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__ 旅をはじめた件」

 翌朝――と思われる時間――まだ床で眠りこけているカミエを尻目に、ジュンは静かに地下牢を後にした。


 ギマランイス大教会の地上部の大理石の廊下は、ジュンがここに来てから初めて見る賑わい、あるいはあわただしさがあった。

 華やかな衣装で身を固めた神官たち、重装備に身を包んだ騎士たちが、ぱらぱらと往来している。別に祭りというわけではない。それどころか、行き来する者達の顔にはとても、とても固い表情があった。

「やぁ、ジュン。カミエとの夜はどうだった?」

 純白の神父服を着たミツキが飄々と現れた。

「別に、なにもねぇよ。――それより、これは何の騒ぎだ?」

「何って……言ってなかったっけ? 君がカミエを連れて『巡礼』に出てくれるから、みんなでお見送りの儀式をすることになったんだよ。僕はこんな儀式いらないと思うんだけどね」

「ちょっと待て、俺はまだ正式に受けるとは言っていないはずだが」

 普通こういう状況は、当事者が認めなければ進まないはず――――ジュンは険しく顔をしかめた。

 ミツキはにっこりと相好を崩した。

「そうだね。けど、どうせ君が受けるしかないから、それっぽい雰囲気になったら一秒でも早く儀式して送り出したくなったんだろうね」

「指示するのは、ここの司祭か?」

 ジュンはその司祭とはまだ顔を合わせていない。

「うーん、司祭もそうだけど、君も大司教にあったよね? あの人が来たら、ま……すぐに儀式が始めることになったのかな? ――そうそう、昨夜、君の姿が見えなくなってから大司教座下が僕のとこに来て、君が仕事を受けてくれそうか聴きに来たんだっけ。――僕は『はい』って答えた」

 ――お前のせいか。

 ジュンは自らの友を恨めしく思った。が、もはや後には退けない。

「それで? 儀式はいつからだ?」

「まだ準備ができてないから、二時間後ぐらいにはなるんじゃないかな? 君はおめかしして待っていなよ。――そうだ、カミエちゃんも起こして、綺麗な服を着せてあげなきゃ」

 そういうと、ミツキは地下牢に続く道へと消えていった。

 やれやれ……ジュンは覚悟を決めるように溜息をついた。







 静かで、厳かな空気の中、『黒き月の独り子』を巡礼の旅へと送りだす儀式が始められた。

 見た目は砦のようで無骨なこの教会だったが、儀式を行う聖堂は豪華絢爛な内装だった。ただ、窓はなく洞窟のような陰鬱さの中、無数の燭台がまばゆく輝いていた。その灯火の熱気、整然と並んだ神官・騎士たちのいきれで聖堂の空気は早くもムワァと暑苦しい。聖堂の祭壇に続く大きく開けられた通路に面して、剣を顔の前にかまえ微動だにしないジュンは、いつもは着けない羽根つきの兜を脱ぎ棄てたい気持ちを抑えるので精一杯だった。

 と、聖堂の大きな扉が開いた。――黒き月の独り子の入場である。熱気で若干緩んでいた一同に緊迫が走る。

 入ってきたカミエは、まるでウェディングドレスのような修道女服に身を包んで現れた。槍を持った十三名の騎士たちが、彼女に十三の穂先を突き付けている。彼女の手首には銀の手錠がある。だがカミエの表情に臆した色はなく、どちらかといえば早くも退屈しているような表情で、恐怖しているのは彼女に槍を突き付けている騎士のほうだった。

 微笑しているカミエは、聖女のような雰囲気を纏っていた。とても裁かれるべき、いむべき大罪人とは思えない、神々しいまでの美しさ。見る者の心を無条件で恐怖させつつ、同時にその美しさで魅了もしていた。白い肌は燭台の蝋よりも白く、ターコイズの瞳は星のように輝いている。背のなかほどまで伸ばされた金の髪はよく梳かされ、彼女の動きにあわせて微妙に、喩えるなら春の木漏れ日のような美妙さで揺らめき、輝いていた。

 ゆっくりと、上品な動作でカミエは祭壇まで歩んだ。通路を固めるジュンの前を通る時は、ちらりと横目でほほえんだ。――覚えず、ジュンの胸がざわついた。――決して恐怖ではない、別の感情、感動に。

「すっごく綺麗になったと思わない?」

 カミエの背後についていたミツキが、ジュンの前を通る時に話しかけた。

「……あぁ」

 今のカミエは、さすがに非の打ちどころがなかった。化粧もしっかり決められていて、シャープな輪郭がジュンの好みどおりだった。

「素直だね。――さ、君もおいで。君もまたこの茶番の主役なのだから」

 言われたとおり、ジュンはミツキと並んで祭壇へと登った。

 登場が終わり役者がそれぞれの位置に着くと、壇の裾からこの儀式を司る大司教が現れた。恰幅のよい年配の男性は、豪華な衣装を重ねて着てさらに膨らんでいた。暑いのだろう、汗をかいている。――カミエは涼しそうだな、とジュンは彼女を盗み見た。おそらく感覚が違うのだろう。

 意味のなさそうな長さだけはだらだらとしている口上で儀式がはじまった。

 誰が考えたのか分からない、意味不明な儀式。――本来、これまでの『黒き月の独り子』に対しては、この儀式で独り子の力を封印するなどの魔術的な処置が行われていたのだろう。だが、今回の相手は少し違う。七那瀬・神恵は妙な術をかけられようものなら即座に抵抗する。そして、彼女の抵抗をおさえることは、この場の全員が束となってかかっても難しい。この場の者達はすでに彼女の恐怖を植え付けられている。刃を鈍らせる恐怖があっては、ますます彼らは、カミエの前では赤ん坊のようなものだ。

 だから、この儀式は形式だけだった。魔力のある聖句を込められた聖歌も、音楽も、いっさいの魔力を抜かれて奏でられる。奇妙なマスゲームも、剣舞も、ただ形どおり演じられるだけだった。

 ジュンは退屈しきってぼんやりとこの進行をみていた。決して顔に退屈の表情を見せることはないが。

 カミエといえば、半分眠ったような危うげな感じで立ち続けていた。ミツキは特に感慨も無く、微笑を顔に張り付かせていた。






.

 ――ふと気がつくと大鋏を持った神官がカミエの傍に立っていた。


 カミエは夢うつつで気がついていない。しかし、神官が彼女の髪に触れた瞬間、カミエが眼を見開いた。

「――何?」

 鋏を持った神官と距離を取りつつ、カミエは問いかける。

 カミエの蒼い双眸に睨まれた神官は、とたんに鋏を取り落としそうなくらいに動揺しはじめた。

「何と問われましても、髪を切るのですよ。我々の信仰では、女性の信徒は髪を短くし、布で隠すことを、奨励されているのです」

 緊張した神官はつまりつまり、敬語で答えていた。

 カミエの表情が険しくなる。

「私、信徒になるって言った覚えがないんだけど」

「言いましたよっ。先ほど、我々の問いかけに貴方は是と答えましたよ」

 カミエは一瞬考えた。

「――覚えてない」

「言いましたよ」

「じゃあ、なかったことにして。私、髪を切るなんて嫌だから」

 そんな……、と神官が凍りつく。

 窮した神官は、なりゆきをぼんやり眺めていたジュンに視線を向けた。しかしジュンは何と言ったものやら、と逡巡する。となりではミツキが面白そうににやにやしていた。

「もう儀式を切り上げられないのか?」

 ジュンは小声でミツキに問いかけた。

「無理……かな? ここまでもかなり儀式の流れを変えてきてるし、これ以上土壇場での変更は難しいかなって思うけど」

 ――さて、どうするか。

 放っておくのも一つの手だが、カミエが本気で怒りはじめれば手が付けられなくなる。髪を切ることを勧める気は毛頭なかったし、しかし神官たちがやろうとしていることに異議を挟むのも面倒。

 やはり放置して、傍観することにした。






 ざわ――






 不意に、奇妙な空気を感じた。敵の気配。しかし人間の軍団とか、魔獣モンスターの群れでもない。否、モンスターであるようだが、ただの魔獣ではない――

混沌獣カオティックか……?」

 ジュンが気が付いた刹那、教会に仕掛けられた結界が発動し、教会がガラスをひっかくような音を立てて震えはじめた。

 聖堂に集まった神官、騎士たちがどよめく。大司教が壇の前に出て一同に声をかけようとしたが、次の瞬間だった。

 ドン!――――強固な聖堂を揺るがすような衝撃が走る。

 頑強な教会の壁を突き破り、巨大な黒い角が生えた。――カオティックだった。侵入はしてこないが、壁を破ってくるのも時間の問題。

 突然の襲撃に、聖堂の者たちは恐慌状態に陥った。カオティックの角がのぞいている壁から遠ざかりつつ、おし合いへし合い出入り口へと殺到する。

 ジュンはとりあえず騒がず、鎧の装着具合や腰のベルトに挟んだ聖符を確認しながら、周囲の様子を観察した。

 大司教は真っ青になって立ちつくしている。他の神官はみな壇から飛び降りて逃げてしまった。――とりあえず、ジュンから見て左手の壁以外、敵が破ろうとしている壁はない。

「お、行くかい、ジュン? なら、僕もやろうかな。――久しぶりに二人で暴れてみようか」

 落ち着き払って、ジュンは羽根の付いた兜を脱ぎ棄て、剣を抜き放ってカオティックへ向かって歩きはじめた。布地の多い神父服を着たミツキも、ダフダフと服を揺らしながら、楽しそうに笑いつつその後を追う。

 壁の向こうから角を突き入れているカオティックは、おそらく象より大きいだろう。突きこまれた黒い捩くれた角が振られ、聖堂が低く大きく悲鳴を上げた。

 左手に楯、右手に剣のジュンが身構えた。


 しかしジュンが飛びかかる前に、眩い閃光の柱が黒い角をへし折った。。


 くおぉぉぉん――カオティックの悲鳴が高く、かつ低く、壁の向こうから魂を震わせるようおぞましく響く。


「――あいつか!」

 思わず背後を振り返ったジュンの視線の先、光の翅を背中に出現させたカミエが、カオティックに向けて右手の平をかざしていた。

 凛とした、その立ち姿。力強く、神々しい雰囲気は思わず息をのんで見とれるほどに。

 ジュンが見ている中、カミエは立て続けに光の砲撃を三発放った。

 どれも雷が間近に落ちたような迫力。人間が魔術で同じくらいの出力を出そうとするなら、相当長い儀式詠唱と少なからざる精神アストラル力を必要とするだろう攻撃を、カミエは力を入れた様子でもなく一息に放つのだった。

 光の砲撃は教会の壁を貫き、その向こうのカオティックを強烈に打撃する

 カオティックが倒れる気配がした。だが同時に闇が濃くなり、その巨大な角付きのカオティックが再生し始めようとしている気配も伝わってくる。

 ジュンはすかさず壁の穴を目指した。しかし、

 ふわ――光が舞い降りる、

 全身にチカラを纏ったカミエが、彼の行く手を遮るように降り立った。

「ねぇ、私にまかせてよ。あいつら嫌いだから、私がやっつけちゃいたいんだ」

 カミエは弾むような声で言う。化粧の乗った美しく整った顔には、満面の笑みがあった。

「ふざけるな。さっきは不意を突かれたが、これ以上の勝手は許さん。――お前は黙ってひっこんでいろ」

 ジュンは不愉快だった。自分の戦いに横やりを入れられたような感じで、――何故か、彼女に『戦ってほしくない』と思って。

 カミエは残念そうな顔をして渋った。

 そこに、まぁまぁ、とミツキが割り込んだ。――その彼が何を言おうとしているのか、ジュンは予測してしまった。

「先に言っておくが、こいつの言う通りにしようなんて、俺は認めないぞ」

「察しが良くて助かるよ。――でもね、本当に、カミエちゃんに任せるのが楽だよ。って、君は楽したがらないだろうけど。――そうだね、この機会に彼女の力を見極めるというのはどうかな? これから彼女を連れて歩く上で、一度は知っておくべきじゃないかな、彼女の力の強さ――――恐ろしさを」

 ジュンはもちろん納得できない。けれど、ミツキの言い分は一理あった。一度戦ったことがあるとは言え、今の彼女がどのくらいの力を持つのか、その力をどのように使うのか、知っておくのに損はなかった。

 わかった、とジュンは鈍く答えた。

「じゃ、行ってきます。あんまりここを壊さないようにしてあげるから」

 背中の二枚の白い翅が、一層強く輝いた。

 とん――軽く床を蹴ると、彼女は重力を無視して浮遊し始めた。

 白いドレスが、空気の中でやわらかく揺れる。流れるような金髪は、光を纏って幻想的に風に舞う。



 天使――――そう喩えずにはいられない、絶対的な美しさと奇跡的な愛らしさで身を飾り、彼女は戦いへと飛びこんでいった。








 教会を飛び出すと、彼女はまっすぐに天上に昇った。

 彼女は翳った太陽を背に、空の高みから地上を見下ろす。

 地上を闇で覆う、忌わしきカオティック。

 淡く虹色に輝く、二枚の白光の翅。大きく開くと、無数の光の矢が放たれた。

 まるで、天が裂けたような衝撃。

 轟音が空気を震わし、大地が爆ぜた。閃光が人々の眼を眩ませ、闇に淀んでいた地上に光が溢れる。

 それは神の怒りの象徴たる雷の如く。

 神を崇める教会を、神の雷が包んだ。闇をことごとく打ちのめし、空が慄き、風が狂ったように吹き荒れた。


 ――瞬く間の出来事だったと、事後に語る者がいた。


 混沌より生まれた獣は、二十体以上いた。どれもこれも大きなものばかり。ギマランイス教会の者たちが総がかりで、万全の態勢で迎え撃ったとしても勝てたかどうかわからない、その敵勢。

 だが、光と舞う少女はいともたやすく、白い稲妻をもってわずかな間にその大部分を滅した。



 教会の石垣に、一文字に切り裂かれた痕跡があった。

 強い光によって数日間眼を痛めた者によれば、『彼女』が右手からのばした大きな光の刀により、カオティックごと切り裂いたという。


 建物の外壁が、匙で掬われたように削がれた部分があった。

 三日経ってもなお歯の根が合わなかった者によれば、彼女がカオティックに向かって投げつけた光の球が、狙いを外れて炸裂し損傷させた後だという。


 離れて設置されていた倉庫が総崩れにされていた。

 命からがらその場からのがれた者が語るには、自身の二十分の一ほどの少女に蹴り飛ばされたカオティックが激突し、倉庫を押しつぶしたとのことだった。




 カミエは戦士ではなかった。力の使い方を知らず、力任せに攻撃する。それはジュンが彼女と対峙した時と同じだった。

 だがカミエの力は無尽蔵で、どうしようもないほど強力で、結果的に彼女の戦い方を肯定することとなっていた。

 雄々しく、荒々しく、恐ろしくも美しい――喩えるなら、銀の月下に舞う激しい吹雪のような、身も凍らせるほどに華麗に、

 嵐のような、雷雨のような暴力をもって、

 彼女は微笑とともに勝利した。








 一騎当千の活躍でカオティックを蹴散らしたカミエは、戦いが終わった直後、特に疲れた様子も無く風の中でほほえみながら立っていた。その様子は、軽い運動をして息を弾ませているといった感じだった。


「派手にやったねぇ。これ直すの大変なんだよ」

 ミツキが親しげに笑いかけながら言った。

 カミエは少し困ったように笑いながらジュンとミツキに向き直った。

「あはは……これでも手加減しましたよ。じゃなかったら、この教会なんて今頃瓦礫の山だって」

 ――瓦礫すらも残らないだろうな。

 ジュンが声に出さずに呟いた。

「さて、これからどうしようか?」




「座下……富岡・リヌス大司教……!」


 遠くから、声が聞こえてきた。

 歴史あるギマランイス教会の半壊を目にして、それを引き起こした『黒き月の独り子』の活躍を目にして、呆然自失となっていた大司教の意識に呼びかける声があった。

「あ、あぁ……壷はそこに置いといてくれ……」

 大司教のうわ言。

 三者三様の反応が生まれる。

「……?」

「壷はここにないよ、ねぇ? ジュン」

「あー、この騒ぎで司祭のコレクションも全部割れたかな」

 大司教はまだ帰ってこない。

 仕方がないので、ジュンは彼の肩に手をかけ揺さぶった。

「なんだ、俺は壷を運ぶのに忙しいんだ……――って、なんだ? ここは何処だ?」

 我に帰った大司教。

「音無・盾――そうだ! まだ儀式の最中ではなかったか? ……おい、これは何だ! 一体どうしたら……」

「大司教、そのことなのですが――もはや儀式の続行は不可能ですし、ここの者達のことも考えれば、私どもは早々に出立するのが良いかと私は思います」

「あ? ――だめだ。儀式はやらなければならん。そのために俺は――私はわざわざ来たんだぞ。明日……は無理でも、明後日には何とかなるだろ?」

 大司教は頑なだった。動揺が残って口調が揺れていたが。

 ジュンとミツキ、それにカミエは顔を見合わせた。

「僕が何とかしようか?」

「……いや、もう少し俺が話してみる」

 ジュンが再び向き直ると、またしても大司教は遠い虚ろ目で聖堂に開けられた穴を見ていた。


「座下――(大司教はびくりとした)――私は特級十字騎士カルキストとして言います。教会内のすべての位階から、すべての派閥から独立した者として、私は今この場で、にこの『黒き月の独り子』を連れて巡礼の旅に出ることを宣言します。座下にはそのことをお耳に入れておかれ、上部に報告して下さるようにお願いします」


 ジュンの口調が少し強いものになった。

 その凛々しい態度にちょっとびっくりしたカミエの眼前で、大司教はしぶしぶ首を縦に振った。

「そうか……わかった。そなたの旅路に我らが奉る神の祝福があらんことを」

「ありがとうございます。座下におかれましても、神の祝福が共にあられますように」




「本当は後からつけて行きたいくらいだけどね……今は折悪く紅烏アカもいないから、ここを離れられないよ」

「そうか。いや、別についてこなくていいけどな。――後始末を頼む」

「はは、任せておいてよ。カミエちゃん、ジュン、二人とも仲良くしてね」

「もっちろん。きっとラブラブになってみせるよ」

「……」


 少し日が傾きだした時間帯、ネズミにかじられたチーズのようになった教会の大門の前。

 ジュンは馬に乗って手綱を取り、カミエもその後ろで横乗りしてジュンの身体に腕を回している。ミツキは儀式用の豪華版の神父服のままで、二人の見送る姿勢となっていた。

 カミエは衣装を替え、フリルのついたチュニックと灰色のハーフパンツの上に、聖職者用の外套を少し崩した白いブレザージャケットを羽織ったいでたちになっていた。馬に乗るために、金の髪は軽く一束ねにされていて、風の中にふわふわと揺らめいていた。

「またね、ジュン。今は君の力になれないけど、近いうちにまた会えるよ。――君から会いに来てくれる」

「――? まぁ、こいつ届けて暇になったら来ることもあるだろうが」

「いやいや……そうじゃないけど、ふふ……」

 ミツキは思わせぶりに笑った。

 ジュンはそんな彼を訝しむが、深く考えるのは止めた。

「じゃ、そろそろ行くぞ。カミエ、振り落とされても拾ってやらんぞ」

「嘘。置いて行ったら仕事にならないじゃない。――それより、こっち見て、ジュン」

 ジュンは馬上で上半身をひねって、背後のカミエを見た。

 カミエの視線は、ジュンの眼の位置より十センチメートルほど下にあった。少し、いつもより熱っぽい瞳でカミエは彼を見上げていた。


「ねぇ……昨日話したこと、忘れてないよね」


 一瞬、忘れた、と答えたくなった。――しかし、本当は一言一句まで覚えていたので、嘘をつけない聖職者故に、彼は是と答えるしかなかった。


「――恋人になったら――」


 沈黙があって、口を開いたのはジュン。

 だが言いかけて、ジュンは心拍数の急上昇に耐えきれず、一度言葉を詰まらせてしまった。

 カミエは黙って言葉を待っていた。ミツキは気配を殺したように静かにしていて、荒野の中で聞こえるのは、半壊した教会で騒いでいる聖職者たちの声だけだった。

「――俺の恋人になったら、俺の言うことに従うか? 俺の手を煩わせないか?」

 平坦な声でジュンは言った――つもりだった。

 応えて、カミエはにっこりと唇を引いた。夜を誘う三日月のような、妖しい微笑だった。

「うん、わかった。ジュンの言うこと、何でも聞くよ。ジュンのためなら、なんでもする」

「……お前は、何もしなくていい。……ただ、俺についてくればいい」

「うんうん。じゃあ……キスしてよ」

 ジュンの顔がひきつった。

 だが彼の眼前で、ゆっくりと、朝霧に震える花のように瞼をとじるカミエを見たとき――――ジュンは知らず識らず、唇同士を重ねていた。

「……ん…………」

 彼女の唇は甘かった。――まるで、心を狂わせる毒のように。だがそのような毒を人は、貪らずにはいられない。

 唇を触れ合せた瞬間、ジュンの頭から一切の思考が消えた。

 ジュンはカミエの頭を手で包み、またカミエもジュンの頬をたおやかな白い手で包み、二人は狂おしく唇を押し付け合い、さらには互いの舌と舌を絡ませた。

 欲望の花が咲くような、淫らで、なまめかしいキスシーンだった。

 割と長い時間、二人の口付けは続いた。

 唇を離すときも、名残惜しむようにゆっくりと離した。

「大好き……」

 蕩けるような甘い声で、カミエが囁いた。

 その艶めいた、宝石のような蒼い瞳。――ジュンは引き剥がすように視線を逸らし、濡れた唇を手で拭ってから手綱を握り前を見た。

 意識は炎に炙られたように焼けついて熱っぽくなっていたが、無理やりに押さえつけ、冷静さを顔に張り付けた。

「――行くぞ。――ミツキ、達者で。お前に神の導きがあるように」

「君にも、神の加護があるといいね。――――」

 ぱしん、と馬の腹を蹴り、ジュンは並み足で馬を歩かせはじめた。




 ――これは、狂おしくも楽しい物語になりそうだね。

 思ったとおり、と旅立つ二人の背を見送るミツキは思った。




 ――大好き。

 その声が、耳から離れない。

 ジュンは、遠い北の空を見上げ、この心が冷たい鉄の刃のようになることを祈った。

 お前のことなど好きにはならない――――何度も、何度も心で繰り返していた。

第一話からそんなにあいだ開いてないですか?

次回からはどうなるか分からないですが。次回は時間は第一話の続きに持ってきて、三角関係をやろうと思っています。

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