別れ 2
今回だけ、「あとがき」と2話連続になっていますので、ご注意ください。
ずっと往診をしていた駒田大樹さんが入院をした。
熱が上がって、呼吸が苦しそうで、検査をしたら肺炎の診断となって、入院となった。
この入院も実は二度目で、前回は何とか良くなったが、今回はどうやら改善しそうにない。
酸素治療と抗生剤の点滴をしているが、体の状態はゆっくりと下降していた。
病室のかたわらには、いつもの翠さんが座っている。
24時間というわけには流石にいかないが、午前中のうちに仕事や家のことをすませ、午後はずっと付き添っている。
もちろん、話しかけても大樹さんは答えてくれない。
ただ苦しそうに呼吸を繰り返しているの大樹さんを、翠さんはただ慈しむように眺めていた。
「たぶん、今回は、乗り越えられません」
「……解ります。覚悟はしています」
「お会いさせておきたい方がいらしたら、声をかけておいてください」
「子供たちと夫が、明日には来ると思います」
翠さんは、そう静かにつぶやいた。
そして翌日、家族全員が揃うなか、待っていたかのように大樹さんはその長い人生を終えた。
最後は静かな息となって、眠るようにして呼吸は止まった。
翠さんも、家族の方も泣いた。
それぞれに手を握りしめ、身体をさすり、十分に泣いて悲しんだ。
ネイティブアメリカンの教えで、
「あなたが生まれたとき、あなたは泣いて周りの人達は笑っていたでしょう。
だから、いつかあなたが死ぬとき、あなたが笑っていて周りの人たちが泣いている。
そんな人生を送りなさい」
そんな言葉を思い出しながら、
きっと大樹さんは、人生を生ききったのだ、と思った。
病院から車に乗って、大樹さんが家に帰っていく。
そのお見送りをしていたとき、翠さんが御礼の言葉をかけてくれた。
「先生、本当にお世話になりました。先生が主治医で、本当に良かったです。有り難うございました」
「いえ……足りないことがたくさんあったと思います。申し訳ありませんでした」
「そんなことないです。いつも親身になって、真剣に対応してくれたこと、心より感謝をしています」
「そう言っていただいて、ありがたいです」
双方にお辞儀をしあったあと、翠さんがじっと私のことを見つめてきた。
なんだろう、と思っていると、翠さんはこう呟いた。
「先生は3月いっぱいで大学に戻られるのですよね」
「あっ、はい」
「残念です。今度は私を見てもらおうと思っていたので」
「体調が悪いのですか?」
「そういうわけではないのですが、何かあったら、ね」
「そうですか、私も残念です。残りたかったですし、また戻ってこれたら、と思っています」
そう言うと、翠さんはくすっと笑った。
「先生は水無川みたいですね」
「えっ?」
「たくさんのきれいな水が流れたと思ったら、消えてしまう。でもいつかまた、流れてくれることを願っていますよ」
「あっ……はい。解りました。ありがとうございます」
翠さんは私の言葉に、にっこりと笑ってくれた。
オムレツを一緒に作ったはるかちゃんは、私がいなくなることを知って、ギャン泣きだ。
外来で泣かれて、泣かれて、大変だった。
「まだ美味しいオムレツを作れなくてごめんなさい」
とか
「先生、まだ自信がないです」
とか弱音ばかり泣きながら言っていたけれど、
頭を撫でながら、泣き止むのを待っていたら、
「……もっと強くなります。待っていてください」
と最後は言ってくれた。
「うん、待っているよ。いつまでも、どこにいても」
この思いは今でも、続いている。
スタッフの人達とは何回か送別会を開いてもらった。
患者さんとは、外来や往診などで挨拶をして回った。
ここの人達は、悲しいけれど別れに慣れているところがあって、それほど驚かれずに受け入れてもらえた。
かえって私のほうが慣れない別れに、胸が痛かった。
最後の日まで私は働いた。
家の荷物は週末に新しいところに送ってもらい、それからは駅近くのホテルに寝泊まりしていた。
だから、最後の仕事が終わった夕方に、ゆっくりと病院の中を挨拶して周り、そのまま新幹線の駅に向かった。
明日から、大学病院での仕事がある。ゆっくりしている暇はないのだ。
そんな何時になるか解らない最後だったから、見送りは拒否したけれど、やっぱり圭吾は来てくれた。
駅まで車で送ってくれて、改札口まで来てくれた。
浦佐駅はやっぱり人がいなくて、駅員以外は今日も私達二人だけだった。
「送ってくれてありがとう。本当にいろいろありがとう」
「僕がしたかっただけです。見送れて良かったです」
「私も、最後に会えて良かった」
ちょっとだけ迷ったけど、私と圭吾は抱きしめあった。
身長差があるから、覆い被されるようなハグだけど、やっぱりとっても温かい。
離れがたい、な。
あっ、やば、泣きそう。
「あかりさん、本当に気をつけて」
「圭吾もね」
「また連絡します」
「うん、私もする」
「遊びに行きます」
「私もまた来るよ」
「待っています」
「私も待ってる」
お互いの背中を叩きあって、そっと離れる。
いい加減、行かないとね。
「じゃあね」
「はい、また」
「うん、また」
また、ね。
私は、荷物を持って歩き始めた。
改札口を抜け、階段を降りる、その間際にもう一度圭吾に手をふる。
圭吾も大きく手を振り返してくれる。
そして、姿が見えなくなる。
階段を降りながら、私は少しだけ泣いた。
少しだけ泣いて、そして明日を思う。
また命を救う、その思いが、悲しみをゆっくりと消していくのを感じていた。
〈水の無い川 終わり〉




