スキー 3
翌朝早くに叩き起こされた。
ガチなクラブというのを忘れていた。関さんの言っていたとおり、本当にリフトが動き出す一番に乗り込み、滑るのだという。
まあ幸い早くに寝ていたので眠くもなければ、マッサージのおかげか体調もいい。
天候も夜中の雪がやんできて、晴れ間がのぞき始めている。絶好のスキー日和だ。
「さあ、今日も滑りますよ」
関さんのテンションの高さも、今日は同感だ。
私も早く滑りたい。
昨日同様に、いきなり頂上に向かうことになった。
コンドラの入り口で待っていたが、本当に私達が一番乗りだ。
リフトに乗り継ぎ頂上につくと、そこは一面の新雪で、まだ誰も踏み込んでいない斜面が広がっていた。
「きれい……」
さすがに、これは初めて。
なにかのテレビで、山の頂上から滑降するスキーヤーの画像を見たことがあるが、気持ちは同じかもしれない。規模は違っても、ワクワク感がすごい。
「さあ行きましょう。せっかくですから、先生、一番手どうぞ」
一番手という言葉に戸惑ったが、ここで待っていたら他のお客さんに一番手を奪われてしまう。
「ありがとう。では行ってきます」
頭を軽く下げて、私は滑り始めた。
最初は速度を上げて、そしてターン。
その時、私は空を飛んだのかと思った。
雪が柔らかくて、ターンをした時にふわっと自然に身体が浮かんだのだ。
ああ、解る。思い通りに滑れる。
これは楽しい!
ターンのたびに雪が舞って、きらきらと輝いて。
本当にただひとり、雪山を滑走しているような爽快感を感じた。
夢を見ているような、あっという間の出来事だった。
永遠のような一瞬な時間を過ごし、
私は麓に降り着いて、ゴーグルを外した。
「はぁ、はぁ」
呼吸を忘れていたかのように、肺が酸素を熱望する。
それすらもが心地よかった。
山の頂を見上げると、次々に滑っているスキーヤーを見かける。昨日と変わりない光景だったが、この一本は間違いなく今までで一番の一本だった。
ざぁっ、と次々に仲間たちが近くで止まっていく。
「先生、どうでした」
近くに止まった関さんが聞いてくる。
彼の笑顔がすべてを物語っている。
「最高でした」
「でしょ? さあ、また行きましょう」
これはね、夢中になるよ。
私は自分の体力も忘れて、夕方遅くまで滑り続けた。
「もう無理、明日は無理」
明日は帰る日だが、午前中に滑ってから帰る予定らしい。さすがガチクラブ。
だが、私の身体は疲労を訴えていた。
昨夜同様、お風呂に入り、夕食を食べ、そして私はまたマッサージを受けていた。
「別に明日は全員が滑るわけではないですよ。一緒にお土産でも見ますか?」
「そうする……」
病棟や外来の人たちにお土産を買わなくちゃね。
それにしても、彼も疲れているだろうに、嫌な顔ひとつせず今日もマッサージをしてくれる。しかも、昨日よりもよりしっかりと。
疲れを残さないようにしてくれているのだろうけど、申し訳ない。
「でも何かね、もう、このマッサージなしでは生きていけないような」
「大げさですよ」
「いや、それぐらいありがたい。今までマッサージのこと、甘く見ていたよ」
「またいつでもやりますよ」
「うぅ、申し訳ないけど、頼んでしまいそう」
「どうぞ、どうぞ」
彼はいつもの笑顔でそう甘やかしてくれる。
うーん、ありがたいけど、何か返したい。
「今日こそはマッサージをしてあげるよ」
「大丈夫ですよ」
「なら今度、お酒をおごる」
「気にしないでください」
「……やっぱりおっぱい揉む? こんなので良ければ」
「冗談ですよね?」
「いくらか本気」
「………………他の人にはそんな事言わないでくださいね」
「他の人には言わないよ」
そういうと、圭吾はしばらく黙ってしまった。
うつ伏せになっているので、表情は解らない。
でもきっと、言葉の意味を考えているのは気配でわかる。
「からかう気持ちじゃないよ。素直な気持ち。いつもね、本当にありがとうね」
「…………私の方こそ」
「私、何か返せてる?」
「はい」
「……それならば、良かった」
春が来たら、別れが来るかも知れない。
つい先日、医局からは希望を聞かれた。
もう一年、続けたい。ただ、医局の方針に従います、と答えた。
どうなりそうかまったく情報はもらえなかったが、他の同期たちに聞くと、大学病院でひとつ新たな部署が新設されそうで、人手を集める話があるという。
そうなると、戻らされる可能性は高いと思う。
大学は残念ながら自分のところをまず一番に考える。そして、間に立つ調整役の人が、外の希望に応えられなくて苦しむのだ。
もちろん、人を送ってもらえないところが、いちばん大変なのだけれど。
だから、私はこの関係に名前をつけることが出来ていない。
いつかはきっと、はっきりとさせないといけない日が、たぶんすぐそこまで来ている。
ただ今は、この時間がとても、愛しかった。




