13 狂気の従兄弟
アリソンは目を覚まし、すぐさまヒューバートの軍を追いかけようとした。しかし、すでに到着していたファクトリア王国からの迎えの使者と父の手前、姫としての立場を省みず色恋でこれ以上の勝手をしてはならないと自制した。
(もう、私はファクトリアへ行くしかないのね……)
馬に騎乗したヒューバートの凛々しい姿に想いを馳せる。その隣にいつも自分が居たはずなのに、今回彼はそれを望まなかった。いつもアリソンを尊重し優しく受け止めてくれた彼が、今、どんな想いで駆けているのかと考えると目に涙がにじむ。
「アリソン様。ファクトリアから人手を出してもらいましたので、旅の準備にも時間を割けます。どうか安心し、ゆるりとなされていてください」
「亡命前の緊急時にゆっくり準備だなんて、のんびりしたものですね……」
普段は嫌味など言わないアリソンだが、ササクレ立った気持ちが言葉に出てきてしまう。
それにしても何かおかしい。亡命の手伝いや護衛と称してファクトリアからやって来た者が、異常に多い気がする。あちらだって帝国と交戦中なのだ。城内を我が物顔で自由に歩き回るその者たちの様に、どこか矛盾をアリソンは感じた。
ヒューバートが国境へ向かって四日。国境地帯では交戦状態に入る頃と予想されていたため、とうとう明日にはファダール王国を出るという時だった――
(ファクトリアの者がさらに数を増やした?)
「アリソン様、ファクトリア王国からアレクサンドル様が到着されたようです。予定通り明日には出立いたしますので、今日はお休みください」
「わざわざ王太子が来たのですか? そうでしたら、ご挨拶に行かないと――」
陰険な感じのする苦手な従兄弟だったが、相手の国に世話になる上、あちらが王族を出してきたのなら、こちらも挨拶をし、礼をするべきだ。
「いえ、それにはおよびません。アリソン様は寝支度をし、もうお休みください」
「何を言っているの? そんな無礼は――ま、待ちなさい!」
数ヶ月前から雇い、仲良くなってきたと思っていたはずのメイドが、目を吊り上げてアリソンを一蹴する。有無を言わさず部屋を出たメイドの後を追ったが、アリソンはここで気づいた。
(部屋の鍵が変えられている!?)
「待ちなさい! 貴女、外から鍵をかけたの? ねえ! 早く開けなさい!!」
扉を叩こうが叫ぼうが、返答は一切ない。
(何が起きているの……)
数刻し、やっとアリソンの私室の扉が開かれた。扉を開けたのは、従兄弟でありファクトリア王国の王太子アレクサンドルだった――
「久しいな、アリソン。この城は、ファクトリア王国軍が占拠した。時期にグラフ帝国軍もやって来る。ファダール王国の軍はすでに皆、捕虜となった」
「ファクトリア王国は、ファダール王国を裏切ったのね……」
アレクサンドルがここに来るまで、ある程度は考えを巡らし覚悟していた。
完全に味方だと信用しきっていたファクトリアに既に王城を奪われているのだ。戦乙女としてレイピアを掲げ、戦う事すら叶わなかった。
「お前の立場から見ればそうだな。だが俺からすれば、自国の立場と自分らの地位を守っただけだ」
「あなた方の国がファダールを巻き添えにしたのに!」
「力のないこの国が悪い。ああ、ファダール王は死んだぞ。グラフ帝国の命だ。お前が助かっただけ、俺とファクトリア王国の交渉力に感謝しろ」
「!!」
アリソンの父がファダール王国最後の見せしめとして殺されているのなら、王族の自分も殺されているはずだとアリソンは考え、一人不安な気持ちを抑えていた。しかし、この時すでに、父だけが殺されていた。怒りのままに叫びこの従兄弟に掴みかかりたい。ブルブルと震える身体を両手で抱き抑え、アレクサンドルに一つ問いかけた。
「お父様だけを殺したのね……。っ、ヒューバートは? 彼は今、どうなっているの?」
――ダアアンッ――
アレクサンドルの拳が石壁を強く打ち付けた。
「黙れ。二度とその名を口にするな! いいか、もう一度言う、その名を二度と口に出すなよ? ファダール王国の軍隊も全員捕虜となっている。まあ、そいつは見つけ次第殺せと命じているがなあ!」
(う……そ……。父も死に、ヒューバートも捕まった……)
母方の従兄弟の叩きつけた手から、赤黒い血が滴り落ちる……。小指がグニャリとあり得ない方向に曲がっているが、表情の抜け落ちたアリソンを見て、愉快そうにクツクツと笑い出している。
血走った目に歪んだ口元は到底正気とは思えない……。目の前の親族が、本当は悪魔なのではないかという気さえした。
「ああああぁぁ――なぜお前は長子として生まれた? なぜお前は金騎士になど入れ込んだ?」
全く意味が分からない。アリソンの思考がどんどん鈍くなってゆく。目の前の従兄弟は、自分に執着していたのだろうか?
「ははっ。良い顔だ……。戦乙女ではなくただの女だ。なあ、アリソン。お前は俺の嫁にしてやる。王太子妃にはしてやれなかったが、いずれ新しくできる公爵家の正妻になるんだ。ありがたく思え」
さらに口を歪め悦に浸って高笑うアレクサンドルに、とうとうアリソンの思考は停止し、なにも言葉を返せなかった――
アレクサンドルはファクトリアの王太子として及第点の男だ。鋭い眼光で他を征し、自分の手足となる者には程好い褒美を与え、次代の王としての風格もある。為政者としての能力があっても及第点なのは、歪んだ中身の所為だ。
「同盟を反古し、ファダール王国を帝国に差し出す。妹もいない弱小国、最後の使い道だ」
敗戦が濃厚になると早々に、グラフ帝国にすり寄って生き残る事を選んだファクトリア王国は、吸収されても生き残る道を選んだ。呼び出されて黙って聞いていた父王の言葉に、アレクサンドルは思わずニヤリとしてしまう。
「ファダールの制圧には私が出ます。制圧後、ファダールはグラフ帝国に全てあけ渡しますが、アリソンは私が譲り受けます。連れ戻った暁には王太子妃としますがよろしいですか?」
王太子が姪子に執着している事は知っていたが、我が子ながらしつこくて気持ちの悪い奴だとファクトリア王は思った。が、長子への餌は必要だし、悪くはない。裏切りのファクトリア王は、この地を治める公爵として帝国の傘下に下るのだ。姪子の命も、その時にまた使い道があるかもしれない。
「残念ながらその時にはわしは公爵で、お前は一貴族の子でしかなくなっているかもしれんがな?」
「かまいませんよ。では早速準備に取り掛かります」
クツクツと笑いながらアレクサンドルは父王の私室を出た。長子の狂気に顔をしかめつつも、能力はあるのでファクトリア王はアレクサンドルにファダール王国の制圧を任せた。
(ああ、なんて愉快な気分だ。とうとう俺の手中に、アリソンが落ちる日が来る)
こうして意気揚々とアリソンの元へとやって来たアレクサンドルは、少しずつファダール王城内へ潜入させていた兵に号令をかけ、一気に城を落としアリソンの父を処刑した。いくら戦に強くとも、ズブズブに他を信用するなど馬鹿な国だと思ったが、お陰でアリソンを妻に出来るのである。義叔父には感謝しかない。
一通り制圧時の采配を振るった後、やっとの思いで久方振りに会えた愛しの従姉妹に胸が震えた。が、憎い間男の名がその唇から零れると、感情を抑えられなくなった。
(ふん。まあいい。少しずつ懐柔していけば良いのだ。時間はたっぷりとある)
アレクサンドルはアリソンの心も手に入れた気でいた――