1 夢見の占い師
「さあ、今日も行ってきましょうか」
ベッドとテーブルに、椅子が1脚だけ置いてある空虚な部屋で、彼女は独りつぶやく。
必要最低限の物さえ無いように思われるが、これでも充分生活していけるらしい。
そんな寂しい部屋で、彼女は鬱々と暮らしているのかと思えば、そうでもなさそうだ。
「あっ、お茶がもったいないわね。いけない、いけない」
欠けたカップの中のぬるいお茶をグイと飲み干し、くるぶしまである長い濃紺のワンピースを着たその人物は、同じく濃紺のベール被り、颯爽と暮れ方の街へと繰り出した。
彼女はエルシィ・ロンディアーヌ。14歳の時から5年間、グラファクトリア国の首都グラファダで占い師をしている。
特徴的な銀色の真っ直ぐで長い髪と、純美で清楚な美しい顔を隠してしまうベールを目深に被り、間借りしている小さな接客用の部屋で、毎夜、客を迎えている。
夜のみ店を開けるのは、単純に、昼間同じ占い師稼業をしている者から、夜限定で安く借りられたから。
質素な生活も、夜働くことも、全ては節約するためだ。
ロンディアーヌ伯爵家の一人娘として生まれたエルシィは、田舎の伯爵領で慎ましやかながらも、両親と共に幸福な少女時代を過ごした。
伯爵家の令嬢としての生活が一変したのは、エルシィが13歳の時。
領地の1割以上も焼く、大火災が発生した事がはじまりだった。
領主である父も、伯爵夫人として家を切り盛りしていた母も、その時に亡くした。
ロンディアーヌ領は国の帰属となり、エルシィを引き取る親戚もおらず、彼女は天涯孤独の身となった。
火災が起きる3日ほど前、エルシィは夢を見た。
領地の一帯が炎に包まれ、多くの家屋や作物が炎にのみ込まれてゆく夢を。
妙な胸騒ぎがし、彼女はその夢のことを両親に話した。
だが、娘の見た夢の話に『怖かったね』と、両親から心配されはしたものの、正夢になるとは誰も思っていなかった。
その時から、彼女は予知夢を見るようになった。
占い師になったのは、そのことに気づき、元手も掛からない商売だったからだ。
「エル! 今日もそんな、未亡人みたいな恰好しちゃって~。ああ、勿体ない」
「や、やめてよ、ミランダ!」
エルシィのベールをピラリと上げ、顔を覗き込んでからかってくるのは、近くの酒場で踊り子をしている妖艶な美女ミランダだ。
路上占い時代に、ミランダの世話になった事があってからというもの、同じ生活リズムを過ごす者同士で仲良くなった。
今のエルシィにとってミランダは少し年上のお姉さんだが、数少ない友達である。
一人前の踊り子になったばかりでミランダも大変だったはずなのに、夜の街の数年先輩というだけで、よく面倒を見てもらい、生きる知恵をたくさん教わった。
「何回も言うけれど、そのモッタリとした服をいい加減やめたら? せっかくの綺麗な髪と可愛い顔が泣いているわよ?」
「わ、私はこの恰好が楽でいいの! それに、街に慣れるまで顔を隠した方がいいって言ったのはミランダよ?」
「何年経ったら慣れるのよ? それはまだ、エルが夜の街に不慣れで危険だった時に言ったのよ。親分とも仲良くしているんだし、もう堂々と歩いて大丈夫よ」
親分とは、この界隈を取り仕切る夜の世界のボスのことだ。
ならず者とひとくくりにすればそれまでだが、エルシィからすると、この辺りの治安を守る面倒見のいいおじさんだ。
ことある毎にミランダは、エルシィの艶やかでサラサラと流れる銀髪と、その愛くるしい顔立ちをもっと有効活用すべきだと言っているが、当の本人は自覚をしていないらしく、容姿の話になると途端に煙たがられる。
「今度、一緒に服でも買いに行こうよ。たまには自分へのご褒美も必要よ?」
「はい、はい。考えておくわね」
気のない返事を返され大袈裟に肩をすくめるミランダに手を振り、エルシィは店の中へと入っていった。
***
特段いつもと変わらぬ残夜、1人の客がやって来た。
「ここに、よく当たる占い師がいると聞いて来たのだが」
「よく当たるかどうかは分かりませんが、こちらで占いをしておりますよ」
とは謙遜しても、エルシィの占いはよく当たると評判になっている。
残念な事は、彼女自身の未来を見ることができない事だ。
「そうか。ならお願いしたい」
「かしこましました。何について占いますか?」
客にどのようにして占うのかは、秘密にしている。
客の前で眠って占うなんて、危険でしかない。
初回で占いたい事を尋ね、後日、結果を聞きに来てもらうのだ。
「その、あのだな……」
今日の客は、少々まどろっこしいタイプの御方らしい。
占う側からすれば、客の真剣な悩みも商売上必要な情報であって、深入りするつもりなど毛頭ないのだが。
「他言はしません。遠慮なくお話ください」
女性客が多いのだが、今回の客は珍しく男性だ。
わざわざフード付きの黒いローブを着て、顔や素性がばれないようにと気にしているようだが、占うエルシィからしてみれば、これまた詮索するつもりなど毛頭ない。
道端ですれ違った他人を、いちいち把握していないのと同じだ。
「……私は今まで、女性に好意を抱いた事がないのだ」
「そうですか。それで、その理由を知りたいのでしょうか? それとも、出会いの可能性などを知りたいのでしょうか?」
エルシィは、特別変わった客だと感じなかった。
もっと、変わった悩みを吐露する客もたくさんいる。
だから、臆せずに何が知りたいのかをハッキリ教えてほしいと、エルシィは思った。
「ま、まあ、その……、男に興味があるわけではないのだ。だから、単純にそんな気が起きないだけだと思っている」
「はい」
やはり、回りくどい客だ。客の中には、話を聞いてほしいだけの輩もいる。
だが、真面目なエルシィは、それだけでお金をいただこうとはしない。
言い方を変えれば、身の上話を長時間されるより、知りたいことを簡潔に教えてもらった方が、エルシィにとっては楽だし、手っ取り早く稼ぎになるのだ。
だが、優しいエルシィはそんな事さえ考えず、いつも黙って話を聞いてしまうのだが……。
根気よくエルシィが待っていると、意を決したのか、男がこう言った――
「……運命の人に出会えるのか、占ってほしい」