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水の無い川  作者: 京夜
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オムレツ 1


 この病院は、この街のすべての医療を担当している。

 でも全ての科が揃っているわけではない。

 例えば、眼科や精神科は、非常勤の先生が週に一回やってきて診察し、入院している患者さんを診て帰ってしまう。

 その間は誰が診ているかと言うか、実は内科が診ている。


「何でもありだなぁ」


 実は先日、人手が足りないからと、お産の手伝いをした。

 さすが田舎。人の手があれば、何でもありなのだ。

 こんな雰囲気を、私はけっこう楽しんでいた。


 特に私によく任されていたのが、精神科として入院した患者さんだった。

 主治医は週に一回くる先生なのだが、入院が必要な場合の主治医を私が担当しているのだ。

 なぜそうなってしまったか、それには理由があった。

 職員の看護師のお母様がうつ病で入院になってしまった。

 その看護師さんと仲の良かった私に、主治医の依頼が来たのが始まりだ。


 まあ、本当の主治医は精神科の先生だし、顔を見て、話を聞いていればいいや、と軽く構えていた。

 専門ではないから、けっして「ああしろ、こうしろ」とだけは言わないようにしよう、ということぐらいが、せめてものルールだった。


 それが、良くなってしまったのだ。

 いや、もちろん精神科の先生の薬が良かったのだろうと思うのだが、その看護師のお母様と意気投合してしまって、うつ病がどこかいってしまったのだ。

 うつの揺り返しで躁病になっていないか心配になったけれど、どうも大丈夫らしい。

 退院の時、本人と家族の方に大変感謝されてしまった。


 ……そんな経緯を経て、精神科の入院があったときはすべて私が診るという、暗黙のルールが出来上がってしまった。

 何となく、どんどん深みにはまっていく感じがするのは、私だけだろうか。



 その時に出会ったのが、16歳の女の子だ。高校一年生の笹倉はるかちゃん。

 摂食障害と不安障害を抱えていると聞いていたが、出会ったときは「かわいい女の子」という印象しかなかった。

 確かに、ちょっと自信なさげで、表情は暗かったかも知れないが、ちゃんと挨拶もしてくれた。


……言いたくはないが、彼女のほうが少しばかり背が高い……。


年齢差は倍近くあるが、「はるかちゃん」「あかり先生」と呼び合う仲になった。



 彼女の悩みは、突き詰めると「自信がないこと」のようだ。

 ご両親が共働きで、他にも兄弟がいらして、あまりこの子に関われない家庭環境。

 いじめがあるわけではないが、家庭でも学校でも、「自分はできない子」「いなくても良い子」という思いが拭いきれなくて、食欲がなくて、不安に押しつぶされそうになってしまうらしい。

 私から見たら、可愛らしいし、そこまで劣等感を感じることもないのになぁ、とは思うのだが、たぶんいくらそう声をかけても、彼女には届かないことは解っていた。

 それで治るのであれば、彼女は入院していない。


「勉強しなくちゃ、と思うんです。でも勉強をしようとすると、解らなかったらどうしよう、憶えられなかったらどうしよう、って不安になってできないんです」


「運動を頑張ろうと思っても、運動苦手だし、体力ないし、迷惑をかけそうだし……」


「オムレツが好きなんです。自分で作ってみたいのに、何度やっても卵がうまく割れないんです」


 私も卵割るの下手だよ、と思うし、それぐらい気にしなくてもいいよ、と思うけれど、彼女にそれを言うときっともっと不安になってしまうことも解ってしまった。


 ひとつひとつ絞り出すようにつぶやいて泣いてしまう彼女の話を聞いて、


「そっかー、つらいね……」


 と言って、頭をなでてあげることしかできない。


 うーん、とにかく基本方針を決めよう。

 ただ話を聞いて、うなずいてるだけでは私も不安だ。


 悩んで、悩んで、私はこの3つに決めた。


・ありのままでいいと、全身で伝える。

・つらい気持ちを言葉にさせて、ちゃんと泣かせてあげる。

・ささやかに褒めて、愛していることを実感してもらう。


 治そうなんて、だいそれたことを私はできない。専門家でもないし。

 ただ、私の言葉で傷ついてほしくないし、間違っても死なせたくない。


 Do no harm


 そこだけは守っていきたい。


「よし、気合い入れていくぞ!」


 精神科の先生が本当の主治医ではある。でも、こうして知り合ったのだ。

 できることはしたいじゃないか。



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