14 一縷の望み
アレクサンドルはアリソンの心も手に入れた気でいた――
が、自分の好意に一向に答える気配のないアリソンに苛立ちがつのる。いっその事力づくで、自分のモノにしてしまおうか。しかし、自分より弱い女を手籠めにするなどは美学に反する。
他人からすればアレクサンドルがアリソンを監禁する事も、無理矢理純潔を奪う事も非道な行いに違いないのだが、彼には彼の美学があった。けしてアリソン自身に加虐したり、無理に女にしたりする事はしない。と本人は自負していた。
(なのに……、なぜ、お前は俺になびかない……)
あの男の屍をアリソンの眼前に突き出さぬ限り、アレクサンドルがアリソンを手に入れる事はないと思い始めていた。ヒューバートへの身勝手な私怨は膨らむばかり。
「早く捕虜の中から金騎士を探し、首だけでもここに持って来させろ!」
「はっ」
大勢の捕虜の中からヒューバートを探す作業は難航していた。当然だ。その時既に、ヒューバートはバークレーとミルドレッドと共に、王都に商人として潜入していたのだから――
(侵略されて亡くなった国の姫として、今の私にできることは何が残されているのだろう……)
生きる意義と最愛の男を失ったと思い、アリソンは生と死の迫で揺れていた。一時は従兄弟のアレクサンドルの言葉で打ちのめされるが、一人で過ごす時間に生気を取り戻し、そしてまた、アレクサンドルの出没で絶望に追いやられる。
そんな日々を繰り返していた。蝶よ花よとだけ育てられていれば、無垢な心は耐えきれなかっただろう。戦場で臓物や血飛沫を見ることになろうが気丈にし、動じることが無かったアリソンだからこそ耐えていた。
しかし、そのように屈しないアリソンに対して、苛立ちをアレクサンドルは募らせ益々狂気じみていったのだから、人の心とはままならない。一時は暗く染まったアリソンの瞳に満足し、時間を空けて戻ると輝きを戻す瞳を自分しか認識しないようにしてしまいたい。
(全ての色味を捨て、早く俺の色に染まればいい)
アレクサンドルは、帝国がファダールを治めるまで常にアリソンを監視しようと、可能な限りアリソンの私室へとやって来た。
そんなある日、またもや毒々しく陰鬱とした空気を纏ったアレクサンドルが、再びアリソンの部屋へとやって来た。アリソンの肌が急に寒気を覚え泡立つ。
否応なしに重ねられるアレクサンドルの言葉で、アリソンの心はどんどん蝕まれてゆく。
またもや脱け殻の様になったアリソンの瞳は、希望の輝きを失おうとしていた――
(……。ヒューバート……。会いたい……)
「アリソン――」
アレクサンドルに名を呼ばれたが、返事をする気はない。寝具にくるまり、ひたすら寒気を堪える。
「まるで、脅える餓鬼だな」
餓鬼と言われようが、アレクサンドルの挑発に乗る気はない。掴みかかりたいが、ひたすら怒りと寒気を堪える。そこへ、一人の兵がやって来た。
「アレクサンドル様。まだ金騎士が見つかりません。捕虜全員の確認が終わりましたが。どうやら逃げ延びたようです」
「分かった、すぐに行く。いいか、お前はここで大人しくしているんだぞ?」
そう言って男たちが部屋からでると、硬い重石で塞がれていたような感情が弾けて飛び出してきた。一気に胸に熱いモノが込み上げる。
(金騎士……。ヒューバートは生きている!?)
「ヒューバートに会いたい。なら、会いに行くのよ! ここに居ても、私の命が有効に使われる事はもうないのだから!」
後者は、会いたいと思った事を正当化する言い訳だったが、ヒューバートが生きているのなら、なんとしても会いに行く。
アリソンの瞳には、ようやく銀の戦乙女の輝きが戻っていた。
アリソンは最後の手段として残しておいた、自室の隠し通路の仕掛けを作動する。父は死んだ。国は負けた。裏切ったファクトリアに立てる義理はない。アレクサンドルがやって来たから、私室から使用人は追い出されていた。
(一度これを使えば、もう二度と外に出ることは出来ないでしょう。でも、今使わずして、いつ使うのかしら?)
最後の望みを掛け、アリソンは城外へと脱出する仕掛けの本棚を力一杯動かした――
脚に力を込め少しでも前へ前へと隠し通路をアリソンは走って行く。より長く早く走られるように、呼吸は極力乱さない。
早く! 早く! 早く!――前へ! 前へ! 前へ!――
だが、背後から物音がする。ガチャガチャと不快な金属音がした。男どもの低い声が暗い通路内に響いてくる。
(もう気づかれたのね)
兵たちと話しを終え、すぐにアリソンの部屋にアレクサンドルは戻ったのだろう。そして存在を隠していた通路の入り口が開けられた事に気がついたのだ。四六時中自分を監視する鋭い従兄弟の気配を背後に感じ、押し潰されそうになる。
(外にさえ出られれば、きっと隠れる場所もある。ヒューバートを探しに行ける可能性がある!)
恐怖から縮みこみそうになる四肢に気合を入れ、ひたすらアリソンはジメリとした通路を駆け抜けた――