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東京QUEST Ⅰ  作者: N
8/18

受験

 茴香宿の駅前の朝は、しんと冷えていながら、空は大きな光球に和紙を貼ったような明るい黄色をしていた。ロータリーを囲むビル群や、あの王墓状建物モニュメントは、逆光の灰色で要塞のようにせり出して来る。

 茴香宿までの乗り継ぎは、かなりの混雑だったが、爛花が貸してくれたサングラスをしていたから、身体の対人反応はかなり抑えられた。このサングラスはもうお守りのようなものだな。

 今も人は多いが、自分はサングラスを外した。薄目を開けて、しっかりと景色を観た。大丈夫、初めて来た時よりも落ち着いている。ここからは、自力で勝負だ。そう直感した。三日前(三六八日前ともいう)と同じバスに乗ると、つぎつぎに受験生が乗り込んで来た。すぐにバスは満員だ。隣の吊り革を握った菱澤が、「やるしかねえゼ」と呟いた。アパートを出てから十回くらい言っている。

 バスの降り口からほどなく、大学の敷地になる。徒歩で来た人々も合流。広い入り口から受験生がぞくぞく入構する。

「……あなたは、先に行って」

「ん? なんでだ?」

「……トイレ」

「なぜ早く行っておかん? まあ仕方あるまい。ここから迷う馬鹿ではないと思うが、遅れるなよ」

「……わかった」

「そういえば、せいぜいがんばるのだな、馬鹿なりに」

「……わかった」

 菱澤は早足で入構して行って、受験生の揺れる頭の中に同化した。

 トイレに行くのは嘘だ。入れ込んでいる菱澤が一緒では、急かされてしまう。自分は構内をゆっくり歩こうと思ったのだ。

 受験票を見せて入構すると、空気が変わった。見えない断層があったかのようだ。これはこの前も感じた・・・・・・・

 少女の身体は落ち着いている。受験生の雑踏があるにもかかわらず、どこか懐かしく、濃密な空気を感じる。構内の空気は清浄なのだ。まるで異国に入ったような心持ち……。つまり、トーキョーヘイムに戻・・・・・・・・・・ったような・・・・・心地になる。受験生の群れを導く広い道は、一直線に伸びているが、途中で細い道が分かれている。自分はその枝道に入り、受験生の気配が遠い所を走って行って――その建物は現れた。

 洋館のような建物が並んだ中、異彩を放っている、それは黒い巨岩のごとき建物だ。路上にあるイチョウ並木を遥かに見下ろして、聳えている。伽藍堂大学の中でもスケールの大きな建物なのだろう。

 ここの中でも試験はあるらしく、受験生が蟻塚に吸い込まれる蟻のように連なっている。自分は走ってかれらを追い抜き、中に入って行った。

 ガラス張りの壁面に沿って、上下のエスカレーターが交差している。上りのエスカレーターを乗り継いで、上へ。この建物は、一つのフロアがとても大きくて高い……。

 エスカレーターの終点では、フロアの反対へ回り込むと、狭くて小さな階段がある。そこから最上階に行けるようになっているのだ。この「隠し階段」めいた構造がドキドキさせるのは何故だろう。上り口にはポールが置かれ、「受験生立入禁止」と書かれている。……構うものか。今の時間はまだ受験生ではない。受験生になるのは教室に入ってからでいい。

 階段を上った先には、もはやエスカレーターもなく……。ひときわ明るいガラス張りの壁面と……。そこから臨めるトーキョーの遠景があった。

 寛げるようにベンチがあるので、座る。もちろん自分だけだ。三日前、「女の話がある」と言って、爛花が連れて来てくれた場所が、この展望階だった。

 トーキョーの景色は遥か向こうまで広がり、米粒のようになっても、なお途切れはしない。宇宙船のような場所や、魔王城のような場所もある。しかもこれは一方向の景色にすぎない……。

 今の印象は、昨夜とは全然違った。茫洋としているが、消しようもなく、動かしようもない。猥雑な有象無象が、白日のもとにひしめく。これがトーキョーの姿なのだ。この場所を支配している魔王は、爛花の言う通り、簡単に辿り着ける相手ではないかもしれない。

 だが……今は受験という[イベント]を突破して、このトーキョーに確かに地歩を刻んでやろう。そうだな、まずは、三日前の夜にここで観たような、自分にとっての本来のトーキョーを観られるように。[学生]にならなければ、ここで[夜景]を観ることも、[夜景]を背景にした爛花を観ることもできないのだから。

 爛花は昨夜部屋に来て、「《大学》で会えるのを愉しみにしているわ」と告げた。「付き添いは?」と訊いてみると、「一人だけで行くのが入試の愉しみなんじゃない。愉しんでらっしゃいな」と言って去った。たしかに、ここでトーキョーの朝の風景を観ていると、肌のひりつく感じがする。初めて魔物と対峙した時の緊張感を思い出す。自分は受験票を見て、頷く。……今はもう、魔物との闘いはたくさんえてきた。やけに落ち着いた心地と、身軽さで、展望階を後にした。自分の試験場に行こう。


 岩窟に掘られた要塞のような建物に入った。

 自分の教室は、受験票によれば、この奥だ。二階ぶんの階段を上って、やっと二階に着く。ここは一階ごとの高さと奥行きが飛び抜けている。一部には、更に上の階までの吹き抜け構造があり、よけいに巨大に感じる。空調か、暖房か、至る所に使途不明の灰色の室内機械がある。「軽食販売所」と書かれた店らしきものがあるが、そのスペースは[アコーディオンカーテン]で閉ざされていた。……そういえば、RPGでもあったな。序盤には入れない場所が。

 受験生の流動は、ややまばらになったが続いている。フロアの果てのトイレでキィと音が鳴る。ふと見上げると、照らすほどに館内の暗さが増すかのような、黄ばんだ蛍光灯。長さからみて特注品だろう。吹き抜けから全体を見渡すと、一面、ひと抱えもある梁が巨大なバツの字に差してあり、梁の塗装だけが新しい。ずいぶん古くからの館のようだ。


 短い連絡通路を通ると、趣の異なる館に変わった。仕様なのか改装なのか、二つの館を癒着させた建物なのだ。廊下が一気に狭くなり天井もすぐ頭上にあった。初めはおもちゃの館の中にでも入って来たかと思った。やけに陰気だ。会場のせいで落ちそうだ。とは言わないが、この教室では受けたくない。廊下も寒い。

 通りすがりに、豪壮な教室、殺風景な教室、いろいろ部屋が見える。もちろん受験生で一杯だが……。幻視が起きて、立ち止まることがあった。受験生がきれいに消えて、あらぬものが観えるのだ。それ・・が何なのか、判断がつかなかった。茴香宿の駅でもだが、大学の敷地ではより頻繁に幻視が観える気がする。単純に、寝呆けているのか? 


 自分の教室に入室すると、暖房がふぅわりと効いて、暖かい。

 階段状の小さめの一室でありながら天井の高さがあり窮屈さを感じない。

 床の硬さも切り株の上を歩くようで心地いい。

 この部屋の音響や設計は、向こうの世界の劇場を思い出させる。

 受験する机は木目から天然木と判り、ハチミツやコハクのように潤った色あいが部屋じゅうに格調を与えていた。

 自分の席は階段状の座席の、ちょうど真ん中らへんだ。自分は楽器ケースを背負っていた。中に鉛筆が入っている。今日は楽器ケースを持って来ようと思っていた。学生になったらきっとケースを持ってくるし、中身も使う気がする。だから今から持って来るのは自然なことだろう。とはいえ、大きすぎたので監督官に見咎められ、椅子の下に縦にして置くように念を押された。

 荷物を置いて、部屋を観回した。縦長の格子窓からは日光が柔らかく薄布ごしに射し入って、教室を内側から照らしているかのように感じた。

 前面を占める上下ひと組の黒板は、針葉樹のような厳しめの緑で、まろやかさを締める効果を露わしている。

 定刻が、きた。

 試験が始まった。

 

 *

 

 自分の中には、[この世界の受験勉強]というものの知識が収まっている。

 それを食事の時に[ハシ]を使い、[ペットボトルの蓋を左にひねる]ように、抵抗なく使えた。知識の大半は少女の心身にもともと入っていたようだが、明らかに「ごく最近覚えた単語」や「解き方」という感覚がときどき起きることからして、爛花が合流させたというこの世界においては、知識には「一年間」の上積みがされているようだ。

 余談だが、受験票によれば自分の住所は菱澤の部屋であり、年齢は十七歳とされていた。誕生日は三月十三日だそうだ。爛花によれば、三日前までは十六歳と受験できない年齢だったことからしても、この「一年後の世界」が「本来の世界」だと考えてよいそうだ。

 午前の科目は慎重に進めた。

 最初に目立った失敗をしないことが大事だ。出だしがうまくいけば乗っていけるし、後半に焦って挽回するリスクも犯さなくて済む。そのためにも、第一問からのめりこむのは禁物だ。

 RPGで学んだように、全体を一つのパズルのようにみて、その部分を正確に模写する感覚で解くのだ……。

 二科目めは、集中していた一科目めと違って、周りにも目がいくようになった。もちろん不正行為をするわけではない。自然に会場の教室が視野に映る感じだ。さりげなく教室を眺め渡す。薄暗い木造の建物の年季の入った梁や柱。しっくいか何かの白塗りの壁。天井から規則的に吊り下がる電灯ランプ。煙水晶のような色あいの窓ガラス。窓の格子模様が落とす影。室内に淡く広がる日だまり。……いいな。……この空間は。会場的にも、暗さ的にも、あたかも向こうの魔法学校や、自分が通った「学院」のようだ。特異で特別な選抜を受けているかのようだ。そんなふうにして入試は進んでいった。

 昼の休憩に入り、まわりが飯を食べ始めた。自分は買ってくるのを忘れて、構内で販売している所も分からずにいたが、楽器ケースの中に袋入りのドーナッツが入っていた。爛花が入れてくれたに違いない。リボンで作った黒バラのシールが貼ってあったから。とても、なごむな。

 外に出ると、建物の陰に古い石段があり、構内の高台へと行けるようになっていた。石段を上って行くと、横に[サクラの木]があった。もちろん今は枯れている。だが、なかなか立派な木だ。爛花のシールを自分の服に貼り、ドーナッツの袋を開ける。

 自分は片手をサクラの幹に置き、ドーナッツを一口食べた。香ばしく、外はサックリして、中は柔らかい。――その時、脳に飛び込むように、あるものが観えた。その場所・・・・は、入構した場所のちょうど向かい側に当たる。だから入った時には気付かず、この高台から初めて目にしたのだ。

 それは、城だった。いや、このトーキョーに、城? それでも言葉を探すならば、城としか思えなかった。大学の建物に似ているが、どの建物とも違った。ここから観ても明らかに判る空気の違い――時代を超越して建っている空気を感じた。

 緑の森に囲まれ、やや翳って灰色に観える。トーキョーで見たどの建物にも、同じものは無かった。自分は正直に打ち明けねばならない。世迷い言といわれるだろうが、その城を自分は知っている・・・・・ことを。……つまり、トーキョーヘイムの奥地の山脈の先端にあると言われ、真の勇者のみが辿り着けるとされ、現世と天界を繋ぐ「断層」が秘められているとされる神秘の城。自分でさえ、書物の挿絵と口伝でしか聴いたことはないが――その名を「シャンバラリアス」という。あれが、その城ではないか? その雄大さ、質実さ、壮観さ、威厳と繊細さ。どれを取っても挿絵で見たシャンバラリアスそのものと思えた!

 ……自分は、落ち着きを回復させ、二口目のドーナッツを口にした。

 うまい。今、自分はまた、この世界の神秘に触れている。普段は隠れている神秘が、ときに堂々と現れ、断面をあらわにし、表面を撫で回すことさえできる。向こうでも、トーキョーでも、変わらない。構内の静かなざわめきの景観。その向こうに威容をさらけだした「シャンバラリアス」。自分はこの学校に入りたいと、一層、強く思った。

 こんなに美しい場所なのなら。

 勇者の冒険という職務はあるが、一時保留とし、ここで暮らすのも悪くないとさえ思った。そもそも、戻るためにも、知や情報には近いほうがいいだろう。この大学という場所は、最適だと思える。

 入試に落ちれば、ここには二度と来ないかもしれないのだ。現実的に、来ないだろう。だが自分は、もう一度、そして何度も普通にここに来たい。この場所では、建物が象牙やエメラルドや大理石でできているかのようだ。いや、実際に大理石でできている建物さえある。たとえば朝に立ち寄った黒い棟の内部がそうだった。「軽食販売所」は閉まっていたけれど、あれが開いているところをぜひ観たい。自分が立っているこの場所、サクラの木、それ以外の全ても、何と美しく観えてくるのだろう。試験を通過して、ここに通いたい……!

 自分は勇者の修行時代、世界じゅうのさまざまな名所・難所・奇所を巡った。もちろん巡らなかった場所もたくさんあった。しかしあらゆる場所を超越・・して、ここが一番だ・・・・・・と思った。世界の名所を回った数のぶんだけ、名所のうちの世界一の場所に辿り着く率が上がるのならば、老いさらばえた冒険者ほど最高の冒険者だろう。

 実際は、そうではない。経験の蓄積・・・・・では絶対に到達できない場所があることは明白だった。なぜならいま自分がここでそれを実感しているからだ。この場所が世界でいちばん安らぐ。まだ、トーキョーどころか、世界のどこも巡っていないのに、明白に判ってしまう。今感じている、この場所は、RPGをクリアしたエンディングの始まり・・・・・・・・・・の1秒間・・・・がずっと続いているみたいだ。達成感と緊迫感の究極の混沌だ。ここは、最高の世界だ。最高の世界の中の、最高の先端だ……!

 ゆっくり、ゆっくり、ドーナッツを食べて、自分は休憩を終えた。

 

 午前の科目は手応えがあったが、午後の科目は、より素晴らしい出来で、充実が増して来ている。ずっと問題を解き続けていたい。いや、合格したら終わりの[入試問題]ごときにそんなことを言うのは、捻じ曲がった執着心だが、そう思えるくらいに愉しい。

 菱澤が言うには、この世界の[受験勉強]は、苦しいものだという。

 ならばその終わりである入試くらいは、一度くらいは、心から愉しい勉強があっても傲慢とは言われないだろう。

 自分は[受験勉強]の苦しさを、トーキョーの人間と同じようには味わって来なかったが、トーキョーヘイムでは勇者の修錬を経て来た。それはやはり大半は苦しいものであった。それでも勇者の目標の為には夢中で打ち込んだし、振り返ってみれば、愉しいものでもあった。[受験勉強]も、似たようなものなのだろう。

 思うに、[受験勉強]が勇者の修錬よりも際立って難関ならば、自分はここには居ないのではないか。と言うのも、いくら少女の身体があるといっても、自分の魂が困難に付いて行けなかったり理解不能となるだろう。三歳の魂が十七歳の身体に入ってしまったように、少女の知識を使うことも困難になるだろう。だから自分は確かに少女を知らないが、この少女と自分との間には魂の共通性・・・・・とでも言えるものがあると思う。

 たとえば、少女の身体は対人拒否は起こすが、問題を解くのに拒否は起こさない。むしろ心地良さを感じていて、それが自分に伝達されて来るのであった。最後の科目となる頃には、問題を解いていると、お菓子を食べているように気持ち良かった。温まった部屋の中で[アイスケーキ]を食べている感覚に陥った。これは錯覚か、いや、魔術なのか……? クリームとチョコレートが重層的に敷き詰められたケーキを、くしゃ・ぱりっと食べている快さ。そして、飲み込んだあとに余韻として抜ける清涼感……。最後の問題を解いた。時間を見る必要はなかった。チャイムは鳴っていない。時間前に終わった。

 ふーっと息をつくと、自分は、ある幻をみた。この満員の教室から人が消え、十五人くらいの学生が居る。その中には少女の姿がある――自分だ。自分が講義を受けている。黒板には年配の女性の教官が立っている。窓の外は、だった。現在とは明白に異なる時間の、この教室を、自分は観ていたのだ。このとき、自分は朝の幻視の正体も確信した。いくつかの教室で、同じように学生が講義を受け、その中に自分が居る幻視だったのである。それは未来か、[可能世界]か、あるいは、問題を解いて過熱した脳髄がもたらした、単なる自動的な空想の戯れか。どれでもいい。ただ、自分は自然と思った。この入試には合格したのだと。試験時間が終わった。建物を出ると、朝に立ち寄った黒い巨大棟が、空を衝いて聳えていた。

 ……大丈夫だ。

 ふわふわした身体感覚で歩き出した。

 

 *

 

 会場からの道はどこを歩いているのか覚えていない。

 自分は試験中に湧き上がりとめどなく高まった思い入れにより、試験が進むにつれて全霊の集中を発揮した。問題の難易はともかく、魔王と闘う体力を全て問題用紙に投げ掛けたのだ。今は、爆発的に高揚しているし、同時に、爆発的にリラックスしている。過熱と開放と浮遊感がないまぜとなって、自動で歩いている。……そうだ、ちょうどRPGのエンディングでパーティーが自動で歩くようにだ。

 見えてくる鮮やかなもの。優しい色あいや形。調和のとれた模様。美しい角度で分かれた二股の道。遠くから投げ掛けられる街の営みのざわめき。心地よいおいしそうな微かな匂い。目を祝ってくれるような赤や白やピンクの服の行進。そうしたものにほぼ無意識に惹かれてふらふら~と歩き続ける。途中で「シャンバラリアス」に立ち寄らなかった事に気付いたが、いま足が向かなかったという事は、別の時に爛花とでも来いということなのだろう。間違いなくあそこには強烈な縁がある。万が一にも行かないことは絶対にない。

 きれいな巨石と木々と朱色の鳥居が調和ある配置をされた[神社]がある。セピア色の本の表紙が壁のような、[古本屋]がある。寄り集まった住宅の庭先で整然と鉢に植えられた、植物や野菜がある。突如始まり、終わる路地。寺院にも似た実直な造りの[銭湯]。「なんでこんなとこに」と思わせるほどの、その[巨大煙突]。

 と思えば突然迷い込んだのは、日光を浴びる芝が愛おしげに輝く長大な公園だった。家族がキャッチボールに興じている。隣のグラウンドでは、装備を整えた歩兵集団のような人々による、本気の[アメフト]が展開している。公園の奥には、まっくらな森。小径こみちを渡るカエル。濡れた散策路と、泉。

 行き止まりの小さな坂の上に、何かを祀る香炉が煙をたなびかす。香草とカレーの臭いが鋭く鼻を刺す。ラーメン屋が骨っぽい何かを煮出している。大通りを歩いていると、赤・緑・青・黄。滝のように溢れる看板の色。この街は本当に現実なのかと思えてくる。幻想的で奇譚的な街が、際限なく広がる……。

 ガタタガタガタガタ。

 茴香宿ういきょうやど駅に入って来る萌黄色の電車が、陸橋を渡る音で、はっと平常な感覚に戻る。自分はいつの間にか駅前に来ていたのか。

 ジュクブクロに比べれば小屋のような駅の入口に、たちどころに耳目を集める黒ずくめの少女が立っている。今日はハート形のサングラスなのは、いつもの物を自分に貸しているからだ。

 今日の爛花は、冬用のケープをもう羽織っていなかった。全てを露出した黒ドレスは、チョコレート色の光沢のあるモールがアクセントに配され、黒バラの飾りはふんだんにあしらわれ満開だった。並外れた[天性スター]の空気とも言えるものを持つ爛花には、行き来する大勢の人々が振り返るが、奇抜なサングラスのためもあり、副業のアイドルに気付く人は居ないようだ。[ツーテール]の髪にもしていないし。

「来たわね、ヴィヴィアン。試験が終わってハイになっているんじゃない?」

「……アーツリン」

 なるほど。呟いてみて分かったが、当人比で声が上ずっていなくもない。

 爛花は両手に抱えるほどの大きな袋を持っていた。中にはパンが山と入っていた。来る途中の駅にあるパン店で買ってきてくれたという。

 爛花は、何も訊かない。自分達は二人で二秒くらい見詰め合った。それで事足りた。サングラスの向こうに自分と同じ感情が読み取れたからだ。

「一般的な入試ことの終結は、一般的な食べ物で慰労しましょう。お腹がすいたでしょう。添加物だらけのパンよ」

 いわれて見れば、たしかに腹がすいていた。爛花の袋の中を覗くとパンがひしめいて重なっている。それぞれの匂いが渾然としてもはや甘ったるい匂いしかしない。

「……いただきます」

 手に取ったパンを食べてみると驚くほど柔らかい。ふわふわの生地の中には[ポミクラネット]の[チーズクリーム]が充たしてある。口当たり、歯触り、咀嚼感、喉ごし、すべて優秀だ。各ファクターで優秀な成績を残して食道を通過した。

「こういうのも東京の味の一つよ」

「……成程」

 最初のインパクトだけがある食品だが、こういう物もあるのだな。そしてこの単純な味のアタックが今の気持ちにぴったりだ。

「フン、試験はどうだったのだ?」

 土管のような巨躯の菱澤が、パンを食みながら言った。菱澤とは試験の教室が違った。自分よりもだいぶ手前の教室だったはずだ。

「……おいしかった」

「それは、パンの味だろうが? とうとう呆けたか。滑稽な奴だナ」

 菱澤は爛花からパンの袋を譲られ、この駅前にて次々喰べる。自分はパンを一つ食べ終わったが、強烈なクリームの香りと粘性は次第に洗剤のように感じられてきた。一個で沢山かな。

「それで爛花さん、今からこの三人で俺の祝勝会に打って出るというわけかな?」

「いえ、学生生活の舞台になる街を見物するとしましょう。……この四人で」

 そう言って爛花は隣に居る一人の女の子を示した。

「こんにちわ」

 その子はぺこりとお辞儀した。さっきから妙に近くに居た子だったが、別の誰かと待ち合わせだと思っていた。

 十歳に届かないような愛くるしい少女で、青空のような透明感ある瞳と、軽やかに晴れた笑顔とが、実にかわいらしい。生命力に溢れたつやつやの黒髪は地面に付きそうに長かった。片側でまとめられてはいるが、少女の乗り物かのように豊かだ。この季節に半袖のTシャツとホットパンツと紐サンダルだけというのは、少し気にかかるけれど……。

「あたしも、レコニングマンなのー」

「……な」

 自分を見上げ、思い掛けない一言。 

「コッコッコッ。わたしは知っていたゾ鋼鉄。同じにおいの女だ。ウッテッツッ」

 マスケが裏付ける。

「親友を紹介するわ。アマミキョー・・・・・・。茴香宿の精霊のレコニングマンよ」

「あたし、アマミキョー。これからよろしくだな。学生……《創生》のお姉さん」

「……ヴィヴィアン」

「ヴィヴィアン!」

 あいかわらず自分はぶっきらぼうに呟くが、「アマミキョー」は両手で握手してくる。《創生》という耳慣れない単語を言ったが……。

「……アーツリン、この子も」

「いいえ。出自はあなたと違うわ。この子は人間には完全に見えないタイプのレコニングマンなの。あなたのマスコットに近いわね。レコニングマンにも幅があるのよ」

「あたしは『茴香宿』という街を裏側から支える仕事をするレコニングマンなのー。『精霊』というイメージが近いな。人間にも見えないしー」

 アマミキョーは軽やかにステップを踏みながら、ニコニコと頭の後ろに手を組む。いつも踊っているような活発な少女だ。

 本当に、レコニングマンには、いろいろ居るのだなぁ。だが、自分は「勇者」だ。爛花は不明だが……。「精霊」が居たって、全く不思議ではない。

「今日はアーツリンに頼まれたから、街を案内しちゃうんだなー。毎日観に来ても全部を観きれない街、茴香宿へようこそ! アーツリンはあたしにとっても親友なんだな。アイドルとか事業とかを介して街に人を集めてくれるんだ。街の活気が出ると、精霊の力も増して、もてなしもキレが増すからねっ。さあ行くぞ!」

 アマミキョーは自分の手を引っ張って走る。点滅の横断歩道を突っ切る。巨大なサイドテールがびょんびょん跳ねる。二連の横断歩道は半分しか渡れず、島状のロータリーで停まった。爛花と菱澤が追い付いて来る。爛花は菱澤に缶ビールを渡した。菱澤はすかさず飲んだ。菱澤はビールが好きだ。年齢的にも酒を飲める。

「菱澤、これで私達が精霊が観えていることは不思議ではないわよね。万に一つだけれど、菱澤にも観えるかもしれないし……」

「ああ、もちろん見えるとも、爛花さん! 精霊なんて俺にはいつも見えているのさ!」

 こうして、皆でアマミキョーの案内を受けることになった。

 そして自分はこの街の、もう一枚深くめくった・・・・・・・・・・姿を観光することになった。

 その体験は、試験の帰りに観た景色さえ軽く凌駕した。「精霊」が特別な力を持つのは明らかだった。一人で街を巡るよりも破格の神秘的体験を、目くるめく密度でさせてくれる。起こっても不思議ではなく、最も幸福な、最も確率の少ないイベントばかりがつながった。その時の心持ちといったら、遥か前に自分達の大陸の統一を成し遂げ、トーキョーヘイムを初めて築いた伝説の勇者「アルヴィス」の叙事詩を、追体験したようだった。

 しかし、アマミキョーが言うには、それすら茴香宿の真価の一端に過ぎない。「あと何枚めくれるか想像もつかない」と、精霊は言ったものだった。

 

 *

 

 入試後も、余韻をひきずって、日々はふわふわしていた。合格したのは知っていたので、悦びはあるが祝勝会はしなかった。実際、通知が来て、確かに合格していた。

 ここから始まる冒険のことばかりを、訪れた[春の陽気]の中で、自分は夢想した。入試という冒険は愉しかったが、更なるどんな冒険を、このトーキョーは観せてくれるのだろうか。さらりと菱澤は四浪目に突入していた。

 浮揚感ある空気が居残りながらも、あわただしさが着実に芽生えていた。学用品を買い揃えたり、[花粉]にくしゃみを催されながら、学生の列に並んで教科書を買ったりした。

 構内のいちばん広い通り、いや細い通りでも漏れなく、[サークル]という人間集団の[勧誘合戦]が実施された。伽藍堂大学では活気が菌糸のように縦横に根を張っている。時は[春休み]であった。

[サークル]とは向こうでいうサロンに当たるものであり、芸術や学問を研鑽する人間達が集まっている。もっとも、日々呑んだくれ、遊興に暮れ、ごろつきどもの酒場と変わらないサークルもたくさんある。そういう集団は怖ろしく派手で安っぽい幟を立て、機知のない掛け合いしかできない構成員が居るものだった。――自分は、武器が無いという以外はほぼ戦場の喧騒といえる勧誘合戦の場に入れば、瞬時に身体が卒倒するかもしれなかったので、遠まきから観察しているだけだったが。

 それにしてもこの身体が平均的・・・なことには、内心驚かされる。一人で遠巻きに座っているだけで、ひっきりなしに[ナンパ]や[告白]を受けるのだ。中には女性すら何人も来た。

 自分の容貌を距離を取って眺めることは難しいが、他人から声を掛けられる頻度は、客観的な観察とみていい。つまり少女の外見は、自分は爛花ほどとは決して思えないが、いわゆる美人に完全に属する。美人とは、多数の異性に訴求する幅広さを備えていることを意味する。いわば際立って平均的・・・な顔を意味する。小ぶりな背丈も、膨らみに恵まれない尻と胸部も、目立ったマイナスとはなっていない。自分としては面白みは無いが、これまでも勇者の容貌は、なべて平均的であった。平均的なおかげで、人々との交流が円滑にいき、冒険は進めやすい……。もっとも、白い髪であるあたりには、個性が出ているのだろう。どうやらトーキョーでは白の髪色は全く[ポピュラー]ではないのだ。

 もし今の身体に対人過敏症が無ければ、自分は、目につくサークルに片端から声を掛けていただろう。しかし今の器質カラダは、トーキョーヘイムで自分がしていた開放的な行動を思いとどまらせ、一旦、傍観者にさせる。それは、慣れるまでは過剰すぎるブレーキだと感じたが、よくよく考えると、真に重要なものを発見しやすくなる利点もあるのだと気付かされる。少女の身体の無意識のブレーキを突破しても魅力的に映るものならば、文句なく自分にとって必要だと言える。つまり冒険に際し、選択するイベントや人物の確度を上げることができるのだ。こういう機能を、この世界では、[合理的な進化]などと言うようだ……。

 思うに、トーキョーの広さや物量は向こうよりも大きい。自分のルートを精選・・して進むことは、冒険を進めるには欠かせないのではないか。そう思えば少女の一見マイナスな器質も大いに活用できる。ただし器質に胡坐をかいてはならない。闇雲に身体が怖がってしまうことや、単に億劫なのを身体のせいにすることがあるかもしれない。そのせいで本当は大事な物事を見落とすこともあり得る。身体の反応を繊細に見極めなければ。繊細にして過激・・・・・・・は、勇者の特質だ。自負はある。身体ごときに制約はされない。

 早速気付いたのは、自分は所謂[バンドサークル]にちっとも食指が動かないことだ。右の用事で学校に来た時も、自分はもちろん楽器ケースを持って来た。今度は中にはベースが入っていた。俺はもう弾かないからやると言って、菱澤がくれたものだ。素直にありがたかった。なぜか菱澤のベースは驚くほど指になじむのだ。ケースを背負っている自分を見て、バンドサークルが入れ替わり立ち替わり、声を掛けてきた。

「……興味ない」

 と、やはり身体の反応は屈曲どころか複雑骨折だが、自分としては丁重に断った。にもかかわらず学生数の多さから勧誘が引きも切らず、とうとう紙にマジックペンで(自分が考案した丁重な文案を少女の身体が出力した結果)「サークル勧誘お断り!!」と書いて楽器ケースの目立つ所に貼ったら、さすがに来なくなった。以来、どうも自分は妙なキャラクターの一人として、構内の広場の噂にのぼるようになってしまった。だが、多少目立っても人間を観察する必要はあった。人間の反応を学び、慣れなければ、冒険もうまくいかない。星の数ほどの情報から、自分の冒険に必要な情報だけを選び取る力を、磨かなければならない。おそらくこのトーキョーでは、人間との交流が、RPGでのレベル上げに該当しているのだ。

 だが不思議と、自分を勧誘したバンドサークルの学生については、彼らが楽器を弾けるのか、どのくらい弾けるのか、本気で音楽に取り組んでいるか、それらを瞬時に観て取ることができた。まるで特定の色を観るように完璧に把握できた。これはどうやら少女の特別な力らしい。あるいは、トーキョーヘイムからこちらに移写された、「勇者の力」とも言えるのかもしれない。何日か勧誘合戦を眺めた結果、どうやら構内には自分の入るべき音楽サークルは無いと分かった。少なくとも今はピンと来ない。自分は喧騒の広場を立ち去った。歩きながら、ふとなぜか、先日のアマミキョーの言葉が脳裏をよぎった。

 ――《創生》のお姉さん。

 学生でなく、……《創生》。

 それは何なのか。手掛かりになる言葉のように思う。

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