雪国
新潟は豪雪地帯とは聞いていた。
聞いてはいたが、聞くのと経験するのとは大きな違いがあった。
12月中旬から降り始めた雪は、むしろ暖かいがゆえに湿り気を持ち、吹き飛ばずにしずかに積もっていく。
昨日も降る。
今日も降る。
明日も降る。
気づいたら、雪は2mの高さになっていた。
「…………雪を甘く見ていた。こんなに降るなんて……」
「ああ、太平洋側から来ると、そう思いますよね。でもね先生、今年はこれでも少ないほうなんです」
「…………2mで?」
「はい。多い年は3mとかいきます」
私2つ分かよ……。完全に埋まったら、春の雪解けまで行方不明だな……。
生活しづらいかと言うと、そうでもない。
道路には融雪パイプからお湯が出てきていて、雪は常に溶かされているし、パイプのないところも夜間帯にはブルドーザーが除雪しており、交通に不便はない。
新幹線だって、想定内なのだろう。遅延一つしていない。
ただ、どうしても長靴、スタッドレスタイヤ、雪下ろし用のスコップは必需品だった。
「先生も雪が降る前に買っておいた方が良いよ」
と言われてわけも分からずに購入しておいたが、これがなければ生活できない。
朝、車で通勤し、病院の駐車場にとめて夜帰ろうとすると、駐車場にはいくつものかまくらが出来上がっている。
車ごとに、雪が積もって埋まっているのである。
道路は除雪されているが、車に積もった雪は溶けずにつもり、そんな不思議な風景が出来上がるのだ。
何となく笑えてきて、私は夜中に変な声を上げながら、車からスコップを取り出して除雪した。
当初は雪が降ると嬉しくなって、
「みんな雪遊びしないの?」
と聞いたが、みんな一様に不思議そうな顔をする。
「雪は遊ぶものじゃなくて、おろすものだよ」
と返答される。
そういえば新潟で雪合戦は一度も見なかったし、雪だるまもほとんど見かけなかった。
むしろ屋根からの雪下ろしをして腰を痛めた方や、転落をして救急にかかる方はおみかけした。
どうも、雪の少ない地域からきた人が、雪に大喜びをする様子は、生温かい視線で眺められていたらしい。
彼らにとって雪は仕事なのだ。
このあたりでも、さらに山奥に入った山村は、冬になると完全に閉ざされる。
よくそれで生活ができるな……と心配になるが、毎年のことでそれほど問題でもないらしい。むしろ、春になるとたくさんの山菜が芽吹き、それを収穫して販売しており、それなりに裕福だという。
ただ、ご高齢の方はそういうわけにもいかず、冬の間だけ入院をしていただくことになる。
通称、「年越し入院」。
そんな入院が入り始めると、
「冬が来たね」
と風物詩のように語り合っていた。
私も一度、その季節に新幹線に乗って東京を往復することがあった。
東京についた時に、たったひとり膝まである長靴を履いている私は、ものすごい場違い感があった。新潟にいた時に普通だったのに……。
そして、帰る時。
新幹線の窓の光景が、ずっと町並みや畑が続いていたのに、新潟に入る山のトンネルを抜けると、まさに川端康成の「雪国」の風景そのままが広がっていた。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」
景色が一変するのだ。
急にあたりが真っ白になる。
あの光景は忘れられない。
そして、この雪が積もり、春になり雪解けていく。
夏の間、本当に水の無くなった「水無川」に水が流れ始め、大地を潤していく。
お米が作られ、お酒が作られ、山菜が芽吹き、西瓜が実る。
いくつもの自然の条件が重なってできた、私は奇跡だと思うのだ。
私は経験したことのない「雪」を、心から楽しんだ。




