宇宙自我(彼女)
また、《光景》が観えた――。
いつもの景色を平面だとすると、それが霧のように消え、あまりにも生々しい立体が挿入されるような、景観の劇的変化。
自分は、魔王の協力で爛花を発見した後、爛花に連れられて知らない繁華街に行った。とにかく、知らない繁華街だった。
もちろん自分はトーキョーの少ない場所にしか行ったことはない、しかしその繁華街は、幾ら行っても知らないままのような、建物も景色も明るいけれど、とにかくぼんやりしていた。そこで爛花と手を繋いで歩いていた時、腰を抜かすような《光景》が自分に流れ込んで来たのだ。
爛花や魔王とは、奇妙な感応を起こすことがある。魔王の言うところの「共振」という現象だろう。いずれも生々しいものばかりだ。今回も衝撃的《光景》だった――。
暗い廃墟だけになった都市が観える……。これは、トーキョーではない……。
尖塔や紡錘形を多用した高層ビル。いずれも深い黒に汚れ、融けたり壊れたりの奇観を呈している。道路や広場であったような場所も、黒い隆起や亀裂が走っている。この都市を軽く呑み込むような、破壊的現象があった事が知れる。
その中で、かつて広場だった所に、一人の女性の後ろ姿があった。
[黒いチェスターコート]を着ている。爛花――? と一瞬思ったが、そうではない。女性は際立って長身だった。爛花もスタイルがいいが、女性の均整は更に上を行っていた。
なにより特徴的なのは女性の髪だった。薄いが明澄な菫色をした短めの髪を両側で二つに結っていた。それは黒一色の世界に残っている唯一のみずみずしい花のようでもある。
二匹の動物が女性に従っている。ステッキをついた腕に巻き付くのは、蛇。逆側の黒い手袋に乗るのは、鷲だった。女性が立ち止まると、蛇は地面へと降り、地面を這って行く。女性の口元に、名残惜しそうな、暗い微笑みが浮かんだ。
次に女性は鷲を解き放った。両手を広げると、鷲は飛び上がる。「一緒に行かないの?」と問うように、鷲はしばらく空中を羽ばたいていたが、女性が一言口にすると、決めたように黒い空へ飛び上がった。
女性が一人、都市廃墟の中に残った。
《……これはどうやら、気付かれたようだな。だが、物好きだな。こんな処に客とは》
女性は呟いた。
呟いただけで、雷のように響く、圧倒的な声を持っていた。
だが、この都市は廃墟。周りには誰も居ない。その時、分かった。女性は時空を越えて、自分に語っているのだ……! 女性が自分を振り向いた。目が合った。《光景》の世界に飛ばされ、視点だけになっている自分に、女性は確かに目を合わせて来た……!
その目は――髪色よりもいっそう澄んだ同系統色。虹のようなゆらめきに満ち、いっそ白色光のような菫色。その濃密さに、覚えがある。
《そこは、「次」? いや、違うわね……「次の次」か》
女性の目からは世界が覗いていた。二つの眼窩を通して世界がこちらを観ているようなまなざしを、彼女は持っていた。驚異的な眼光だ。時空を越えて来るのも納得だ。何という全面的な説得力。つまりそれは全面的な説得力の土台となる存在であるという、空恐ろしい説得性だった。女性の眼光の一部を引き継ぐ存在――爛花さえ、ここまでではない。
《私は、もたないのよ。この身体は、滅びる。ここはこの文明の終焉点よ。真理の究明が半ばになるのは残念。でも、構いはしないわ。次の文明や、別の世界でも、究明を続けるまで》
女性は淡々と、告げた。前開きのコートに合わせられた、刃物のような白いシャツと蝶ネクタイ。彼女は蝶ネクタイの長さを整える。どういう事だ……? 意味が分からない。まるで自身が今から滅びると言っているように聞こえる。
それは文字通りの事だとすぐ解った。
女性の背後から津波が近付いていたのだ。黒い水の壁。ひたひたとよって来る。
倍速のようにみるみる高さを増した。
両側のビルよりも高い。どこにも逃げ場がない。
もう自分の視点からは津波の全景をとらえることができない。速すぎ、高すぎるのだ。女性は微動だにしない。背景には黒い潤いの形をした破滅が、世界を破壊する轟音を巻き込み、光のように速くやって来た。
《……「次の次の私」へ、よろしく伝えてよ。しっかりやれってね!》
女性は誰へともなく語った。目を覆うような真っ暗な場面のはずだが、何と力強い快活な声だったろう。水が女性を掻き消して――世界は黒に染められた。
「……あ……」
自分は元通り、繁華街に居た。
濃密な立体空間から押し出され、いつもの平面空間に復帰した。
(《光景》とは、そんなふうに思わせる圧倒的情報なのだ。)
爛花と手を繋いだまま歩いている。時間はほとんど経っていない。爛花は自分に甘やかににこやかに微笑んでいる。自分はその瞳を、時空を越えて観て来た……。