act5「海辺に寄った一行が騎士を
Q・あなたとジルコニアとの続柄は?
「え、えと、なんだろうな……
あ、そんなところ触らないでっ。俺は妹だと思ってるんだけど向こうはそうじゃないんだよっ」
Q・あなたはジルコニアを妹だと思う理由は?
「な、なんとなく?
あ、はい有体に答えます! 俺が十歳まで家にいた時は俺以外に子どもなんかいなくて、でも夢で見たんだよ、生まれたばかりの妹が連れ去られる夢――そう、記憶みたいな、忘れていたというか封印されていた記憶が垣間見えたような感じで。お袋が泣いて、赤ん坊の妹が叫んで、親父が怒鳴っていたけどそのうち変な音楽が聞こえ始めてみんなが眠ってしまう――――そんな夢なんだ。
はじめてその夢を見たのは七歳くらいで、そのあとも何度か見たんだよ。何かの思い込みかと思ったけどそれじゃ納得できなくて、親に聞いたけどもちろん知らないって言われて、結局納得できなくて十二歳で旅に出たんだ。旅に出る前に槍術を習ったりして力をつけてな。世界中回って、あいつと出会ったのは二十歳の時、旅に出て八年後で今から一年と少し前くらいだよな。夢ではあまり顔とかは判らなくて、でも顔を見た時はなんとなくこいつが俺の妹だってわかったよ。顔の作りも似てるし……まあ、あとは勘だけど。
その時十歳だったあいつは吟遊詩人としては旅に出だしたばっかりなのに、すでにどんな吟遊詩人に勝るとも劣らない技術を持っていた。街中で、多くの人に囲まれて音楽を奏でるあいつを見たとき居ても立ってもいられなくなって、その人垣をかき分けてあいつに声かけた。
なんて声かけたものか迷ったけど、結局そのままあいつが俺の妹じゃないかって言った。
あいつはその瞬間すごく嫌そうな顔をした。吟遊詩人には家族はいない、いらない。生んでくれた親はいるはずだけどその記憶は抹消されているはずだし、その兄弟も同様。だから俺の考えは単なる思い込みだってあいつは言った。
でも俺がそこで食い下がったらあいつは俺に詩人守護者になれって言った。断る理由はなかったから、俺はあいつと契約してそれ以来ずっと旅してる」
Q・吟遊詩人とはどのように生まれるの?
「さぁ……なんか一年に五人くらいずつ、その年に世界中で生まれる赤ん坊の中から才能のありそうな赤ん坊を選んで攫って来るらしい。そのとき家族の記憶からは赤ん坊のことを消す。だから吟遊詩人は天涯孤独として育つらしい。
え? なんでそんなことするのかって? 知らねぇな……って、くすぐるなカミエ! 知らないものは知らないって……!」
「カミエ、それくらいにしろ」
「あ、やっとジュンが話しかけてくれた。もうこのまま無視されたら行くとこまで行っちゃうところだったよ?」
「……お前がそれでいいなら、俺が相手にするわけないだろう……」
「え? ジュン、聞こえないよ?」
「…………」
「おわ! いきなり剣を抜くなジュン! 俺は何も悪くない!」
ギシ、と椅子を軋ませ若き騎士は不機嫌に座りこむ。
二つベットの部屋の中、ソウジに割り振られたベッドの上ではカミエがソウジの上に覆いかぶさっている。何かなまめかしい行為に及んでいるわけではなく、ただ雨で退屈したカミエがソウジを尋問していただけだ。
その尋問の内容は先に記したとおり。ジュンは傍で見ていたので事情は理解しているが、自分の護送する金髪の美少女の行為にやはり呆れるような苛々するような落ち着かない気持ちを抱いていた。
「でも……ジルちゃんは兄弟がいらないのかな? ソウジみたいのがいるんなら嬉しいと思うんだけど」
「その言葉で俺は報われるよ。――けどよ、兄貴がいると言うこと聞かないとならないっていうか兄貴を立てないといけないっていうかそんなこともあるし、あとあいつは吟遊詩人として、すべての物事を音楽として記録する者として必要以上に情けを持たないようにしている部分もあるから、兄弟がいると邪魔なんだろうな」
「ジルちゃんって仕事熱心だよね。仕事に生きてるって感じ。お、ジュンに似てる! そういえばジュンもトウヤのことを嫌がってたよね」
「別に……俺は仕事のためにあいつを拒絶したことはない。お前も見ただろう? あいつは性格的に問題があるんだよ」
「うーん。兄弟がいると面倒なことも多いんだね。ソウジはジルちゃん以外に兄弟はいないの?」
いない、とソウジは答える。
そっか、とカミエは空いているジュンのベッドに倒れこむ。
そこで呟く、「暇だなー」の一言。ソウジも同意する天候は雨で出かけられない、出かけられないということもなくジルコニアは雨具をつけて何処となりと行ってしまったが、カミエとソウジはわざわざ旅の宿を取ってまで雨の中出歩きたくない気分で、為す術なくつきまとう退屈と共にベッドの上で転がっていた。――ちなみにジュンは啓典を読んでいて特に暇を持て余している様子ではない。
そして二人は退屈以上の落ち込んだ気分を味わっていた。
「明日は晴れるよね? 明日晴れなきゃ海で泳げないでわたし死んじゃうよ?」
「そうだよな、せっかく海辺に来てるって言うのに泳げないってないよな。どうせ、明後日には絶対に出る船に乗るつもりなんだろジュン?」
「あたりまえだ。海水浴など俺の知った事ではない」
「うぅ、雨降ってても明日は泳ごうかな? 私は風邪ひいたりはしないからね。――そういえば、ソウジは今まで海で泳いだことあるの?」
「前の夏にジルコニアと泳いだぞ。ちょうど俺達が乗る船の着く街の海岸だったが、あんまり水が温かくなくて楽しくなかったな。ていうか、海で遊びたいって言ったのはあいつなんだがすぐに飽きて、俺は思う存分泳げなかったんだよ」
「ジルちゃんって運動するの好きなのかな? あんまりそうじゃない感じだよね?」
「あぁ、好奇心は強いけど身体を動かすのは嫌いだな、あいつは。俺は身体を動かすのは好きだが頭を使うのは嫌いで、ま、兄妹対照って感じだよな」
「明日晴れるといいなー」
そしてカミエは瞼を閉じる。
少女が微かで慎ましげな寝息をたて始めるころ部屋の中で話す者はなく、書物のページをめくる音と、単調な雨音だけが部屋に響いていた。
「初めての海ー!」
「よっしゃー、泳ぐぞー!」
「いっくぞー!」
「待ってよー、お兄ちゃんお姉ちゃんー!」
――馬鹿共が。
太陽を真っ白に照り返す砂浜を水着姿の三人が走っていくのをジュンは冷めた目で見送った。彼は炎天下の中でも武装した姿で砂浜の上に座りこんでいる。
雨が降った前日と打って変わって突き抜けるような晴天。雲ひとつなく澄み切ったターコイズブルー。真珠を振りまいたような砂浜には四人だけではもちろんなく、他の一般人もたくさんいる。
宿屋で水着の貸し出しを行っていた。肌触りのよい特製の防水布でつくられ色も鮮やかな水着だ。三人が借りた水着は、ソウジが蛍光緑のトランクス型、ジルコニアは桃白の横縞が入ったセパレーツ、そしてカミエはスカイブルーが輝くフリル付きのビキニ。カミエの白い素肌が真珠のごとく輝くのをジュンは凝視したりは……しなかった。しなかったと本人は主張する。
「ほらほら、俯いてないでお姉ちゃんの水着姿よく見なよ」
「――!」
何故かジルコニアが戻ってきていた。小麦色の肌に水滴はなく、泳いで戻ってきたというわけではなさそうだ。
いつもはぶかぶかの服を好んで着ていて雰囲気もどこか大人びているジルコニアだが、こうして水着という防御力の低い服を着ていると彼女が小さな少女にすぎないことがよくわかる。普段は帽子で隠されている黒い短髪は黒金のごとく輝く。新鮮――いや、珍しい光景だとジュンは思った。
「やっぱりお姉ちゃん、ちょっと胸が小さいよね。パッドでも入れたほうがいいのかな……」
あいつはあれぐらいで良い、とかなんとか答えそうになる自分をジュンはぐっと抑える。
「何故ここにいる?」
「えー。だって二人ともいきなり海に飛び込むんだもん」
言われて見てみると、ソウジとカミエはイルカよろしく元気いっぱいに浅瀬を泳ぎ回っている。
「泳げないんだな」
「お、泳げるし! ちゃんと浮くもん!」
「おいこらー! お前の妹ここで拗ねているぞー! ――ぶっ!」
「な、何いってるのよジュンお兄ちゃん。あたし拗ねてないし誰の妹でもないし!」
ジルコニアの渾身の力で蹴り飛ばされたジュン。背後からとはいえ受け流しもできず転がった彼も、やはり開放的なビーチの空気に影響されて気分が緩んでいるのかもしれない。
「おーなんだなんだ」と一度の呼びかけで反応して海から上がってくるソウジ。逞しい肉体が水に濡れてギラリと照る。
「あーそうかそうか。お前泳げないんだっけ――って、いきなり股間ねらうな!」
「あたし泳げるし!」
「はいはい! 泳ぐのが嫌いなだけですね! じゃあビーチバレーでもするか?」
若干ご機嫌な斜めのジルコニアを見事にあしらい連れて行くソウジ。その姿はやはり兄と妹にしか見えない。
――どうでもいいことだが。
砂浜を管理しているテントからポールとネット、それにボールを持って来てソウジが中心に手際よく準備する。
ポン、ポン、と小気味良い音を立ててビーチバレーが始まる。ソウジとジルコニアがペア、カミエは一人で二人を相手にするが『黒き月の独り子』としての能力か二人がかりの攻撃にも余裕で応対。ポニーテールに結んだカミエの髪が軽やかに跳ねるのに十秒ほどジュンは視線を取られてしまった。
――何故ここにいるのだったか?
三人の見張り……というわけだろうか? いつもは三人がどこにいようとさほど気にしていないのだが、…………ああ、そうだ。昨日も部屋に籠っていたから今日は外出しようと思い……
ならここに座っている必要もない、とジュンは結論して立ち上がる。どこかで素振りでもしてこよう。
海岸から少し歩いたところに木立があり、すずやかな木陰のあるそこで稽古をしようとジュンは踏み入る。
「あ、誰か来るよ」
「むむ、せっかく良いところだったのに」
二人の若い女――少女と呼べる二人が姿を現した。二人とも水着姿、ここに涼みに来たのだろうか。一人はジュンと同じくらいの長身で、引きしまった身体に黒いワンピース水着を身に着けた姿はイルカのような曲線美が際立っていた。
もう一人の方が強くジュンの目を引いた。背丈は女性として標準、カミエより少し高いくらい。髪が膝裏まで届くくらいに長く真紅で、それと同じ色のビキニに隠された胸は高々と突き出ている。肌の色は抜けるような白、バストと対照的にウェストラインはきゅっと締まりピップはまた軽く突き出ている。理想的な女のラインだとジュンは思った。
「あら、何か用かしら?」
その真紅の女が話しかけてくる。瓜実顔に二つ輝く賢明そうな双眸も紅玉色で、それがまたジュンの注目を惹きつける。
――淫蕩は禁じられているのだったか。
特に相手が異教徒の場合は。一神教徒であるなら水着姿でふらふらすることはないだろう、しかしこの女を見す見す逃すのは惜しいと若い男性の本能に揺さぶられてジュンは考える。
どうやって話しかけようかと逡巡しつつジュンは彼女達と六歩ほど離れた位置まで近づいた。
「具合でも悪いのか?」
「どうしてそう思うの?」
「ここは虫が多い。水着姿で来るには適さない場所だろうということは分かるだろうし、それでも来ているということは何か事情があるのだろう」
「ふーん、で、あなたはその事情を言ったら手を貸してくれるのかしら」
「異教徒に助力するのはあまり褒められたことではないが、困っているものがいたら手を貸すのが騎士というものだ」
「異教徒だなんて、この真夏のビーチでそんなことは考えっこなしだわ。あなたこそ、そんなマントをつけてこの太陽の下をうらうらしているのは可笑しいわ」
女が歩みよって来る。ジュンはこのとき警戒していなかったが、それにしても紅い女は相手に反応を許さない不思議な動作で彼に近づき、彼の両肩に手を伸ばした。
「ほら、すずしくならない?」
間近で聞く女の声は若干ハスキーで、甘くどろりと耳朶に流れ込んできた。
「邪念が多そうだわ。それでも神に仕える騎士なのかしら?」
「お前がマントを脱がしてしまったからな」
女の顔が近づいてくる。
キスされるのかと思ったが、違った。否、女は彼の唇には口をつけなかったが、その代りに首筋に口をつけた。
甘美な電流が脳を駆け巡る――と思った瞬間!
ざくりと首筋に、そこの血管に刺さる痛みを感じた。
「か……あ………」
(痛い? 大丈夫よ、殺しはしないわ)
脳の中に、血液を伝わって聴こえてくる声。
ぞろり、と血を吸われる感覚。吸血鬼かと不快感とともに思うと同時に、えもいえぬ快感も同時に覚えた。
――なんにしても、情けないな。
女の色香に惑われたことを後悔するジュンの意識。しかしその思いもすぐに闇の中へ無抵抗に引きずり込まれていった。
今日は暑いです。もう何年も泳いでいません。