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水の無い川  作者: 京夜
14/31


 ようやく夏の暑さが和らいで秋の訪れを感じる頃、院長先生からお食事のお誘いがあった。


「遅くなったが、良かったら一度食事でもどうかい」


 院長先生はもう70歳近い方だが、とても精力的で元気だ。

 いつも何かあっても、


「そうかそうか、先生に任せるよ! よろしくな!」


 と豪快に笑って、肩をたたいてくれる。

無責任というよりも、信頼して任せてくれる上司だ。

病院にいないこと多いので、最初は


「人に仕事を振ってばっかりで、仕事していないんじゃ……」


 と訝しむこともあったが、こうしてスタッフを揃え、経営的に成り立たせているのは、院長先生が動いて回っているからだと、だんだんと理解できた。

 いつも明るく笑っているが、人知れない苦労をきっと抱えていると思う。


 院長先生の申し出を受け、後日食事を一緒させていただくこととなった。



「ここだ、ここ! さあ入ろうか!」


 と院長先生が案内してくれたのは、まるで森のように木々の生い茂った中に、突如現れた大きな建物だった。

 おそらく、このあたりを管理していた豪商の古民家なのではないか、と思う。

 普通の家が3-4軒分はありそうな大きさでありながら、かなり古そうな木造家屋で、屋根は茅葺きなのか、とにかく豪雪にも耐えられそうな草が分厚く重ねられていた。

 文化遺産とかでテレビで見たことのある、いわゆる豪雪地帯での古くて大きな田舎の家屋だ。

 実際におとずれてみると、その重厚感と圧倒感が凄い。


 院長先生とふたりでタクシーから降りると、ゆっくりと歩いて中に入っていった。


 建物の中は、見たこともないような太い樹木が幾重にも張り巡らされ、空間を作り出していた。それだけでまた、圧倒されてしまった。

 女将と思われる女性に案内され、広間から通路を歩き、やがてひとつの部屋に案内される。


「こちらになります」


 広い部屋ではない。

 しかし、古いながらもしっかりと整えられた部屋は、むしろ美しさを感じられた。

 畳が敷かれ、机があり、床の間がある。

 そして、窓の外はすでに暗くなっているが、太い樹木の幹が見れた。


「外に見えますのが、ここの名前の由来になっております『欅』です。樹齢1500年と言われております」


 1500年……大化の改新の頃にはすでにここにあったなんて、もはや人間の人生では計り知れない。

 生きている、というそれだけで神々しささえ感じてしまう。


「はい、はい。先生、そちらに座って、楽にして」


 いつもの軽い調子で、院長先生がすすめてくる。まあ、正座を続けるのも無理なので、遠慮なく足は崩して座らせてもらおう。


「最初はビールかな。先生は飲めるよね。その後はお酒で」

「八海山の大吟醸でよろしいですか」

「うん、それで頼むよ」


 おぉ、大吟醸。私も初めてだ。さすがに、高いのだろうなぁ。


 注文を終えて、女将さんが出ていくと、すぐに院長先生が話し始めた。


「先生、いつもご苦労さま。ありがとうな。どうだいここの病院は」

「はい、勉強になりますし、楽しくやらせてもらっています」

「そりゃあいい。どんなところが勉強になるかい?」

「なにしろ3年目なので、何もかもが勉強になります。今までは上の人の指示に従っていたばかりでしたが、今は全て自分で考えるので、緊張はしますがやりがいがあります」

「そうだな。大変だろうけれど、よくやっていると聞いているよ。センスがいいんだよ。難しいと思うところは素直に助けを呼んでくるし、やれることはやれる限りのことをやろうとしている」


 見ていないようで、やっぱり見ている。いや、聞いているのかな。


「いえいえ、皆さんには本当に助けていただいてます」

「看護師さんとかいいだろう、頑張り屋で」

「はい、皆さん忙しくても明るくて、一所懸命です。ありがたいです」

「そうだろう。医者はほとんど外からだけど、他の職種はほとんどここらが地元だ。郷土への愛も、仕事に対する誇りも凄くある」

「そうですね。そう感じます」

「うんうん、そうだろう」


 院長先生は嬉しそうに笑った。


 この店の料理は、基本的に郷土料理だ。

 のっぺい汁と言われる、冷たい野菜の汁物……でよいのかな、は正直美味しいとは言い切れないが、ここらで取れたものばかりなのだろうな、とは感じた。

 魚野川では鮎が取れると聞いているが、やはり料理にも出た。これはほろ苦いが、美味しい。

 そして、日本酒にあう。大吟醸、うまいなぁー。


 しばらく美味しい食事をいただきながら、とりとめもないことを話していた。

 食事の内容、終盤に差し掛かった頃、やはりその質問はきた。


「先生。もう一年やってみたいと思わないかい? もう一年やれば、大腸内視鏡も研修できるし、より診療には深みが出るぞ」


 来るだろうとは思っていた。私もこれが今日の主題であることは解っている。

 むしろ、この半年近くを見て、私に残ってほしいと思ってくれたのだ。3年目のペーペーにはありがたいことだ。


「ありがとうございます。ただ医局人事なので、私の一存では」

「解ってるよ。ただ、本人の意向は尊重される。最近は昔ほど、医局任せではない」


 さすが解っている。おそらくそうだと思う。

 ただ私の希望で、医局長を悩ませていいのかどうか、解らない。

 おそらく連絡が来る、その時に話し合い、悩めばいいと思う。


「もう一年どうだ、と言われたら残ります」

「そうか、嬉しいな。そう言ってもらえるよう、私もできる限りのことをするよ」

「……やはり医師の確保は難しいのですか?」


 私がそう聞くと、院長先生は珍しく口をつぐんだ。

 しばらくの沈黙の後、手に持ってお猪口を飲み干し、そして語り始めた。


「先生は、この病院の由来は聞いたことがあるかい?」

「少しだけ。たしか、先生を含めた3人の医師で始めたと」

「そうなんだ。3人で東京から出てきてな。ここで日本一の医療を作り上げようってな」


 確か、東京大学出身の三人の医師だと聞いている。今でも大変なことだが、当時はもっと騒ぎになったと思う。


「まあ忙しいけど、楽しい日々だったよ。まあ、私の仕事のほとんどは良い人を集めて、定着させることだったな」


 やはりそうなのか。おそらくそれが、いちばん大変なことなのだろう。


「日本全国すべての大学に挨拶にまわったり。居心地の良い、やりがいのある環境を作ったり。まあいろいろだ」


 全国全ての大学といったが、その大変さを考えると、想像を絶する。ほとんど、良い返事がもらえなかったと思う。

 しかも、3人いた創立者も、今では1人。1人は診療所を開設して離れ、もうひとりはすでに亡くなったと聞いている。

 院長先生もすでにかなりの年だ。後継者人事の話もちらほら噂が出ている。


「私はこの病院も、この街も、とっても良いところだと思っている。日本酒もうまいしな」


 院長先生はそういって大きく笑う。その点については、私も大いに賛同する。


「それでもなぁ、やっぱり医者は都会に行くな。自分の診療技術が落ちるのじゃないかと不安になったり、家族が一緒に来たがらないとかな」

「やっぱりそうなんですか……私は勉強になっていますし、先生方の医療も素晴らしいと思っています。……ただ、もし家族がいたら……そう思うかも知れません」

「まあな。住んでみると、いいところなんだか」

「私もそう思います。食事が美味しい、みんな優しい、必要なものもほとんど揃いますし」

「そうだな」

「第一、新幹線が歩いて5分で、混雑がないって信じられません」

「あはは!」


 いやむしろ、潰れないか心配だ。東京の混雑になれると、不安にすらなるが、最近は慣れてきてしまった自分もいる。


「今は、良い先生に本当に頑張ってもらっている。だがね、頑張らなくていい環境を作りたいんだ」

「…………」


 言いたいことは解る。都会とは違った、ひとりひとりの医師にかかる時間と責任の重さ。代わりがいないことでの拘束が、やはり問題になるのだろう。

 医師がやめてしまったら、その科が立ち行かなくなることは誰でも想像できた。

 なんとかしたいのだ、院長先生は。


「…………私はここでずっといてもいいな、とは何度も思いました」

「…………うん、それだけでも良かったよ。ありがとう」


 院長先生はまたお酒を一口。


「まあ、私も若くないからな。後のことが心配になるんだ。とはいえ、無理強いはしないよ。楽じゃないことは解っているからな」


 楽じゃないと解っていることに、一生を費やした先生。

 この地域は、この病院があることで医療について心配せずに生活ができている。

 それがどれだけ大きくて、大変なことか。


 それを、この先生がひとり、背負っている。


 遅まきながら、院長先生の空いたお猪口に日本酒を継ぎ足した。


「いやいや、気を使わなくていいよ。手酌が楽しいんだ」

「感謝の気持です」

「そうか……ありがとう」


 女将さんが、最後の料理を持ってきた。

 白いご飯とお味噌汁と香の物。


「新米になります」


 何産なんて野暮なことは言わない。魚沼産コシヒカリの新米に決まっている。


 お米はつやつやに輝いてるように見えた。


 お箸を使って、ひとくち口に運ぶと、口の中でほろりと溶けて、甘みが広がる。

 今まで食べていたものと違う、これだけでご馳走だ。


「美味しいです。新米ってすごいですね」

「まあな。やっぱり収穫したてで、脱穀したてはうまいな。土地の人達はそのことを良く知っていて、劣化しないための保冷庫と脱穀機がほとんどの家にあるらしいな」

「……本当ですか」

「さすが米の国だよな。うまいはずだよ」


 噛み締めて、そしておかわりをして、私も新米を楽しんだ。


 結局、院長先生はそれ以上、その話題については触れなかった。

 その心遣いに、かえって心苦しくなったが、おかげで楽しく、美味しく、食事会を終わることができた。


 帰りのタクシーで家まで送ってもらい、


「今日はありがとうな」


 とタクシーの中で手をふる先生に、ゆっくりと頭を下げて見送った。



 院長先生、身体を大事にしてください。

 そう強く、願った。





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