太陽のような人
私の内科医としての仕事は、外来、入院、検査、往診、当直になる。
だいたい、朝の7時半頃には病院に来て様子を見て周り、午後の6時頃には業務は終わるが、事務仕事をしたり、勉強をしたりして、帰るのは9時か10時頃が多い。それでも、1-2年目の頃よりは余裕がある。
少しずつ慣れてくるに従って、あらためて一人ひとりの患者さんと向き合うことができるようになってきていた。
ひときわ思い出に残っている患者さん、いやむしろ、「その家族の方」がいる。
患者さんの名前は 駒田大樹 90歳の男性。脳梗塞で寝たきりとなり、今回は食事がとれなくなり、胃瘻(お腹に穴を開けて、直接胃に栄養を送るためのチューブを入れること)の造設目的に入院された方だ。
そして、その娘さん。駒田翠さん、60歳女性。
綺麗な人だ。
東京でだって、これほど綺麗な人はなかなかお見かけしない。
スラッとしていて、品と緊張感があって。
それでいて優しげな、仏様のような笑顔を向けてくれる。
病室に行くたびによくお見かけするが、仕事をされているし、結婚もしているし、子供さんも二人いるらしい。患者さんと姓が同じなのは、旦那さんが婿養子とのことだった。
しかも60歳とは思えない色気まである……少し私にも分けてほしいよ。
私は病室に入ると、軽く会釈をしたあと、こう尋ねた。
「最後の確認ですが、本当に胃瘻をつくる、という方針で良かったですね?」
こう聞くには理由があった。
このあたりは、田舎の町にありがちな高齢者の多いところだった。
ただ他の田舎とひとつ違うことは、在宅で看取る方がとても多いことだ。
東京では9割以上は病院で亡くなられると思うが、このあたりでは半数以上が自宅で亡くなっている。
もちろん、亡くなる本人の「最期は自宅で」という気持ちはよく解る。
慣れ親しんだ「自宅の畳の上」で亡くなりたいというのは、嘘偽りのない本音だと思う。
それを支える医療ソースを我が病院は提供しており、望めば「自宅で最期を」が実現できてしまう。
しかし私は思うのだ。
それを介護しているのは、嫁いできた赤の他人のお嫁さん。
家族全員でバックアップしてくれる所なんてほとんどない。お嫁さんが孤軍奮闘で介護をし、家の家事を行っている。
最後を看取った時、悲しむ長男の横で、疲れ切ったお嫁さんの無表情があることが少なくない。
「本当にお疲れさまでした」と声をかけると、そのまま泣き出したお嫁さんが何人もいる。
この患者さんも90歳で寝たきりで、ほぼ意識はない。
発語もなければ、反応もほとんどないのだ。
胃瘻を作った後は、自宅に戻り、この娘さんが一人で介護をすると聞いている。
もう大往生だと思う。
このまま胃瘻を作らず、最期を看取っても、誰も何も言わないと思うのだ。
「胃瘻を作らず、このまま看取るのも、ひとつの選択肢だと思うのです」
詳しくは語らないが、私はもうひとつの選択肢を提示した。
多分、彼女はこの言葉だけで理解してくれるはずだ。
私の言葉に、彼女は優しげな笑みを浮かべて、話し始めた。
「先生。この人、昔はとっても厳しい人だったんですよ。」
一人娘として厳しく育てられ、何度も家を飛び出したいと思ったことがあるという。
「でもね、やっぱりそれが愛情だったと、解るんです。大切なものを守るために、全身全霊で生きていたことが、解るんです」
そう言いながら、彼女は父親の頭を優しくなでた。
「いろいろありました。本当にいろいろ……」
「…………」
「もしかしたら、この人はこのまま死にたいと思っているかも知れません。」
「……胃瘻、やめますか?」
そう言うと、彼女はすこしの時間、沈黙をした。
ただ、それは悩んでいるようには見えなかった。
父親を慈しむ、そんな視線をしばらく父親に向けていた。
「先生、これはね。私のわがままなんです」
「えっ……?」
「私が生きていてほしいのです」
「…………」
彼女はまっすぐ、迷いのない瞳で私を見つめた。
窓際に座る彼女に、夕日の柔らかい陽射しが、その陰影を濃くするように照らしていた。
「私にとって、父は太陽なんです」
彼女は、力強く、そう言い切った。
浅はかだった。
私はどこかで、命のことを軽んじていた。
もう十分じゃないか。
生きている価値がないのじゃないか。
苦しいだけだろう。
命の価値が、だんだんとすり減るとでも、どこか思っていたのだ。
そんな私を、彼女は心地よく、切り裂いてくれた。
生きていることの価値。
何ができなくとも、
迷惑を掛けるだけでも、
太陽である、という輝きを命は持っている、と。
「だから先生、どうかよろしくお願いします」
彼女は娘ほどの年齢の私にためらいなく、頭を下げた。
それは、命の責任だ。
「……責任を持って、診させていただきます」
私も、患者さんへの敬意を持って頭を下げた。
頭を上げた彼女は、それを見て、何よりも嬉しそうに笑った。