16 公爵からの招待
しかし、今、過去の記憶を持っているのはユベールだけ。
親分ことバークレーとミランダことミルドレッドは、エルシィの存在に惹かれる一方、爵位も年齢も上なのに付き従うだけのユベールになぜか無性にイラッとはするが、過去の記憶は一切ない。ユベールも未だ二人がバークレーとミルドレッドの生まれ変わりとは気づいていない。
(ああ、また、あの騎士様の夢を見られないかしら)
「エルシィ様? どうかされましたか?」
「え? あ、すみません、ユベール様。少し考え事を……」
もどかしい現世の二人は今、ロンディアーヌ領からの帰りの馬車に揺られていた。
エルシィは、夢で見たヒューバートに恋心を抱いてしまったのだが、まさかユベールが騎士ヒューバートの生まれ変わりとは思いもよらない。
「お顔が少し赤いようです。熱でもおありなのでは?」
何気に手を伸ばし、エルシィの頬の脇に手を添えようとしたユベールがピタリと固まる。ユベールだけは姫の生まれ変わりのエルシィに想いを寄せ、我慢比べの日々を過ごしていた。
「? 熱はないので大丈夫ですよ? あの、ユベール様。これでやっと、私たちの両親に起きた真実を明るみに出来るのですよね?」
「そうですね。首都に戻りしだい証拠を提出し、証人としてロンディアーヌの民を招致しましょう」
一人だけが悶々とした旅を終え、二人で首都グラファダに戻ると、ユベールは早速ブレイク侯爵捕縛のため動き出した。と、言っても、証拠を提出するだけだ。
ブレイク侯爵の罪は、ジェスタン侯爵家が今まで集めた証拠と、なぜかガタガタと震えながら『もう足を洗います』と表の世界に出てきた裏の者たちが白状し、次々と罪状が確定して行った。
「この街もこれでスッキリするなぁ!」
「新しい金ヅルを探さなくっちゃ~」
親分とミランダが、余所者で羽振り良くなったゴロツキ共をあぶり出し、足を洗って罪を償った方がマシだと思わせる程懲らしめたようだ。ロンディアーヌ領の民の証言もあり、取り調べのためブレイク侯爵は投獄された。
「みなさん、本当にありがとうございました」
「協力に感謝する。ありがとう」
二人揃って頭を下げるエルシィとユベールに、親分もミランダも、ロンディアーヌから来た民たちも、ちーと涙ぐむ。これで穏やかな毎日に戻れるものと、皆が思っていた。
しかし、一週間もしない内に、ブレイク侯爵が牢の中で亡くなった――
ロンディアーヌ領の火災もエルシィの両親の死も、ユベールの父の暗殺も、ブレイク侯爵からの依頼でゴロツキ共は動いたことは間違いなかった。
金の出所もブレイク侯爵で、犯罪の元を辿れば行き着く先は全てブレイク侯爵だった。だか、その侯爵は獄中死した。
拍子抜けするような、あまりにも呆気ない幕退きだったが、ブレイク侯爵が不審死した謎は残った――
「エル、いつまでここにいる気なのよ!?」
いつまでも占い師を続けているエルシィに、ミランダは大袈裟に眉を吊り上げて言う。ミランダとしては内心嬉しいのだが、エルシィの事を考えれば早く貴族の世界に戻った方がいいと思っていた。
「う~ん。状況が落ち着いたらかなぁ?」
相変わらず、お小言を言った時のエルシィの反応は鈍い。
ロンディアーヌ領は、いずれエルシィの元に戻してもいいと国からお達しはきている。エルシィ自身も日々欠かさずに学んできたので、最新の社会情勢も領地経営をする事にもあまり不安がない。
むしろ、ずっと民のためにと学んできた事を、やっと活かせるのだ。
「まあ、ここにいる間は、あたしが面倒見てあげるけど~」
「うん、ミランダ。これからもよろしくね!」
いつも通り踊るように手をヒラヒラさせ店へと向かうミランダの後ろ姿に、エルシィの目が細まる。
だが、胸中は悩みが尽きない。貴族として伴侶もいないエルシィが、多くの貴族の次男三男から婿入れを望まれる事は目に見えていた。
子どもながら、全ての財産を領地に寄附した女性。
両親を殺されたのに、純粋で素直に成長した女性。
そして、その容姿はどんな芸術家が最高傑作を完成させたのかと見紛う程、美しい女性だ。
エルシィは、一躍時の人となっていた。
(よく知らない人と結婚して領地経営するって、難しいわね)
夢の中の騎士にうつつを抜かしている場合ではないのも分かる。だが、エルシィは一年だけ猶予をもらった。二十歳になったら領地経営権を国から戻してもらい、エルシィは伯爵となるのだ。
それまでに人物を見極め、共に領地経営をしてくれる誠実な伴侶も探すべきなのだが……。
一番よく知る貴族男性はユベールだ。しかし、彼はすでに侯爵家の当主だし、伴侶にと考えると、なんだか顔が熱くあるし、腹の奥辺りがむず痒い。
ぼんやりエルシィが考えていると、占いの館に来客があった。
「こちらに、エルシィ・ロンディアーヌ様はいらっしゃいますか?」
夜の街の占いの館には似つかわしくない、立派な身なりをしたどこかの屋敷の使用人だ。エルシィは返事をし、取り敢えず用件を聞く事にした。
「私、ファクトリア公爵家の遣いでやって参りましたとヤーコフと申します。当主がエルシィ様にお会いしたいので、近い内にお茶をご一緒にどうかと申しております。ご都合をお聞かせ願えませんか?」
占いの館の事までもう他貴族にばれたらしい。公爵家の権力を使えば容易い事なのかもしれない。
これからまた貴族の世界に戻るのに、公爵家を敵に回すのはよろしくない。グラファクトリア国が建国された時、ファクトリア地方の大部分を占める領地を与えられ、その地の名を名乗る事を許された歴史ある家柄だ。
「わざわざご丁寧に。手紙でも良かったのですよ?」
「当主がエルシィ様のご都合を、直接伺ってくるようにと仰せです」
今、必ず返事を聞かせろということだ。仕方なくエルシィは失礼にあたらない程度に伸ばした日付を伝える。
「三日後の午後であればお伺い出来ます」
「かしこまりました。それでは三日後の午後三時に――」
その日の閉店近く。また手土産を持って現れたユベールに、ファクトリア公爵から招待された件をエルシィは話していた。
「ファクトリア公爵家ですか?」
「歴史的な事は分かるのですが、お人柄はさっぱりで……。ユベール様はご当主の方をご存知でしょうか?」
八年前、自分と同じ年の息子が後を継いだと聞いたが、あまり表に出てこない人物だ。
一度、チラリとだけ顔を見たことがあるが、ユベールとしては印象が悪かった。
血塗られた様な赤黒い髪に、虚ろかと思えば時折人を射殺さんばかりに鋭くなる眼光。
(アレは病んでいる)
それがファクトリア公爵の第一印象だったし、髪の色が前世のあの男を思い出させた。
(用心するに越したことはないな)
当日はユベールが馬車を出してくれるというので、ここは素直に甘えた。ジェスタン家の御者とは、ロンディアーヌへの旅で世話になり仲良くなっていた。
御者と久しぶりに会えるのは嬉しいし、ありがたい事だと考えていたが、当日、はしたなくも開いた口が塞がらなかった。
「ユベール様……」
「御者のヒューでございます」
御者の恰好をし、何食わぬ顔でお辞儀をするユベール。約束の時間も迫っている。ついてくる気満々のユベールに呆れながらも、一緒に来てもらえる事がエルシィは本当に心強かった――