__ 若き騎士が独り子を追って
――ていうことがあったんだよ、と吟遊詩人は夕餉の席で語った。
周囲を山に囲まれた秘境らしいこの村だが、宿屋の食堂は旅の者達でよく賑わっていた。ジュン達四人が食事を取るのは、大きな一枚板のテーブルの上で、食器は黒い重みのある木の表面を透明な樹脂で固められたものだった。耳を澄ませば、各地から訪れた者達が話すものめずらしい話が聞こえてきて、おいしい山の幸とともどもジルコニアを大いに楽しませていた。
そうしてうきうきと上機嫌でジルコニアはジュンに、この日の昼間に『黒き月の独り子』とついでに自分の詩人守護者が何をしていたかを報告した。ジュンはそれを、柔らかく焼かれた鹿肉を引き千切りながら、不機嫌な顔で聞いていた。
「へぇ……ジルちゃんには何でもお見通しって感じだよね。全然、私達と一緒にいなくて、目に見える範囲にもいなかったのに」
ジルコニアが報告を終えると、まっさきにカミエが口を開いた。彼女は茸のパスタが気に入ったらしく、熱心に皿をつついていた。
そうだな、と相槌を打つのはソウジ。大きな鹿肉の塊を細かく切りわけ、ジルコニアの前に出しながら自分も食べている。
「なんかこいつと付き合ってるとよ、いつも見張られているようで気分が悪い――って! 痛てぇよ! フォークで俺の手を刺すな!」
「あ、ごめん。なんか固い肉だと思ったんだよね」
「あーあ、ソウジ血が出てるよ。――女の子と話すときは気をつけないとね」
「冗談だったのによ……」
「――――」
そのように、三人が楽しそうに食事するのを眼前に、ジュンだけが一人仏頂面でいた。
「それで? 明日は出発できないんだな?」
人々の談笑が満たす空間で、低い声がはっきりと言う。
顔をしかめて答えたのは、穴のあいた自分の手をいたわっていたソウジだった。
「あぁ……すまないな。本当に。明日には終わるって言うからよ……」
「ふん。――こうなれば一日留まるのも、二日留まるのも変わらない。だがな、明日だけだからな。その次の日に何があろうと、俺はカミエだけ引っ張っていくからな。――おい、わかってるのかカミエ?」
「う、うん」
少しの間、周りの話に耳を傾けていたカミエが生返事した。
そんな彼女の様子に、騎士の少年の眉間に深いしわがよせられる。
「お前、吟遊詩人の報告じゃこの村のやつと仲良くなったみたいだが、余計なことは話してないだろうな。――余計なことはしてないだろうな? 自分が何者なのか、自分がしでかしたことに責任が取れるのか、よく考えながら言動するんだな」
「わかってますよ、私のナイト様」
カミエの言い方に嫌味はなかった。それどころか、語尾にはハートマークがついていそうな感じだった。――向けられたジュンはそんなこと感じもしないが。
「私はジュンの恋人だもん。ジュンの言うことは何でも聞くよ。――ジュンが構ってくれるなら、別にあの子と遊んで暇つぶしすることも無いんだけど」
ジュンは何も答えない。
それでも嬉しそうに彼の顔を眺める金髪の少女。その心の中は、明日の計画で弾んでいる。――それは、決して自分だけが楽しむ計画ではない。
――ジルコニアはその計画を知っていたが、教えはしない。これは女の子同士の秘密というものだ。
そんな明るいカミエの横顔を、暗い表情で見る男がいた。――ソウジが思うのは、昼間、出かける前に見た彼女のこと。恋人と思いを寄せる相手に全く相手にもされず、空しい心をひた隠しにして笑っていた彼女のことを。――今の彼女は本当に楽しそうだが、昼間とのギャップはどうなったのだろう?
「――お兄ちゃん、余計なことで悩まないで。旋律が歪むわ」
「ジルコニア……」
少し真剣な面持ちで話しかけてきた、ソウジの同行者。
「あの二人を前に、できることは限られていることくらい、わかっているんでしょ? 旅はこれからも長いのよ」
「あぁ……すまないな、ジルコニア」
ぽん、とソウジはジルコニアの頭の上に手を置いた。食事を前にいつもの大きなつば付き帽を外した、黒い短髪の頭をぐりぐりと撫でた。
少し、少しだけ、うれしくジルコニアは思う。自分を守る大きな存在。いつも罵りながらも、あてにしている彼に撫でられることは、やはり幼いジルコニアの心を和ませた。
――ソウジが固い表情をしていると、ジルコニアは後ろめたい気持ちになる。
原因の一端は自分にあると、彼女は理解している。それでも吟遊詩人という生業のために、ソウジを巻き込み、そのために彼が苦しむ結果になろうと躊躇はしない。しかし、彼が心を悩ませているのなら、可能なケアするのもやぶさかではない。
そしてジルコニアは、まだジュンに話していない昼間の出来事を回想した。
○
陰鬱な足音の男――ジルコニアはその時思った。
男たちが山に働きに出て、静かになった村のとある場所で、ジルコニアは輪琴を一人気ままに奏でていた。調律をしたり、あるいは遠くの音に耳をすませていたりしていた。
そこに現れた一人の男。特段人払いをしていたわけではないから誰かが来ても不思議ではないが、邪魔をされたジルコニアは少し機嫌を損ねた。――特に、その陰鬱な足音と、奇妙ないでたちにジルコニアはこの人物に悪い評価を押し付けた。
この場合、足音には性格が現れていた。ズル……ズル……と擦るような足音だった。
一見その服装は貴族のようなごてごてしたものだったが、そのじつ服の布地は魔力を染み込ませた糸が使用されて、細かいところで妙な装飾が施されていた。魔術を使う者が着るような服だ。目に見えて奇妙なのが手に持った杖で、カップ型にカットされた宝石が先端についていた。
そして男は鼻から息を吸い口から出す呼吸を、極めて静かに、規則正しく行っていた。
要するに、その男は魔術師だった。
「もし、訊ねたいことがあるのだが、今いいだろうか?」
声は、ジルコニアが予想したとおり、低く抑揚がなかった。
ジルコニアは輪琴をかき鳴らす手を止めて、麦色の瞳で男をみる。
年は二十八くらい――顔で判断した。若干老けている。――顔でなくても、吟遊詩人は人間が身のうちから発する『音』によって年などすぐわかるのだが。
「何? おじさん?」
おじさん、と呼ぶには微かな悪意に基づいて。
だが男の方はまったく意に介した様子はなかった。――つまらない、とジルコニアは思う。
「七那瀬・神恵という少女を知らないだろうか? 年は十五くらい、背はそんなに高くなく、髪の色は茶色で瞳は藍色。しかし今は少し風貌が変わり、金髪碧眼の美しい顔立ちになっているらしいが」
もちろん、七那瀬・神恵は知っている。だが、ジルコニアの答えは、
「さぁ?」
「――教えてはくれないのか」
「探してあげることもできるけどね。――ほら、吟遊詩人は普通の人よりずっと広い範囲の音を、風に乗って遠くから運ばれてくる微かな音を拾うこともできるから探すのは簡単だけど――つまらないでしょ。答えがすぐ見つかったら、物語はすぐ終わっちゃうもん」
「――――」
男は不機嫌に黙り込んだ。
さわさわ……不意に村を囲む森がさざめく音が聞こえた。
ジルコニアは男の藤色の瞳をじっと覗きこんだ。
「脅そうなんて、考えない方がいいよ。魔法使いさんは、吟遊詩人には勝ちづらいと思うから」
「……邪魔したな」
ずる……ずる……と足を擦るようにして男は去っていった。
その背中を見送りながら、ジルコニアはこの後に待つ物語の展開に期待していた。
○
翌朝、ソウジが窓から差し込む日差しで目覚めると、その窓の向こうの太陽に向かってジュンがのそのそと妙な動作を行っていた。
「――ぶふ!」
ソウジが発したのは、笑いと、驚きの入り混じった声。
分かっている――分かっている、ソウジは。ジュンは祈りの動作を行っているのだ。
ぴくり――ジュンの背中が微かに揺れたが、動作は止まらず、やがて祈りの声も聞こえた。
「――我はすべての創造主たる御一神のみ崇め奉ります。我は御身に仕える騎士。我が手は御身のための手で、この手の中にある剣は他の信者を護り、御身を侮る者に御身に代わって罰を与えるもの。――御身のみが神。アルコーンは御身の分身にして崇めるべき神に非ず―――」
十分か、それ以上――ジュンは一心不乱に祈っていた。
「思ったより起きるのが早いな」
「日が昇ればここが宿屋でも起きるさ。野宿してた時もそうだろ。――邪魔したか?」
「……いや…………」
寝起きのことで思わず笑ってしまったが、ソウジはジュンの信仰を否定して、一見奇妙に見える祈りの動作を馬鹿にしているわけではない。――そのことをジュンは理解し、少し態度をやわらかくした。
ジュンは無言でベッドの上に座りこみ、聖典を開いて読み始めた。
沈黙が訪れる。ソウジは何もすることがないので、顔でも洗ってこようかな、とか考えて立ち上がる。そこで、ふと話しかけてみる気になった。
「熱心なんだな」
「教会に勤める者だからな」
ジュンは聖典から眼を離さずに答えた。
「信じてる、んだよな?」
「信じている、ではなく信仰している、だ。神は確かにそこにいる。俺たちが信仰心を寄せることで、確かに力を与えてくれる」
――神様はいるよ。
ソウジの脳裏に、少し前のジルコニアの声が蘇る。
――教会騎士の使う魔術は、パワーソースは術者自身でも森羅万象でもなく、それより高い次元から与えられるの。つまり、『天』だよね。教会の崇めるデミウルゴスの力の権限は、光だったり太陽だったりするけど、それらに向かって騎士が祈ることで本当に力が与えられる。だから、神の存在は疑いようもないわけ。
「――だけどよ、力をくれるばかりで、助けちゃくれないじゃないか。悲運とか、呪いとか、そんなものはなくならないじゃないか」
ソウジは回想の会話のままに、言葉を口にしていた。
聞いたジュンは、聖典から眼を離し不機嫌そうな顔でソウジを見た。
「それは神に呪われているからだ。神は戦いを好み、御自らが敵とみなした相手には容赦なされない」
「なんだよ、その呪われているっていうのは。カミエも、そういうふうに呪われているって言うのか? 何したって言うんだよ?」
七那瀬・神恵の名が出て、ジュンは顔を顰めた。
「その話か。――神の意志は奥深い。俺たちが『黒き月の独り子』について、その正体について何も知らないように、独り子にも隠された意味があるんだろう」
「だったら、それはなんなのか教えてくれよ!」
理不尽――その言葉の前に、ソウジの気持ちが高ぶっていた。
ジュンは極めて冷静な眼差しでソウジを観察する。
しばらく、二人が睨み合う時が続いた。
おもむろにジュンが立ち上がった。
「表に出ろ」
「……は?」
「聞こえなかったのか? 表に出ろって言ってるんだ。戦える服装にして、先に外に出てろ。槍はいらんぞ」
朝はまだ早く、西の空はほんのりと赤かった。雲は薄い青――東雲だった。
ちゅん、ちゅん、……鳥がおはようを言い交しているのかな、とかソウジは考える。朝露に濡れた木々の葉は、欠伸の涙を流しているようだった。
そんなまどろみの世界に、鉄のブーツの重い足音が響く。ザ、ザ、と難しい顔で歩みよって来る少年の手には、二本の木の棒が握られていた。
一本がソウジに渡される。
「型稽古はできないだろうから――乱取りだ。好きなように打ち込んできてくれ」
「――稽古?」
「そうだ。今日も歩かない以上、身体を怠けさせないように稽古する必要があるだろう」
――喧嘩するんじゃなかったのか。
そんなことを考えていたソウジ。
対するジュンは、ソウジが何を考えていようとおかまいなしという様子。ソウジと静かに距離を取り、邪念のない気持ちで棒を構えた。
宿屋の主人から借りてきた棒は、二本とも一メートル強の同じ長さ。ちょうど、ジュンが普段使う片手剣と同じくらいの長さだった。直径七十ミリメートルくらいで握り易い棒は、まっすぐで、断面はほぼ円形。鉄の剣に比べれば当然軽いが、手の中でほどほどの重さを持って収まっていた。
ジュンは棒をあくまで剣のように正眼に構えた。左手は小指を棒の縁に軽くかけ、まっすぐ伸ばした右手で角度を調整する。足は前後に軽く開いて、腰を軽く落とした剣道の見本のような構え方。片手剣を使う彼だったが、そうして両手で構えている方が様になっていた。
一方、ソウジは槍よりもずいぶん短い棒をどう構えようか色々持ち直した末に、左手で端の近くを持ち、右手で棒の中ほどを握り、身体に対してやや斜めに構えた。足はジュンよりも広く前後に開き、どっしりと腰を落とす。
――棒術か。
ジュンは見極めた。ソウジは突きを主体とする槍術を短い棒では使わずに、突くも払うも自在な棒術の構えをとっていた。
「来い――」
ジュンは相手を誘う。
素直に答え、ソウジは強く踏み込み、飛びだした。
竜のような、猛々しい突進。
ソウジの初撃は大上段、ジュンの遥か頭上からの振り下ろし。
稲妻のような一撃を、ジュンは両手で構えた棒で受け止めた。
腕力は互角。一瞬二人は鍔ぜりあいし、ソウジが棒を離した。
だがジュンが攻撃する機会はない。続けざまに、雹のような激しいソウジの連続攻撃が降り注いだ。
三撃まで受け止め、ジュンはソウジの下から逃げた。
右に踏み込み、すれ違いざまの一閃。ソウジが攻撃を外した瞬間を逃さなかった。
しかしソウジは隙を作ってはいなかった。左手を棒から離し、すばやく引いた右手で棒を回転させジュンの攻撃を弾き返した。
ザ――
対戦の緊迫感に、音の消えた世界にジュンが地面をする音が大きく響いた。
「いいな。お前、やっぱり強いな。これほど楽しいのは久しぶりだぜ」
「……」
棒をジュンにつきだすように構えるソウジ。
強い、ジュンは素直に思う。ソウジは魔術を使えないから実戦では自分の方が上だという自信はあるが、純粋に武術においてはソウジの方が一日の長があるのも事実だった。
――ならば、勝負は一撃。
あくまで訓練だが負ける気はない。ジュンは低く構えた。
「――せ!」
小さく息を吐いて、ジュンは電光石火でソウジに肉薄する。
鋭い横薙ぎに迎えられる。しかし、身長差を逆手に取った地面に擦りつけるような屈みこみでそれをかわし、ジュンはソウジの懐に潜り込んだ。
ソウジのあごの下から跳ね上げる、満月のような軌跡。
だが、驚愕するのはジュンの方だった。
ソウジは攻撃を見ることはできなかった。顎を引き、下を見た瞬間には攻撃に当たるからだった。
ソウジはあごを上げ、攻撃を目視することなく、柳のように身体をしならせ切り上げをかわした。
そして、カウンター。渾身の力を込めた、袈裟切りの一撃。
回避は不可能。
ジュンは全力で受け止めた。
骨が軋むようだった。肉体は強固に作られたジュンだからこれくらいは平気だったが、
――ギシ!
「――っと!」
ソウジは反射的に棒から手を離した。
ジュンも手を降ろす。その手の中の棒は、右手で握った先から折れ曲がっていた。――ソウジの攻撃に負けたのは、ジュンではなく、ジュンの武器だった。
「手、大丈夫か? 傷めたりしていないか?」
問いかけるソウジの声は、本当に気遣わしげだった。
しかし、ジュンはにこりともせず答える。
「問題ない。――訓練は終わりだ。付き合ってくれたことに感謝する」
地面に打ち捨てられた二本の棒を拾い上げると、ジュンは立ち去ろうとした。
何も考えていない、何の感動もないその動作。
思わず、ソウジは問いかけた。
「――何考えているんだ?」
「?」
脈絡のない問いかけに、ジュンは思わず足を止めソウジを振り返った。
自分より若い者を見つめる、明るいオリーブ色の双眸には強い光が宿っている。ジルコニアと似た色の瞳。ソウジが何か強い思いを抱いているというのは感じつつ、ジュンは微動だにせずに視線を受け止め続けた。
「お前って、何考えてるか全然わかんねえな。――別に分かってほしくないってか? ああ、俺だって無理して分かろうなんて思っちゃいない。お前を問い詰めて聞きだそうって考えてるわけでもない。そうしたい気持ちだってあるけどな。――けどよ、一つだけ思うんだよ。もう少しカミエに優しくしたって良いじゃねえか。ていうか、どうでも良いみたいに言うなよ。本当は自分の目にはいるもの全部護りたいって顔して、なのに無感動な面しやがって。――気に入らない」
「――話はそれだけか?」
切って捨てるような口調。
熾火のような光の宿った暗い瞳。ソウジは少したじろいだが、あえて強い口調で返す。
「それだけだよ」
「なら、一つだけ俺から言っておく。――二度と同じ話はするな。くだらない繰り言を何度も聞かすなよ」
あくまでも石のような声で言い捨て、踵を返しジュンは立ち去った。
朝食を終えると、ジュンはまた部屋に引きこもって聖典を読み始め、それ以外の三人はそれぞれ好き勝手に出て行った。
「ねえ、ジルちゃん。ジルちゃんも一人で練習なんかしてないで、私達と一緒にお菓子作ったりしない?」
「あー、うん……でも、あたしあんまり人と遊ぶの苦手だから。それに、吟遊詩人として世界の音を観察するのも大事だから」
「世界の音を観察?」
「そう。別に楽器の練習だけしてるわけじゃなくて、静かな場所で耳を澄ませて、遠く、遠くの音、そして今じゃない昔や未来の音にも耳を澄ませているの。他にも色々」
「へー。そっか、じゃあ頑張ってね。あとでおいしいお菓子あげるから」
「うん! 楽しみー」
「おー、カミエ。一緒に行くか? 須藤の家に行くんだろ?」
「あ……ううん、ちょっと違うとこ寄っていくから。少し遅く来てって言われたの」
「そうか。じゃあな、二人とも。ジルコニア、変なことして人様を困らせるなよ」
「お兄ちゃん。あたしをどういう目で見ているわけ?」
「おっと。さっさと行くか?」
「こらー」
賑やかな連中だ。ジュンは旅の同行者たちの会話を耳に思う。別にいらいらしているわけでもなく、静かに。
――無関心なのだろうか?
さきほどソウジに言われたことを思い返した。
感情の起伏をできるだけ見せないようにしているジュン。だが、それは無関心というのだろうか?
カミエと部屋を別々にしたことは、男女の部屋を分けることからすれば当然だった。これまでは経費の問題と、彼女を監視する目的で同じ部屋にしていただけで、人数が四人に増えればその問題は解決される。だから、カミエを別の部屋にしたのはジュンにとっては当然。それ以上の感情的な理由は含まれていない。あとは、三人がそれぞれ騒いだだけ。
全面的に拒絶しているわけではない。
大罪人としてのカミエを疎むのは確かで、彼女を恋人として受け入れることはできないのも確か。だが、道連れとして、個人としての七那瀬・神恵をジュンはそれらの彼女と区別して、嫌ってはいない。――撥ね退けることのできない不思議な魅力を彼女が持っていることは真実だと、認めざるえないからだ。
――何を考えているのだろうな。
そんな思考に耽っていたら、聖典をめくる手が止まっていることに気づいた。――あいつらのために、思考を割いてしまうなんて。
無関心? それも結構。俺は教会騎士として多くのものを護ることができるならそれでいい。少数より、多数。だからこそカミエを犠牲にすることにためらいはない。
だが、一言くらいは言ってやるか。
思考がそこまで回ったところで、コンコンコンとドアがノックされた。
「お客様、ベッドメイキングさせていただきます」
「――」
どうやら、部屋に籠ることはできないようだ。
少し待て、と告げるとジュンは身支度を整えた。腰に鋼のベルトを巻き、皮の胴巻きをつけ、鉄の甲冑とブーツを身につけた。マントを肩に羽織り、剣と楯を腰に帯びてから部屋を出た。
――カミエでも捜しに行くか。
今思いついたことを伝えに行くために。
今日は曇り空だった。昨日は少し雨が降ったが、今日は降るのかどうかわからない空模様。ジュンには判断がつかない。ジュンはあまり景色を見て感動する性格ではないから。――教会の宗教芸術にも疎く、某友人には朴念仁と言われた。どうでもいいことだが。
淡白な気持ちで周囲を見渡しつつ、カミエのことを考える。
――村娘と仲良くなったのだったか。
話はちゃんと聞いていた。どうでも良いことと聞き流してはいなかった。
しかし場所がわからない。この村では有名な人間らしいが、
と、そこまで思いついたところで背後から声がかかった。
「もし、騎士殿」
「――何用だ?」
背後に立っていたのは、樵姿の長身の男。ソウジと同じくらい。――どいつも背が高いな、とかまだ伸び盛りのジュンはちらりと思ってしまう。
年は二十代の後半くらいで、背筋こそやや曲がっているが、顔立ちや髪形が妙に整った感じがあった。
微かな違和感だ。しかし、それに対する答えを得られなかったのでジュンは気にしないことにした。
「あの……私の顔に何かついていますか?」
声は嘘偽りなくおどおどした感じだった。
「何もついていないな。それで、何の用だ?」
「森の方で、昨日から妖しい影があるのです。人間のような――魔獣のような――なんだか不吉なので、騎士殿に見てもらいたいのですが」
――カミエは後回しか。
騎士として人々の暮らしを守るのは当然の行い。カミエを後回しにするのは微かに残念だったが、頼まれごとを面倒とは思わずにジュンは男について行った。
鬱蒼とした森が見えてきた。深く清い森の空気が流れてくるが――ジュンは魔獣の気配に意識を凝らすだけで、森林浴など考えもしない。
「騎士殿はお若いですね」
ここまでずっと黙っていた男が、ふいに口を開いた。
ジュンは生返事で返した。
「騎士になられてからは長いのですか?」
「あぁ」
「どちらの教会からおいでになったのですか?」
「南だな」
「この村に教会がないのは残念です」
「そうか」
「剣は使えないんでしょう?」
「あぁ――? 何言っているんだ?」
――日が翳った。
薄闇に包まれたような世界。だが、目の前の男の顔が見えないのは不自然だ。
「雨が降りそうですね。――いや、降りますね。特に時を計ったわけではないのですが」
「そうだな。それより……」
「剣は使えないのでしょう?」
「そんなわけ――」
ポツリ、雨粒が一つ落ちた。
ポツリ、ポツリ――
ピシ!
何か小さな物が、ジュンの頬を掠めて行った。
「――お前、何者だ」
「分かりませんか? 洗い清める雨のおかげで、変装は解けるはずだが」
ジュンは目の前の男を睨みつける――が、その前に何か小さい物があられのように弾けてジュンの視界を遮った。
――雨粒か。
空から降ってくる雨粒が、地面には落ちずにジュンを狙っていた。
魔力を断ち切ろうとしてジュンは剣を抜こうとした。しかし、柄に手をかけたところで動作が止まった。
抜き方が分からなかった。
否、剣を抜くことは馬鹿でもできるが、いわゆる抜き打ち――抜刀時の鞘滑りを利用した高速の剣筋をつくりだす、その技が分からなくなっていた。
身体に刻みこんだはずの剣技が、ジュンの身体を動かす気配がなかった。
「――魔術師の言葉に応えてはいけない」
「そうだ。やっと気が付いたか、未熟な教会騎士め」
雨粒の弾幕が激しさを増してきた。しかし、まだ威力は軽くされていた。
ジュンは腰につけていた楯を左手に固定し、それで防御力の低い顔をかばいながら男に突進した。
「む……」
男は霞のような動きで回避する。
「待て!」
「面白い。さすがは戦いを前に放棄することを知らない一神教信徒らしいな」
男は森の中に後退していく。ジュンを誘うように。
ジュンはその狙いが分からない。だが、信じる宗教の教えに従い、蛮勇さをもって男を追い森に飛び込んだ。
せっかく四つに分断したのに、結局八千字オーバーです。すみません。