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__ きた魔術師と戦う件」

 ○


 ジュンが謎の魔術師と戦闘を始めたころ、カミエはようやく須藤・花憐の家を訪ねていた。

 須藤の家はリフォームの仕上げとばかりに、七人くらいの男たちが資材を運び入れたり出したり、ドンドンと音を立てながら熱心に働いていた。どうやら、どの男たちもこの大仰な外装の家を改築することを楽しんでいるようだった。

 その男たちに会釈しながら、カミエは家のドアを叩く。

 すぐにカレンは顔を見せる。毛織物のチェックのエプロンをつけていて、可愛いなとカミエは思った。

 ドアの中に入ると、外で活動している男たちの他に、中から何人かの人の気配をカミエは感じ取った。カレンは言葉少なく、何か秘め事しているような頬笑みでカミエを引率して家の奥まで誘う。危険である感じはないので、カミエは予測できない事態にわくわくしながら、自分より少し高いカレンの背を追った。


「来た来た。――うわ、可愛い!」

「ホント、何これー!」

「かわいすぎだよ、カレン」

「まさか、ここまでだったとはね」

「村の外の女の子はみんなこうなのかな?」

「そうかな? ……いや、そうかも。うわぁ、どうしよう?」


 花が咲き乱れていた。


「な、何かな、これは?」

「あぁ、せっかくだから他の友達も呼ぼうって思って。カミエ、嫌だった?」

「う、ううん。別に……。でも、このテンションは?」

「カミエが来る前に、準備しながら神恵って女の子がどんなに可愛いか話してたの。そしたらみんな盛り上がってくれたの」

 カレンは悪戯っぽく笑う。

 カミエに言葉はなかった。自分を囲む高いテンション、久しく見ることのなかった年の近い女の子と共にいる光景。カミエは弱々しく笑うだけだった。

「あ、カミエちゃんが困ってるよ」

「みんな騒ぎすぎかな? ほら、ミク、飛びかかろうとしない」

「でも困ってる顔もかわいい」

 カミエの様子を見て女の子達のテンションが少し下がった。

 及び腰になって場合じゃないか、とカミエは自分を奮い起した。

「あー、気にしないで。私は大丈夫。――みんなに会えてうれしいな」

「うわ、そんなこと言われたら鼻血出そう」

「えっと、まずはお話しするのかな?」

「まずはお菓子を作らなきゃ」

「本当、何も食べるものないんだもの」

「何作る?」

「あたしオレンジのタルトが好きー」


 少女達の時間は過ぎていくのだった。



 ○


 野外では雨がしとしとと降っていた。

 敵は魔術師――属性は水、形式は言霊、ジュンは木の陰に隠れながら分析する。

 雨が降ること自体は向こうの有利に働くはずだが、幸か不幸か雨脚が弱いせいで森の中はあまり降ってこない。もっとも、敵は雨天を作戦には組み込んでいないようで、ときどき挑発に雨粒を飛ばしてくるようだった。特に索敵に優れているわけではないようで、静かに木々の影に隠れれば敵はこちらを見つけない。だがこの森の中も決して良い戦場ではなかった。諸所に魔術的なトラップが仕掛けられており、注意しなければひやりとさせられることもあった。


 戦況は膠着状態。


 だがペースを握っているのは敵の魔術師の方で、彼が本気になればいつ炙りだされてもおかしくない状態。

「剣が使えないのがこれだけ不便だとはな……」

 さきほどの会話に織り込まれていた言葉――『剣は使えないんでしょう?』――それは暗示のようなもので、無意識の領域に打ち込まれた言葉の楔が、剣技を使う心と体の接続が狂わした。ジュンは剣技だけではなく、格闘術、それに魔術も使えるが、これだけでは本職の魔術師の相手にはならない。

 だが、逃げることはありえない。

 ジュンは聖符を一枚手に取る。羊皮紙製の札には、炎に囲まれた一冊の本が描かれている。聖人達の物語を記し、悪しき物どもを炎で排斥する術式を編み出した聖女ヴァルプルガの力を借りるための聖符だ。


『神と聖人達の名のもとに盛る炎のなかに、異教の魔術は無力なり』


 ゴオ!――

 雨雲に翳っていた森の中を、真紅の炎が赤く照らし出した。広く放たれた魔術の炎は木々を焦がし、やがて着火する。

「神の名のもとなら、どんな行いでも許されると思っているのか――」

 炎に包まれた魔術師が言った。暗い声で、憤るように。

 魔術師は霧のようなもので身を包んで、炎に焼かれることはない。

「失せるがいい、神を畏れぬ者め。教会騎士の我がお前を裁く!」

 魔術師の背後から飛びかかるジュンの手には、金色の炎をともした新たな聖符が握られていた。

『聖ウィンケンティウスが受けし受難、その身に刻み罪を購うがいい!』

 聖符を魔術師の眉間に向けて突きだす。

 振り返るのが精いっぱいで敵は身動きできない。だが、口は動く。

 燃え盛る聖符を眼と鼻の先につきつけられながら、男は杖を僅かに動かしながら唱えた。

「火は凝縮して空気に空気は凝縮して土に土は凝縮して水に。そして万物のアルケーは我が手にあり」

 その瞬間、周囲を包んでいた炎が消える。

 代わりに出現する水滴。無数の針となりジュンの身体を四方から貫く。


「――く!」


 防具で勢いを殺されるので、内臓までは届かない。

 しかし、皮膚の内側にもぐりこんだ水滴が、抉るような痛覚を刺激した。

 とっさにジュンは、まだ残っていた藪の炎の中に飛び込んだ。――聖なる炎の属性で、水の魔術が無効化される。

 気がついた時には、手にしていた聖符は集中的にボロボロにされて使えなくなっていた。

 水の弾幕を避けながら、ジュンは再び身を隠した。

 ――遊ばれているな。

 不愉快だった。敵は全力でかかればジュンを確実に潰せるだけ有利で、しかし何故かそうはしない。


(困っているみたいね、ジュン)


 不意に、耳に声が届けられた。

 空耳ではない。遠方からジュンの耳元の周囲の空気だけを振動させている音声だ。

 カミエか、と即座に思う。だが、少し考えてその声の主が吟遊詩人――ジルコニアだと気付いた。

(答えなくていいわ。――今から私が、一方的に助けるから)

 仕事口調でジルコニアは言った。

 「ふ」ざけるな、と思わず言いかける。しかし声を出したら見つかるかと思いなおして、ジュンは黙って声を待った。

(ジュンの様子からして、使えそうな聖符はあと一枚かそこら。だから、一撃で決めるわ。ジュンの得意技ね。相手の攻撃を外させるから、そこで決めて)

 その時、ピーン……と甲高い音が響いた。

 ジルコニアが響かせた音。敵がとっさに周囲を警戒したのがわかった。

 もう一度、響く。

 魔術師が動揺し始めた。危険がないと感じ、それゆえに訝しんでいる。

(さ、今よ)

 ジュンは静かに茂みから姿を現した。

 取り出した聖符は一頭の獅子と一匹の狼が描かれたもの。


『エウスタキウスを試しし、げに恐ろしき我らが神の試練よ。喰らう獅子、攫う狼の顕現を前に、異教徒よ煉獄へと落ちよ』


「――大地よ、すべて水に帰れ!」

 バカ! と魔術師の足元から地面が割れ、水が噴き出し始めた。

 割れた地面は深そうだった。落ちれば帰ってこれなさそうだ。

 ――これが切り札か?

 即席で発動するレベルの魔術ではない。魔術師はやはり一撃必殺の魔術陣を用意していたのだ。

 しかし、ジュン恐れずに右手に炎が象った狼の牙を纏い突進した。

「――!? 私の魔術に干渉が!」

 地割れが唐突に終わった。魔術師の意志に関係なく。

 割れた地面の縁を蹴り、ジュンは狼のごとく跳躍した。

 ――取った。ジュンは勝利を確信する。

 だが、魔術師の顔は驚くほどに冷静。杖で身体をかばおうともしない。

 静かに、彼は唱えた。


『言葉で術式を刻む聖符よ、言葉ロゴスを使う我に刃向うなかれ』


 パン!

 聖符が破裂した。

 右手に小さくない衝撃とダメージを負うジュン。空中でバランスが崩れたが、何とか魔術師が立つ足元と同じ場所に片足をつけ、すぐさま横に跳躍して安全な位置に下がった。

 魔術師も顔に少々のダメージを負ったようだった。しかし期待されたものより全く小さかった。

「剣が使えなくともなかなか戦えるようだな」

 額から血を流しながら、魔術師が言った。

「さすがは『黒き月の独り子』として覚醒した彼女を抑えつけただけある」

「――何者だ、貴様。何が目的だ」

 ジュンはいつでも飛びかかれる姿勢で男と対峙する。

 そんな彼を見下ろしながら、彼は余裕の態度で答えた。


「若さに関わらない、類い稀な強さを持つお前を讃えて教えてやろう。――私は藤磐ふじいわ希夾ききょう。表舞台に立たずひっそりと研究を続ける魔術師の家系の者だ。私は七那瀬・神恵を貴様の手から奪いに来たのだ」


 一瞬、ジュンの思考が停止した。

 ――カミエを? つれていく?

「私は幼い時の彼女を知っているのだ。無垢なる彼女を、大切に見守ってきた。思いを寄せてきたのだ。悲運の下に生まれてしまった彼女だが、私なら、藤磐の家系に伝わってきた魔術なら彼女を護ることができる。故に、私はお前を倒し彼女を手に入れるのだ」

 なんの喜劇だよ。

 二十代も後半、もしくはそれ以上の渋面の魔術師は真面目な顔でそんなことを言う。ジュンは眩暈を覚えた。

「お前、口調と面構えと言ってることがあってないから」

「ふん……何とでも言うが良い。だが、彼女はもらっていくぞ」

「それはさせられない。――っ、何だ、この!」

 霧が吹き出し、厚い煙幕に覆われた。

 完全に視界が利かなくなるまで、わずか二秒。濃厚な水の気配に、意識さえ朦朧としてきた。

「ゴホ……逃げられたか……」

(ジュン、あとは任せて。ジュンは姿勢を低くしてゆっくり山を降りて)

「任せられるかよ。カミエは、俺が連れていくんだ」

(素敵ね。でも、無理は駄目だわ。どうせ剣が使えない以上、ジュンは戦えないでしょ)

 声が途絶えた。

 濃厚な霧を吸い込まないようにマントを口に当てながら、ジュンはそろそろと山を下るしかなかった。

 その心は、怒りや不安、あらゆる熱情で燃え盛っていた。





 ○


「七那瀬さんの髪、私好きだな」

 漆の髪の少女が、まるで女神を見るようにして言った。

「綺麗に整ってるし。旅しててこんなに整えるなんて、大変じゃないの?」

 ――整えることはあまりないんだけどな。

 黒髪の少女に髪を一ふさ持たせたまま、カミエは密かに思った。

 だが、不用意な発言は女子同士の関係に亀裂を入れる。カミエは照れたような、曖昧な笑顔で応えた。

「あたし、子供のころは金髪だったんだよ? ねぇ、スミレ」

「そ、そうね。ス、スミレ、いつの間にか紅い髪になってたよね」

 子供のころか、とカミエは遠く思う。

「私、子供のころは茶色い髪だったよ」

「えー? じゃあ、何かしたの? どうやったらそんな、お日様みたいな金髪になるわけ?」

 問いかけてくる少女の様子は、若干尋問めいている。

 余計なこと言ったかも、と思いつつもカミエは話してしまう。

「ううん、特に何も。気がついたら。――あ、でも、お母さんが効き目のあるシャンプーを選んでいたみたいなの」

「シャンプー……そうね、そう言う話は聞くけど、本当なの? どんなの?」

「し、知らない。……ごめんね」

 謝る時は、少しだけ品をつくってみた。

 効果は絶大だった。ほんの少しとげが生え始めていた空気が、あっという間にやわらかくなった。

 ――ずるい、よね。

 いつもは、『黒き月の独り子』として持つ超人的な能力に悩むことはない。だが無垢な少女達に相対していると、自分という存在の特異さに初めて絶望感を持つこともある。

「でも、私胸ないでしょ? それが悩みなんだけど……」

 そう言った途端、場の空気が弾けた。

「あはははは、そんな顔で言わないでよ神恵さん。それだけ可愛ければ、ちょっと胸が小さいくらい良いじゃない。大きいと大変なんじゃないの、ねぇキミコ?」

 呼びかけられたのは、あまり話していなかった弱気そうな子。びくりと肩を震わせると、ついでに揺れるくらいの豊かな胸を持っている。

「う、うん。そうだね」

「そうかもしれないけど……私の好きな人、胸が大きい方が良いみたいで」

 それは、切実。

 カミエが切なく言うと、今度は同情ムードに場は覆われた。

「そうね。そう言うの、困るよ。『あんたの好みなんか知ったこっちゃない』とか思うけど、私達だって顔で向こうを選んでいる時だってあるし」

「わかってくれるの、セナ?」

「もちろんよ、カミエ。――何もできないけど、心から応援させてもらうわ」

「うわあ、こんなに嬉しい言葉をかけてもらったのは初めてかも!」

 カミエは小柄だが雰囲気のある少女に抱きついた。

「こらこら、重いじゃない」

「あはは、セナ小さいからね」

 少女達の歓談は華やか。

 カミエは心から楽しんでいた。しかし、この時不意にカミエの鋭い感覚が異常をとらえた。

 静かに、カミエは小柄な少女から離れた。

「どうしたの?」

「えっと……トイレ? ちょっと外行ってくる」

「カミエ、何かあったの?」

 鋭く問いかけてきたのはカレンだった。

「大丈夫、あとで戻ってくるから。あれを持っていかないとね」

「そう。早く戻ってきてね」

 うん、と朗らかに答え、カミエは屋外に飛び出した。



 外は少し雨が降った後だった。灰色の空は、薄くなった雲がステンドグラスのように光を透かせていた。

 たたた、と小走りに行くと、村の一部で力と力をぶつけている二人が見えた。

 一人は織深・奏治。

 もう一人は藤磐・希夾と名乗った魔術師。


烈風旋レップウセン!」


 甲高い風切り音を響かせる、音速の槍の払い。

 ソウジを囲んでいた水と泥で作られた人形が、バターにように切り裂かれた。

「やはり、吟遊詩人にも、詩人守護者にも、言葉ロゴスによる魔術の効果は薄いか。なら――」

 キキョウの杖がゆら……と揺らめいた。

 淡い光が宿る。キキョウが静かに杖を動かし続けると、水のような光が杖の先端に付いたカップ状の宝石に溜りはじめた。

 一メートル強の杖の下端で、魔術師は足元に線を何本も引く。完全な平行線だった。

「――虚空を行け」

 杖に溜められた光が溢された。

 トロ……と流れた蒼い光は、平行線の間に落ちたところで稲妻となりソウジを襲った。

「何だ!?」

 本能的な反射でソウジは攻撃を避けた。

 キキョウが地面に引いた平行線は、線ではなく線と線の間が淡く光っていた。濡れたように。そこから立て続けに稲妻が放たれた。

 だがソウジは魔法の稲妻を槍で叩き落とし始めた。

「吟遊詩人の支援とは大したものだな」

「そうだぜ。あいつはここにはいないけど、支援は離れていてもそんなに効果は変わらないんだぜ」

 三メートルの間合いの外から、二メートル近い槍が神速で突きだされる。

 しかし、槍が貫いたのは霧の塊だった。魔術師は――


「もらった。なかなかだったな、詩人守護者コーダよ」


 いつの間にかソウジの右手に回っていたキキョウは、光を宿した杖を地面に打ち捨てた。

 カラン、と地面で跳ねると、杖は蒼い頭に漆黒の身体を持った大蛇へと姿を変えた。

「い!?――」

 蒼頭の大蛇は間を作らずにソウジに突進した。

 ソウジは避けることも、迎え撃つこともできない。身体の隙を固めて、ダメージを最小限に抑える構えしかとれない。


「――そこまで!」


 横手から虹色の光が蒼頭の大蛇を貫いた。

 大蛇は弾け飛び、カラカラと杖に戻って地面を転がった。

「カミエ……」

「七那瀬・神恵! 探したぞ」

 キキョウが戦いを忘れたかのようにカミエに向かって駆け出した。ソウジは不意をつかれた。

 カミエに抱きつく勢いで駆け寄るキキョウ。だが、それはかなわない。

「近寄らないで」

 その言葉、共に放たれた威圧感に周囲の温度が一気に下がった。

 キキョウは十歩手前くらいで立ち止まる。

 ――怒ってる。

 ソウジは恐々しながらカミエを見ていた。

「あなたのことはこの村に来た時から全部知ってたの。でも、面倒くさいから放っておいた。私の幼馴染だかなんだか知らないけど、今の私はジュン一筋なの。それに、北へ行かないなんてもっての他だし。これ以上ふらふらされると迷惑だから、さっさと帰って」

 カミエの口調は断固としていた。

 普通の人間ならば、カミエにこんな口調で話しかけられたら心臓が止まってもおかしく無い、それくらい恐るべき威圧感が放たれていた。

 しかし、キキョウは平然として反駁していた。

「私のことを覚えていないのか、カミエ? 君の靴を直してやったりとかしただろう?」

「そういう人がいた様な気がしなくも無いけど、私の記憶とあなたは一致しないの。それに、昔の人に出てこられても仕方ないし。あきらめて」

「カミエ……」


 ドカ!


 キキョウはカミエに歩み寄ろうとしたときだった。

 彼の目の前で光が炸裂し、カミエを中心として円状に深く溝が刻み付けられた。

「それ以上近寄ったら、容赦なく消し炭にしてあげるから」

 これにはさすがの魔術師も色を失う。

 どんな魔術師でも、神の力の一部たる『混沌の光』を持つカミエには敵わない。そしてカミエは、やるといったら躊躇いなくやるだろうという恐ろしい雰囲気を放っていた。

 ――殺すといわないのが、逆に怖いよな。

 傍観体勢のソウジが思った。

 それでもキキョウはしばしカミエと視線をぶつけ合った。そうすれば想いが伝わるかのように。

「……わかった。今日は引こう。だがカミエよ、私はあきらめないぞ。君は自分の状況に混乱してまともな思考ができなくなっているだけだ。進んで命を捨てることなどない。私が解決策を見出してみせる」

「あー、はいはい」

「しばらく私は来ないが、幾人もの追手を送ろう。必ず君をさらってみせる」

「……」

 す……と風が吹き、わずかな霧が訪れたと思ったらキキョウの姿が消えた。

「ちょっと、格好いいと思っちゃった」

 カミエがぽつりと言っていた。

「すまねえな。結局お前の手を出させちまった」

 ソウジが詫びた。

「ううん。私が勝手に出てきただけだから。ソウジだって、ジルちゃんの応援を受けてたんだし、私が何もしなくても勝てたんじゃないの?」

 そうかな、とか言いながらソウジは頭をかいた。

 そして少し黙った。

 カミエはソウジが何かを言いだそうとしていることに気が付いた。

「別に良いのよ」

「え?」

「私は、私の意志で死ぬことに決めたんだから。ジュンが好きなことも、あのキキョウって人について行きたくない気持ちも、全部私のものだから。だから……あんまり否定しないで」

「う……」

 言葉が胸に刺さった。

 『否定しないで』――小さな声で言ったカミエの横顔は、胸を捩り切るような切なさがこもっていた。

 だが、次の瞬間には太陽のような笑顔でカミエは笑っていた。

「ごめんごめん、ちょっと言い過ぎたよね。ソウジは良いんだよ。ソウジは私の前に立ちはだかったり、邪魔はしない。それにソウジは格好いいし、優しいし、まっすぐだし、だからソウジは良いの」

「お、おう」

「そろそろ戻るね。みんなが心配するかもしれないから」

 ぱたぱたとカミエは駆けていく。

 届かないとソウジは思う。若干の絶望感と共に。

 カミエの意志は固すぎる。ソウジは良いと言ったが、それも『邪魔はしない』うちの話だ。迂闊に彼女の心を傷つけることをすれば、カミエは容赦なくソウジでも攻撃するだろう。

 ――そこまでする気はないんだけどな。

 本当に。

 意志を尊重することは理解している。悲運の中で少女が決めた思いを、無下に否定することなんてソウジにはあり得ない。

 それでも、難しいとは思う。これは理性とか倫理とかを超えた、運命という理不尽の関わる問題だ。どこまでもソウジの『大人の理論』で片付けられるものか…………ソウジには分からない。

「でも、行くさ。見届けるって俺も言った。――そうだろう、ジルコニア?」

 虚空に声かける。

 答えは、きちんと帰ってくる。

(そうね。そうして欲しいものだわ)

 遠いジルコニアの声はそっけない。だが、信頼のようなものがそこにあることをソウジは感じ、少し励まされた。



 ○


 山間の村に来て三日目になった。

 魔術師に襲われたあと山の中をさまよいつくし、帰ってきたのが夕餉も過ぎた後だったジュンは、この朝も早々に起きて碌に食事を取らずに出発の準備を整えた。

「そんなに急ぎたいかねぇ」

 ソウジが呆れたように言った。

「時間をロスしすぎた。これ以上もたもたするな」

「一分一秒争うってわけでもないだろうに。先は長いのに、よくそんなテンションでここまで来たよな」

「うるさい」

「てか、すっげえ苛々してね? 気にするなよ、誰も不意打ちには勝てねえって」

 ギロ、と睨まれてソウジは両手を上げた。

 そのわきではジルコニアが衣装を直していた。

「――カミエは?」

「ん、ちょっと待ってって出て行ったよ」

「あいつ――!」

 勢いよく荷物を背負うと、ジュンは大股で宿を出て行った。

 空は高く真っ青に澄んでいた。太陽は明るく、風は涼しく、絶好の旅日和と言った様子。――だが若い教会騎士がそんなことで感動することも無く、彼はただ目測をつけた家へまっすぐに歩いた。

 村の中心部を横切ると、活動を始めたばかりの村人たちが挨拶をかわして賑いでいた。その賑やかさには、ジュンの意識は少し引かれた。

 村の中でも際立ってデザインの凝った須藤の家が見えてきたところで、パタリと扉が開閉した。

 早朝の陽光の中、カミエの金髪が光そのもののように舞った。ハッとする美しさ。どんな風景にも心惹かれることのなかったジュンの眼が止まる。

「あ、ジュン。迎えに来ちゃったの?」

 彼を認めたカミエがパタパタと駆け寄ってくる。

 その手の中に大きめの木製の皿、その上に乗った茶色い物体。

「気になる? 美味しそうでしょう?」

 円形のそれは中央にグリーンリーフを乗せ、オパールのような果物が埋め込まれていた。

「火を通したお菓子――甘すぎなくて、でもお菓子らしい甘さを持ったお菓子――そういうわけで、今日のカミエちゃんのメニューは真珠風ピーチパイです。さぁ召し上がれ」

「真珠風……?」

「この桃がね、森の真珠とかっていう品種なんだって。カレンちゃんが取っておきだって譲ってくれたの。さ、食べて」

 八分の一ピースでずいと押し渡される。

 押しの強さに負けて、ジュンはピーチパイを口に入れた。

 ――口の中で香りが弾けた。

 目をむくほどの香りの豊潤さだった。確かに甘みは抑えられ、しかし菓子らしさを保った絶妙さ。桃はとにかく香り高く、味の薄さは蜂蜜とバターが補いつつ引き立てていた。

「隠し味は桃の花と私の愛ってところかな? ねぇ、どう?」

「……うまい」

 やったあ、とカミエは手を叩いて跳ねた。

 その様子にジュンは呆れつつも、ピーチパイの出来には感嘆せざるえなかった。


「カミエ」


「え? なに?」


「これから宿を取る時は部屋は別々にする。だが、特段お前がどこか行く必要はない。俺といたければそれでも良い。もちろん構ってはやらないけどな」


「…………」

 カミエがぴたりと沈黙した。

 じろじろとジュンの顔を見てくる。うざったく思ったが、ジュンはじっとカミエから眼をそらさなかった。

「ジュンって、変だよね」

 やっと彼女が言ったのはそんな言葉。

「うるさい」

「すっごく変」カミエは重ねた。――「真面目な顔して、そんなこと言っちゃって。もしかしてずっと悩んでた? 言いすぎたとか考えてた? 私は別に気にしてなかったよ。そりゃ言われた瞬間はちょっと気になったけど、すぐに、ジュンが天邪鬼で無神経だってことを思い出したから。――でも、嬉しい! そういうことをわざわざ言ってくれるなんて。私達の愛も深まってきたって感じね!」

 カミエが飛びかかってきた。

 しかし、今回は存分に腕を震えなかったが凄腕の剣士であるジュンは、その動きを先読みして回避した。

 ドサ、と割と可愛げのない効果音でカミエは地面に倒れ伏した。

「うう……」

 ――あの男はどうなんだよ。

 カミエの小さな背中を見おろしながら、ジュンはある男のことを思い出した。

 藤磐・希夾、とか名乗っていただろうか。彼はカミエに想いを寄せていると言った。自分とは違い、彼ならカミエが求めるままに愛の言葉を囁き、大事にするだろう。

 奴について行けば良いだろうに。

 しかし、すぐにその思考はくだらないとジュンは結論した。彼はカミエの一番大切なことを否定している。そしてあの冷たい口調の割に綺麗事しか言わなさそうな男では、カミエの心を満たすことはできないだろう。


 なら俺が連れていくだけか。


「ひどい……やっぱりジュンはジュンね」

「当たり前だろ。――長居し過ぎた。あいつらも来たようだし、いい加減出発するぞ」

また一月くらい待って下さい。

次はそっくりさんが出てきます。

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