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水の無い川  作者: 京夜
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オムレツ 3


 私は悩んだ。

 考えた。


 その結果。



「なんでしょう」

「何だと思う?」


 とある日のおやつごろ。

 人気のいなくなった病院の厨房に私達はいた。


 キャップにマスク、エプロンに長靴付き。


「えっ、えっ、本当に解らないです」

「ふっふっふっ、オムレツに挑戦!」

「………………えぇぇ!!」


 ええ、確かに前代未聞ですとも。

 院長先生にも、厨房の調理師の方にも許可をもらったけれど、微妙そうな顔のあと、まあいいですよ、と控えめな許可をいただけた。

 しかも、調理師さんの監視付き。


「お休み時間にすみません」

「いえ、まあいいですよ」


 50代のちょっと熊さんのような大柄な男性が、ここの調理師さんだ。関さんというらしい。ちょっと苦笑いだ。


「えっ、でも、私がやっても失敗するし……」

「そんなこともあろうかと思って」


 私は10個入りの卵を2パック取り出した。

 何度でも失敗可能。


「そのかわり、失敗しても、私達でちゃんと食べようね」

「……はい」

「では、先生。お願いします」


 私はいきなり調理師の方にふった。

 だって私も料理は苦手だ。


「あっ、私が教えるんですね。オムレツでしたね」


 関さんは、おもむろに下準備を始めた。

 厨房は入院患者さん全員の食事を担っているため、それなりの広さがある。

 そこに3人だけでの料理教室。

 贅沢この上ない、というか、入院している患者さん相手に何をやっているのか、というか。

 私はちょっと楽しんでいるが、はるかちゃんはやっぱり少し不安そうだ。


 私は考えた結果、オムレツを一緒に作ることにした。

 不安を乗り越えたあとの笑顔を見たかった。

 私の一方的な思いかもしれないけど、ただただ泣くだけの毎日、苦しいだけの記憶で、退院を迎えほしくなかった。

 そこに一つだけでいい、笑顔の記憶を持って、帰ってほしかった。

 そして、怖がりながらも、彼女は一歩を踏み出そうとしている。


 それにはすぐに結果が出るもの、あたたかいもの、美味しいものがいい。


 彼女の好きなオムレツを作ろう、そう思ったのだ。



 テーブルの上には、卵、塩、胡椒、バター、ボウル、お箸、フライパン、お皿が並ぶ。

 さすが用意が早い。

 はるかちゃんも私も、オムレツはケチャップ派だ。これも購入して持ってきている。


「さて、では始めていきましょう。まず卵を割りましょう……ちなみに、上手な卵の割り方って知っていますか?」

「えっ……ボウルの角で割るんじゃないのですか?」

「あーやっぱり。それだとうまくいかないことが多いんです」

「えっ!? そうなんですか?」


 私も知らなかったよ。というか、じゃあどうやって割るの?


「実はですね、鋭い角で割ると、殻が中に食い込んで、割れた中身に殻が入りやすのです」

「あー、私はそれです。でも、下手なだけかと思っていた……」

「平らなテーブルか、もっといいのは卵同士の丸いもので割るのが一番です」

「「卵同士!?」」


 二人でハモってしまった。

それは知らなかったよ。


「平らなところで割ると小さな丸い感じに割れます。これだと、中に膜があってそこに殻がついているので、殻が入り込まないのです。丸いもので割る場合だと、横にもヒビが入ってさらに割りやすくなるのです」


 そう言って、卵同士をこんこんとぶつけて、きれいに卵を割って見せてくれた。

 大きな手をしているのに、動きは流石に繊細だ。


「……上手……」

「ありがとう。じゃあやってみましょうか」

「……はい。でも強さが解らないです」

「最初、弱くから。少しずつ強くしてみましょう。失敗してもいいんです。リカバーできますから」


 卵同士はどうしても怖くて、結局テーブルにぶつけて割ることにした。

 はるかちゃんは緊張でちょっと震えていたが、ていねいに少しずつ強さを確かめながら割り始めた。


 確かに彼女は時間がかかるし、不器用かも知れない。

 でも、卵を割ることにこれだけ真剣になっている彼女を、もし笑う奴がいたら、私はそいつを叩き切ろう。

 だって、2度の失敗の後、うまく割れた彼女の笑顔を見た時、私は喜びながら、思わず泣いてしまった。


「せっ、先生ぃー、泣かないでくださいよー」

「……はるかちゃんだってー」


 はるかちゃんまでもらい泣きしていた。

 関さんまで涙で潤んでいたのは秘密だ。


 いいんだよ、些細なことだって。

 誰だって、いつだって、初めては下手くそだ。

 そして、真摯に教えを請わなくては、失敗だらけで当たり前なんだ。

 だから、うまくいったら喜ぼう。



 割れた卵をよくかき混ぜて。

 塩、こしょうで下味をつけて。


 焼き方にも方法があって、慣れない私達でも失敗しない方法をていねいに教えてくれた。


 そうか、当たり前だけど弱火でやれば、焦らなくてもいいんだ。

 全体にうっすら火が通るまでは、かき混ぜていいんだ。

 フライパンをとんとんとやって、ひっくり返さなくても、お箸で巻いていってもいいんだ。


 簡単な動作の中にも、様々な工夫が散りばめられていた。


 そうして出来上がったオムレツは、やっぱり破れたり、すこし焦げたり、逆に火が十分に通っていないところもあったけれど、たっぷりケチャップをかけて食べたら、美味しかった


「……美味しいです」

「美味しいね」


 そうしてまた、じわっと泣き出す。

 本当に、彼女は泣き虫だ。

 でも今日は嬉し涙だよね。



 オムレツを作り続けた私達は、その後夕食が食べられなくなり、ちょっとだけ看護師さんに怒られた。



 そうしてはるかちゃんは退院の日を迎えた。

 これで戦いが終わるわけでも、つらい日が無くなるわけでもない。

 やっぱり彼女に苦難が待っていることも、私も彼女も知っている。


 でも、はるかちゃんは、最後に私の両手を握りしめた。

 力いっぱい。


 そして、何か伝えようと口を開いて、

 でも、何も言葉が出なくて、

 涙ばっかりが頬を伝っている。


 解るよ、たぶん私は解る。

 彼女が言いたい気持ちが。


 ありがとう、という感謝。

 頑張る、という意思。

 怖い、という気持ち。

 嬉しい、という喜び。

 悲しい、という寂しさ。


 ごっちゃになって、言葉に出来ないよね。


 だから、私も言葉にしない。

 ただ、笑顔で彼女の目を見つめた。


「せっ、先生」

「ん?」

「……いつか、上手にオムレツが作れたら、食べてくれますか」

「……もちろん。どこにいても駆けつけるよ」


 はるかちゃんが抱きついてきた。


 そんな彼女のことを、私はそっと抱きしめ返した。



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