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「失礼します。殿下」
「ん?リリ……ブレアか」
「すいません。声のトーンが違うのはいちいち気にしてませんよ。そんな顔しないで下さい。気持ち悪いとも思いませんが、そこまで変えなくとも。後、引き継ぎましたのでご安心を」
「リリアーナは?」
「食事の準備に。人払いも済んでます」
「そうか」
そう言った瞬間、殿下は自身の御髪を掴んで雄叫びをあげる。あくまで音無。無声雄叫び。本当に雄叫びをあげたら近衛兵が飛んできてしまう。いや、この惨劇を知っているから扉を少し開けて確認しておかわいそうにと思案してそっと扉を閉めるだろう。古参のもの達や本気で働きに出てきているもの達はこのかわいそうな状況と感情ベクトルの向きをきっちり理解している。していないのは結婚目的の令嬢とリリアーナ殿のみ。
だからリリアーナ殿が飛んできてしまうのは大変困るのだ。元凶が来てしまっては元も子もない。惨劇が地獄に変わるだけだ。
ああ!王家の象徴である金色の御髪をそう粗雑に扱って欲しくない。が、致し方ない。取り敢えず櫛を用意しておく。
何故毎朝こんな惨劇になるか、答えは簡単だ。軍事大国にして大陸最強のロペス王室において名君になると言わしめる数々の戦歴及び実績を持つカリスマ王太子クラーク殿下が10余年に渡り不毛な片思いをリリアーナ殿にしているからに他ならない。
「幼い頃の俺を八つ裂きにしたい」
「朝から不穏な事を。今と違って天使でしたのに」
「なぜあの時の俺は何も考えずに納得していたのだ?!リリアーナは昔から真面目で冗談を言うタイプではなかったのに!」
「落ち着いてください」
「何故、侍女なのだ何故!正さなかったのだ!!!私はリリアーナを正室に望んでいたのに!あの時もそうだ!侍女ではなく正室に望んでいるとプロポーズさえすれば!」
「直ぐお城に上がるからラッキーくらいにしか考えなかったのでしょう?婚約から結婚なら時間が年単位ですからね何より公爵の邪魔が酷そうですし」
「違う!そんな浅はかな事ではない!」
「はぁ」
「あの可愛らしい顔でお願いされたら嫌とは言えん!しかも国外に行くと言ったのだ!!!通常の判断は難しかった…とは言え私もお祖母様も冗談だったのだ…城に上がって侍女をしたいなんて本気で言うと思うか?!相手は公爵令嬢だぞ!!」
「王太后殿下も最終青ざめて、説得されて御いででしたからね。」
「当たり前だ!私は1日も早くて嫁いで欲しかったのだからな!!!」
「で、蓋を開ければあの凄惨な親子喧嘩になったと」
「悪夢以外の何者でもない」
部屋のノック音が無ければきっとこのままメソメソへたれモードは続いていただろう。しかし、「殿下」という声が聞こえた瞬間の変わり身。王太子にふさわしい表情と雰囲気。相変わらず素晴らしい。リリアーナ殿は静かにカートを押して入ってくる。横にいるのはグレンジャー伯の令嬢か。なるほど洗練された動きではあるが目線の媚が酷い。私可愛いでしょう?感半端無い上に顔自体、殿下の好みからかけ離れている。いや。好みもへったくれもないか。殿下の好み=リリアーナ殿だし。リリアーナ殿ならなんでもいいってこの間、ボソって言ってたからなぁ…。ちらりと殿下を見ると死んだ目をしている。これはいけない。色々と迷惑がかかる前触れだ。だが、原因のリリアーナ殿は何に気がついてない。横の令嬢も!勘のいい娘ならこの辺りで気がつくのに…残念でしたね、殿下とそう思いつつも諦めろプラス頑張っての視線をやる。その「たった今人一人殺したからお前が増えようが別に構わんぞ」的な視線はやめてほしい。先月の面倒くさくなった私の冗談、「一夫多妻なのだから一人側室娶って悋気を煽りながら「やっぱり私は殿下を御慕いしているわ」と思わせてはいかがですか?」作戦を敢行して「実はまず一人、妻を持とうと思う」からの「本当でございますか?!…嬉しいです。おめでとうございます!ようやく妃殿下のお世話や王子様姫様の世話(以下省略)」とリリアーナ殿が満面の笑みで返した「悲劇の悋気作戦事件」の時のような目付きではないから今日の訓練は4分の3殺しだろうな。頑張って第1騎兵師団の皆さん!死ななきゃなんかなるように手配はしておきます!お医者様!出番です。結局あの時は訓練だけではストレス発散にならなくて「そういや目障りな〜訓練がてら攻めてみるか。」で、周辺国が一つ隷属になったもんなぁ…奴隷大国で陛下も困っていたしその国の民や辺境伯も困っていたから良いけども第1騎兵の方達は地獄だったもんな。…勿論私も。
「殿下?」
「リリアーナ」
「いかが致しましたか?」
「君だけ残って欲しい」
「?!」
「はぁ…本日もですが?」
「下がれ」
「お気に召しませんでしたか?」
「媚びた目の女は好かん」
「あいわかりました。グレンジャー。退室を」
「は、い」
リリアーナ殿の朝の見合いを許可するにあたって殿下は拒否した場合直ぐに退室させる事を認めさせた。なので開始2分足らずの終幕を週に一度続けているのが面白い。リリアーナ殿は殿下の気持ちに気付いてあげて!そして殿下はヘタレないでご自身の気持ちとっとと伝えて第一騎兵師団や私への被害を減らして!!!
静かに紅茶を注ぐリリアーナ殿をうっとりとした顔で見る殿下。あなたの嫁ではありませんよ。ただの侍女ですからその表情気持ち悪いです。と言いたいもののそれをしたら次は東側にある変態王族の国を滅ぼしてしまうだろう。それはそれでいい。最近辺境伯が「リリアーナ嬢に言って煽ってもらおうか」と爆弾発言している程度の困ったちゃんの国だし。うちだって最近までは軍事大国と言えども平和主義で文官よりの陛下が続いたから妙になめられてるし。そろそろ魔王始めましたと内外アピールしっかりしていいんだけど陛下に後10日したらそう言うように言われているから…どうしたものか。陛下は…まぁいつものことだろう。今はまだ他の方々が不味いのだろう。私も他の方々も支度ができていない。そう思っていたのに。
「殿下」
「なんだ?」
「お願いいたします」
「リリアーナがめずらしい」
「あの、ですね」
「?」
「私早く妃殿下のお世話もしたいです」
「…は?」
すいません。陛下にみなさん。10日後無理です。終了のお知らせはいりました!
「ええ。」
「王太子妃は…」
「王子様や姫様も。皆楽しみにしております」
変態とその近くの飢饉の国も取りに行くだろうな。名実ともに魔王化して。可愛い天使の様な殿下だったのに。今はその片鱗すら無い。いやいやいやいや。落ち着け私!まだ挽回のチャンスが…無いな。無い。笑顔の殿下は内心怒りに荒れ狂ってるしリリアーナ殿はいつもは無表情なのにこういう時だけ殿下が好きで好きでたまらず小一時間は軽く悶えられる笑みを浮かべて王太子妃殿下や姫君王子様達の妄想を話している。本人も皆(世の平和の為に)楽しみにしてるのはあなた様との子供だから!ちらりと後ろに控えるロイ補佐官に視線をやるとすごく神妙な顔で一度頷き走っていった。さすが慣れっ子。動きも早い。あと陛下。色々諦めて下さい。もう直ぐしたら貴方のご子息は魔王になりますから!
「殿下?」
「ブレア…ハワード卿との面会後直ぐに父上のところへ参るぞ」
「はい」
「陛下にですか?では私は先触れを」
「大丈夫です。先触れはもうロイが出しましたから」
「そうなのですか?」
「リリアーナ殿はこのまま殿下の給仕をお願いします。私は支度を午後からの視察は王太后殿下に代わっていただきますね」
「そうだな」
「それでは失礼いたします」
「頼んだぞ、ブレア」
「御意に」
今日から当分の予定を変更して王太后殿下に交代していただけるものはお願いしなくては。リリアーナ様は一時的に王太后殿下付きになるからご機嫌よくなられるだろう。し、いつものことだから皆諦めてくれるだろう。特に第1騎兵は諦めてもらおう。先月の進軍から明日再びだからなぁ…まぁ体力の化け物ばかり集めてるから大丈夫か。あと、将軍達も。緊急連絡網を駆使して情報を流していく。あと1時間後の面会までに終わらせないと。
私、ブレア・ベイリーは筆頭侍従である。何よりこの不毛な片思いの最大の被害者でもある。