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水の無い川  作者: 京夜
11/31

八海山 2


 何度かの休憩をはさみつつ、だいぶ頂上が近くなってきた。

 岩肌のゴツゴツした場所が多くなってところで、それはあった。


「なにこれ」

「登山ルートです」

「聞いてないよ」

「話してないですね」

「騙したな」

「大丈夫ですって。たいした距離ありませんから」


 何があるかと言うと、鎖だ。

 つまり、登山ルートが岩場になり、狭い通路、崖登りのための鎖があったのだ。

 人ひとりしか通れないので、後ろの人のためにも止まってはいられない。


「ぎゃー、怖いー!!」

「さすが先生、怖がりながらも進んでますよ」

「聞いてないよ! なんでこんなに歩くところが狭いの。落ちるよ!」

「落ちませんから大丈夫です。いざとなったら支えます」

「どうせならおぶって!」

「そうしたいのは山々ですがね……山だけに」

「こんな時にそんなダジャレいらないー!」


 私は半泣きになりながら、鎖場を登りきった。


 確かに、それほど距離はない。

 でも、岩肌を見ると、足を滑らしたような跡があったりして、心を落ち着かせるのは無理な話だった。


「ご苦労さまです。もう後は大丈夫ですよ」

「……もしかして、帰りもまたここ通るの?」

「遠回りですけど、迂回路で行きます?」

「迂回路、あるんかい!!」


 そこから突き落としていいよね。

 私にはその権利があるよね。


鎖場から頂上までは、それほど距離はなかった。

心は疲れ切っていたが、身体はまだなんとか大丈夫だった。


「ほら、先生。頂上ですよ」


 そう言われて、登りきったところで、あらためて顔を上げた。


 一面の空、そしてあたりに広がる山々。

 私は一瞬、苦しさを忘れた。


「…………」


 空は相変わらず雲ひとつなく、その青さがいつもより濃く感じた。

 そして、いつも見えた山並みが眼下に広がっている。


「あー、たしかに気持ちいい……」


 山を登る人の気持ちが解る気がする。

 登るまでの苦労はあるが、確かに登りきったときの達成感、爽快感は気持ちいい。

 何というか、心が解き放たれるような開放感がある。


 景色をよく見直すと、新幹線の線路が見えたり、それをたどっていくと、あそこはおそらく自分の家あたりだ。病院ははっきりとここだと見つけることができた。


「病院が見えるよー」

「見えますねー」

「田んぼ広いねー」

「広いですね」


 はしゃぐ私を、楽しそうに遠川くんが相槌を打ってくれる。

 そんな時、リュックに付けていた携帯電話がなった。


「……頂上も圏内なの?」

「山の中で遭難した時は、携帯が命綱です」


 携帯を取り受けて見ると、病院の病棟からの電話だった。


『先生、お休み中にすみません。408号室の近藤敬三さんが熱発してしまったのですが、どうしましょうか』


 入院の主治医をしている患者さんの熱が出たらしい。とはいえ、様子からはそれほど緊急性はなさそうだ。


「バイタルは大丈夫なんだよね。なにか症状ある?」

『大丈夫です。サチュレーションも低下してません。少しだけ咳が出ています』

「なら、今日は発熱時の指示を用いておいてください。明日、診察します。もし状態が悪化したら当直先生にお願い。今は駆けつけられないところにいて」

『……先生、いまどこか聞いても?』

「八海山の頂上」

『……駆けつけるのは無理ですね』


 電話の向こうの看護師さんがくすりと笑った。


『解りました。お楽しみ中にすみませんでした』

「いやいや、連絡ありがとうね」


 電話をきって、もう一度病院を眺める。


「飛んでいけるといいんだけどなぁ」

「急ぎですか?」

「ううん、大丈夫。ありがとう」

「良かったです。じゃあお昼ごはんを食べません?」


 あれ、私おやつは買ってきたけど、お弁当ないよ。


「実は先生の分も作ってきました」


 遠川くんはそう言って、人がいるあたりを少し避けた岩場に腰を掛けて、かわいいお弁当箱を開けてくれた。

 そこには、きれいに詰められたサンドイッチが並んでいた。


「おぉー、ありがとう!」


 さっそく私も、彼の横に座る。

 気のはやる私に、まずはお手拭き、次は水分とつぎつぎに渡してくる。

 彼がそうなのか、最近の男性がそうなのか、女子力が高くないか?

 それとも私が低すぎるだけなのだろうか……。


 残念な考えが頭をよぎるが、それを横に払い、受け取ったお茶を飲む。冷たい液体が喉元を滑るように落ちていく。

 そして、いよいよサンドイッチだ!


「いただきます」

「はい、どうぞ」

「おっ、凄い。ツナやハムだけじゃなくて、これはもしかしてローストビーフ? サラダもパリパリしていて美味しい!」

「先生、慌てなくていいですから、たくさんありますよ」

「わーい」


 先生と呼ばれているけど、はたから見れば、彼が先生で私が生徒に見えるじゃないかしら。

 ……そんな事を考えながら、ふと私は上目遣いで彼に言ってみた。


「ねぇ、お兄ちゃん。あかりに食べさせて!」

「ブフォッ!」


 おぉ、思いの外、盛大に吹き出したな。


「げほっ、げほっ。……先生、急に何言っているですか」

「いやあ、病院を出たらいい加減、先生というのもどうかと思って」

「そうならそうと言ってください。……意外に威力ありましたよ」

「『お兄ちゃん?』」

「そう」

「ロリコン?」

「……違います」

「近親相姦願望?」

「違います!」


 彼の顔も真っ赤だ。

 私が笑ったら、ふてくされていた彼もしだいにつられて笑いだした。


「もぉー……はいはい、いいですよ。じゃあ、私のことも圭吾って呼んでください」

「はいはい、じゃあ圭吾くん。私のことは明里で」

「明里……先生じゃ駄目なんですよね。……さん?」

「かな。ちゃん、でもいいよ」

「ちゃん、だといろいろ勘違いされそうなので、さん、で」

「オッケー」


 もともと先生というのは、いつまでたっても言われ慣れないんだ。

 まだまだ研修医という身だとなおさらだ。

 とはいえ、何となく下の名前で呼ばれるのは、恥ずかしいな。

 まあ、いいか。


「さあ、では帰りますか」

「うん」

「鎖場、行きます?」

「迂回路で!!」

「はいはい」


 そうして、私達は山を降り始めた。



 翌日、私は盛大に筋肉痛になり、見た目ほど肉体は若くないのだとあらためて知らされた……。



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