・ジェスタン侯爵に、心配と迷惑を掛けるだけだと思ったのだ。
その晩、エルシィはまた不思議な夢を見た――
「――――。どうして私を置いていったの……」
狭い部屋の中、セピア色に染まった女性がベッドに突っ伏し泣いている。
薄暗い部屋で、花瓶に活けられた赤黒い薔薇の花弁だけが存在を主張してくる。
「強情だな。お前に選択肢はないというのに」
「……」
泣き濡れる女性に、突然何処からかわき出た男が近づき声を掛けるが、女性は微動だにしない。
「ふん。時間はまだある。懐柔するものまた一興」
毒々しく色づき咲いた薔薇を一輪取り、男は花弁をグシャリと握り潰す。
トゲが刺さったのだろうか、男の手から血がにじみ滴った。
「――――。あの男は来ない」
プツリプツリと鮮血が浮かぶ手を口元にあてがい、ゆっくりと自分の血を舐める男の唇と舌だけが同じように赤黒さを帯びる。歪な笑みをたたえた口元だけが赤々とし、眠っているはずのエルシィの背筋が急激に冷え目が覚めた。
「ああ……。夢見が悪いわ……」
寒気で目を覚ましたエルシィは、珍しくグッタリとしていた。
とにかく、夢の中の男が気持ち悪くて仕方なかった。
「だめ! ちゃんとお客さんの夢を見ましょう! 今ならまだひと夢もふた夢も見られるわ!」
寝る前に淹れたお茶がすっかり冷め、少しだけカップの底に残っていた。潤すため咽にグイと流し込み、エルシィは再び眠りについた。
エルシィが店に潜入する準備を、ミランダが甲斐甲斐しく整えてくれた。
相変わらず店に手土産を持ってやって来るユベールは、ソワソワするエルシィに気づいているのかどうか分からなかったが、ブレイク侯爵の件については何も言ってこなかった。
――そして、ブレイク侯爵の来店当日――
「ちょっと面積が少なすぎて、心許ないのですが……」
「こんなもんよ~。でも、これなら世の男共も眼福だわね~」
エルシィは栗色のカツラを被り、派手な化粧をして、胸元と背中が大きく開いたナイトドレスを着させられていた。
支度を終え店内に案内されると、なぜか店の者たちから歓声と拍手が起こった。ちょっぴり嬉しくなって『ありがとうございます』などと返していると、なぜか黒髪のカツラを被り、黒服の恰好をしているユベールと視線がバチリと合った。
「なぜここにユベール様が? はじめからこうするつもりだったのですね?」
「……」
(あ、ユベール様、苦虫を噛み潰したような顔をしているわ……)
「すみません。見苦しいモノをお見せしてしまって。ミランダのように魅力的な身体ならまだよかったのでしょうが……」
「いや、その、慎ましやかなモノの方が私は好みです……」
エルシィの胸元をチラチラ見ながら、ユベールがゴモゴモと零す。
「えっ?」
「あっ!……いや、そういう事が言いたいのでは! とにかく、せめてショールを羽織ってください!」
「貧相だし華やかではなくて、本当にごめんなさい……。だからユベール様まで、ここに来る必要はなかったのに……」
やはり自分の姿でユベールを不快にさせたと気落ちするエルシィ。それを感じ、ユベールが慌てて取り繕った。
「エルシィ様は、大変美しくお可愛らしい。スレンダーなスタイルのよさも、品があって清楚で素敵です!」
「ありがとうございます」
ムキになって、褒め上げたユベールに礼を言い、エルシィは店での振る舞い方を女性陣から教えられに向かった。
「大丈夫だよ。エルは男になびかない。ま、侯爵様もその内の1人に入るってのは、お気の毒様だね」
ミランダに肩を叩かれ大きくため息をついたユベールも、黒服として動くため男たちに混ざった。
そして、とうとうブレイク侯爵一行が店にやって来た。
相手は商人を装っているが、どう考えても裏社会の人間にしか見えない。
「この娘はエル、新入なのよ~。贔屓にしてあげてね~」
「そうか、そうか。お人形さんみたいだねぇ。初な感じもいいねぇ」
鼻の下を盛大に伸ばし、ブレイク侯爵がエルシィを手招きする。
(とにかく、お酒を注いで飲ませればいいのよね?)
「よろしくお願いいたします」
この男が、もしかすると諸悪の根元かとブレイク侯爵を観察する。
肥えた身体をユラユラ揺らし、鼻の下と顎に髭をこさえているが、頭には毛の一本も見当たらない。とにかく特徴を捉え、予知夢だけでも見られるようにしたいとエルシィは思っていた。
しかし、エルシィは気もそぞろ。両親がブレイク侯爵の思惑により非業な死を遂げたのか、真実を知りたいのだが、予知夢は見られても、過去の出来事を見ることに自信はない。
見られてもあくまでも夢は夢でしかない。証拠にはならないのだ。
「あっ」
「いやだわ、この娘ったら。ほら洗ってらっしゃい」
酒を注ごうとした時、薄っぺらな布切れ同然のドレスを隠そうと、ユベールが調達してくれたショールの一部が料理に入り汚してしまった。
「失礼致します」
手洗い場に向かった時、ブレイク侯爵一行の柄の悪い商人風の男とすれ違い、突然腕を掴まれた。
「いたっ」
なぜかその男が、エルシィの両頬を指でギリギリと挟み顔を覗き込んでくる。
「……」
「いはいれす」
「……」
「お客様、店の者を手荒にされては困ります」
「……」
ユベールが駆けつけ男をたしなめてくれたお陰で、エルシィは男の手から解放された。ジロリとユベールをねめつけ、男は去って行った。
「お気をつけ下さい」
「はい」
エルシィが軽く布を洗って戻ると、ブレイク侯爵はご機嫌に酒盛りを続けていた。たいぶ口が軽くなってきたようだ。
ミランダや店の女性たちが、頑張ってくれていたらしい。
「侯爵様、太っ腹ぁ~」
「こんなすごい太客初めて~」
肉厚の侯爵の腹を、両脇からツンツンしヨイショする。
「ああ、ああ。これからも来るからね。わしのやりたい事を邪魔する奴などいないからな。邪魔なモノを掃除し、身軽になっておいてよかったよ」
「ええ~、なにそれぇ~。どういう意味~」
「これこれ、男には言えない事の一つや二つあるものだよ?」
腐っても大臣職を勤めた男だ。今は余裕が出てきたからか退任し、自由気ままに浪費ばかりしているが、 酔っても口は割らなさそうだ。女性陣が頑張ってくれはしたが、ブレイク侯爵が気分を良くして帰っただけだった。
ならば、ロンディアーヌへ行き、自分の目と耳で確かめるしかないとエルシィは考えていた。
初の休暇を得、これまた初の旅装を購入し、エルシィはロンディアーヌ領へと向かう。
旅の足はジェスタン侯爵家の馬車で、エルシィの隣にはユベールがピタリと付き添っていた――