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東京QUEST Ⅰ  作者: N
13/18

魔王城

 次の日、講義が終わると、自分は図書館に来た。課せられた[レポート]に使う資料を借りに来たのだ。

 課題は、ある街の成り立ちを科学的に論じるものだったが、自分は歴史の観点から論じることにした。トーキョーヘイムの偉大な歴史家の作品を読んでいた経験が大きい。世界を知るには、史料は欠かせない。そんなわけで、初めて図書館に来た。昨日この建物を見た偶然もある。

 しかし伽藍堂大学の規模からして、図書館はやや小ぶりな雰囲気は否めなかった。この広さで、充分な蔵書があるのか?

 だが、入ってみると、予想は良いほうへ裏切られた。図書館は単に正面が小さいだけであり、奥行きは長大にあった。いわば長方形の短い辺を見ていただけだった。

 しかも図書館の主要な蔵書は地下部分であった。地階は六階にも及び、重要な史料や古典はほとんど地下に収蔵されてあった。地上階には流行や時代を追いかけて内容の移ろう本が集められているに過ぎなかった。

 地階には頑強な怪物の骨のような書架がそそり立ち、分厚い書物の背表紙が全面的に連なり、それがどこまでも続いているかのようだ。資料を守る為か、明かりも薄暗い。

 地下を三階ほど下ると、静かすぎて鼓膜が吸い出されそうだ。

 迷宮の中の休憩所のような間隔で、読書灯付きの机が設置してあった。地上階の机よりも立派であり、[黒檀]や[紫檀]でできているようだ。

 机に人が居る場合、明らかに地上の人間とは風体が異なっていた。蔵書に首っぴきとなり、本の養分を吸って生かされているような骨格をしている。[研究者]という人種だろうか……。

 自分の史料がある書架をめざして行くと、そばの机に新鮮な景色を見つけた。まだ[研究者]と言えるほど地下的な風体ではないが、書庫の明度に妙に馴染んでいる黒ずくめの青年――魔王が、そこに居たのだ。

「よもや、勇者か? 我を捜しに来たのか? いや、まさかな……」

 魔王は小声で言い、メガネを取って、ごしごしと瞼を擦る。机の上には[英語]ではない言語で書かれた分厚い書物が開かれていた。魔王は勉強をする時はメガネを掛けるのか。横長で、もちろん黒縁のメガネだった。

「……本を、捜しに来た」

「……成程。驚いたぞ。まるで勇者が想定より三年も早く玉座の間に来たかのようにな」

 確かにこんな処で会うとは思うまい。自分もだ。偶然でなければあり得ない。

「……魔王も課題をしているの?」

「課題? なぜ世界と宇宙の掌握を旨とする我が、人から学習を課せられねばならぬ? これは自主的な研究だ」

「……[社会学]の研究を?」

 自分は机を覗き込む。魔王はメガネを掛け直し、きっぱりとかぶりを振る。

「今のゼミに入ったのは我のミスであった。一年前の我には至らぬところがあったのでな。社会学は我の目指すものの上にはない。世界を破壊する理念にもとづき、魔王は社会学などやらぬ。いや、一年間のうちに終えたと言うべきか。東京での我の道は[哲学]にあると判ったのだ」

「……[哲学]?」

 それは、あれだろうか。向こうの文明では「歴史」の次の学問として興りつつあった「神知対話法」と似た学問だろうか。世界のことを順序だてて記すだけの「歴史」とは区別され、歴史や世界や人間が「どういうものであるか」を知る学問。向こうの「神知者」たちは、神と対話する方法でそれを行っていた。

「昨日も言ったが、これだけ悪がポピュラーな世界に置かれると、悪行に対して以前ほどのやりがいを感じられぬことを告白せねばなるまい。[哲学書]はよい。この世界は[哲学]の領域では途方もなく進んでいる。世界のことが全て書いてあるように我には思われる。まさに世界を掌握する者の秘儀とは思わぬか」

 魔王の目は爛々として生気を放った。魔王は[研究者]の道を進むのか?

「……将来はどうするの?」

「そういう考えは理性の誤謬から生じる迷妄だ。将来などは無い」

 魔王は、ぴしゃりと言った。自分にはもう全く謎めいていた。向こうで魔なるものを窮めたように、トーキョーでも魔王は秘儀の道を窮めるつもりらしい。

 どうやら魔王は確かに知っているようだ。このトーキョーでも世界から活力を吸い上げる秘術を。

「むろん、われわれがふいにトーキョーヘイムに舞い戻る可能性は無いとは言えない。しかし同等に、戻れないままの可能性もある。そうなれば我はしばらく残るつもりだ。この我の城にな。この図書館という穴倉の空気は、どこか魔王城に似て懐かしい」

 話しているうちに、今日も魔王の[バイト]の時間がきた。魔王は電灯を消して立ち上がった。中抜けしても荷物をいじられる事はないと言う。もはやここに住んでいる風情がある。一緒に地上まで向かった。

 ふいに魔王が言った。

「ところで、勇者よ。我はこの世界とトーキョーヘイムの関係も研究している。そのうち突き止められるに違いない。もしも戻れるようになったら、貴様は戻りたいか?」 

「……故郷に戻りたくない人なんて、居る?」

 自分は即答した。 

「貴様らしい、つまらぬ答えだ」

「……じゃあ、魔王はどうなの」

「どうであろうな。一度支配した世界だ。馴染みも愛着もある。が、こちらの世界には、突き止めがいがある。二つを任意に行き来できれば、好ましいやもしれぬな」

 自分は黙っていた。

 魔王が予想外に良い答えをしたので悔しかった。

 故郷のことは、憶えている。よい人々たち、豊かな保養地、うまい食物、人の深い情が満ちた城下の空気。雄大な自然。すばらしい安らぎと、もてなしと、郷土への誇りがある。

 一方こちらには未知がある。その未知へといつでも出立できる自由がある。ひとたび出立すれば胸と魂を震わせる冒険がある。世界の豊かすぎる光と暗がりと[スリル]――慣れた向こうの世界でないからこその、愉悦と充実がある。それこそがトーキョーの冒険の掛け値なしの報酬だ。

 こちらの冒険を謳歌する身の上でありながら、懐かしい故郷の世界の安らぎも持ったままで居られる境遇を望むのは、罪深すぎるのだろうか? いや、少なくとも、自分とパーティーを組む誰かは、自然と言ってはくれないだろうか? 

 魔王に即答した時、自分は同時に、トーキョーの魅惑も同じくらい感じていた。トーキョーには未知があり、冒険がある。魔王は両方を満たす答えをした。

「……いったい、どうして、世界が移動したの……」

 呟かざるを得ない。謎めいているのはそこだ。こちらに来たことにより、故郷が遠くなり、世界の未知が増えた。未知・・は、歓迎すべきことだが……。は、解明したい。

「われわれは原因・・を突き止めようとしがちだが、その方法論は正しいのか?」

「……原因がわからなければ、帰る方法もわからない」

「トーキョーヘイムならば、勇者特有の力押しで、原因も解明できような。だが東京は世界の体系が根本的に異なっている。力押しは通用しない。我も貴様も、気付いたら東京にいた。気付く前は闇だぞ。突き止めようがあるまい」

 魔王は愚弄してくる。だが、一理あった。

 このトーキョーでも冒険・・は変わらずにある。だが、自分が影響を及ぼせる範囲は、物理的にはとても狭くなった。だからなおのこと、原因を突き止めねばならない。なぜこの身体に変わってしまったのかを……。

「我は発想を転換してみた。我の仮説では、我や貴様を含めた環境・・・・・・・・・・全体が同時的に発生し・・・・・・・・・・と考える。つまり、この東京全体を一つの・・・・・・・・・・原因とみる・・・・・のだ。だがもしこれが正しければ、この東京自体が一体何であるかは、我々には解き明かすことはできない。我々自体、東京に含まれている無数の要素の一個にすぎぬゆえにな。要素どうしの横の結合を解き明かすことは可能だ。たとえば我と貴様は魔王と勇者の関係である――。だが、個々の因果を越えたものについては、この世界では何一つ知られることはできない。もっとも、この世界にトーキョーヘイムのような魔術師でも居れば、話は変わってこようが」

 どうやら魔王は、原因を積極的に考えないという立場らしい。悔しいことに、魔王の言っていることが、今の自分では理解できない。これが[一回生]と[四回生]の差か。それとも、もっと別の資質なのか?

「……けっきょく、魔王は何が言いたいの?」

「全体を観ろ、勇者よ。なぜ自分がこの世界に居るのかではなく、なぜ自分が居るのがこの世界でなければな・・・・・・・・・・らなかったのか・・・・・・・を考えよ。自分と周りとの連関において、世界を把握しろ。そうすれば観えるものがあろうよ」

 魔王はそう告げる。

 それはなぜか向こうの「伝説」や「予言」にも似て心強かった。

「……魔王は何か気付いているの?」

「なめるなよ、我を。人間に身をやつしても、一つの世界の大魔王だった男だ。我は貴様がマの字も知らぬ頃より貴様を観ておった。そのくらいの視野はあるわ」

「……それはそれで、[ストーカー]のようで気色悪い」

「不自由な世界に来たものよな」

 魔王は舌打ちするのだった。

 情報は複雑だ。二つの世界について考えると、頭の中で情報がモジャモジャと絡まって、手の付けようがなくなる。魔王は学問に自身の道を見出したみたいだが、自分はどうしたらいいのか。トーキョーヘイムでも、トーキョーでも、自分と魔王は違う世界を見ている。

「そういえば、勇者よ。今度連休があるだろう。我は筑波山に[リゾートバイト]に行くが、女の給仕が不足していてな。金が欲しくなれば来い。バイト先に紹介してやるぞ」

 ツクバ山……それは爛花の地下集落があった場所ではないか。魔王は通常の地上の観光地で働くのだろうから、地下集落に行くことはまずないだろうが、不思議な符合ではある。遷移して来た者同士、やはり縁があるのか。

「……ところで、勇者よ。貴様はこの東京の魔王の正体を知りたがっていたな。そいつを教えてやろう」

 と言うと、魔王は自分に耳打ちした。トーキョーの魔王、その正体を。

「……え……?」

 それは、思い掛けないものだった。

 なぜそうなるのか……どういう理屈なのか。さっぱり解らない。だが、魔王が機密のように明かしたからには、一理あるのだろう。ますます情報が錯綜したぞ。今のところは放っておくしかない気がする。

 魔王は細い路地に消えた。ラーメン屋に行ったのだろう。

 自分はどうするか……。

 とりあえず、爛花に会いに行くか。サークルの話をしよう。

 勇者は行動の中で世界のことを掴んでいかなきゃな。

 

 *

 

 先日爛花が勧誘をしていた「シャンバラリアス」に行っても、爛花の姿は無かった。

 爛花が通う「文科学部」のキャンパスにも来てみたが、学生が多すぎて断念。

 思えば自分は爛花の家を知らないし、あの地下集落や《創舎》にも自由に行けない。爛花が菱澤の部屋を訪ねないかぎり、会うことは難しいのだ。

 今朝だって自分はロフトで一人で起きたが、爛花は居なかった。自分は菱澤の部屋で爛花と共同生活をしているはずだが、その記憶は映像のようにおぼろげで、現実感に乏しい。部屋での最近の記憶は、自分の形をした他人が動いているかのようなのだ。自分の記憶が他人事のようで信用できない。

 爛花は何処に居るのか。部屋に住めるようにしてくれた手続。そのほかにも・・・・・・とても世話になった気がする。サークルの相談をしたい。いや、爛花に会ったら、サークルに入ろうと言うつもりだった。しかし今日は空振りだ……。

 気が付くと、自分は、記憶にない場所を歩いていた。

 茴香宿の駅へ向かったつもりが、「文科学部」から歩き始めたら、知らない路地に入ってしまったようだった。

 知っているはずの茴香宿の街並み……今日はどこか違った。

 宵闇の中、まばゆい白熱灯を灯した映画館が営業していた。

 この映画館は、自分の記憶が正しければ、廃館・・していたはずだ。では、別の建物なのか? 上映案内にはゾンビ映画のポスターが貼られてあった。

 普通のオフィスビルが建っていたはずの所に、エジプトの石棺のような洋館が建っている。洋館はこんもりと繁る森に囲まれていた。

 そこらじゅうに、動物を生きたまま炙っているような、生臭いにおいがたちこめている。

 機械の巨大な塊が唸っているような音が、遠くの滝のように漂っている。

 これは幻覚だろうか……。いや、自分の記憶が間違っているのだろう。似たような交差点は他にもある。いつもとズレた場所を歩いているだけだ。

 茴香宿の探索の一環だと思えば悪くはない。「文科学部」から駅に向かう事は、これからもあるだろうし。

 しかし、奇妙な宵だ。方向は合っているはずだが、知らない景色にばかり遭う。どの景色も、一度見たことがあるようで、少し違う。何かが、ちぐはぐなのだ。たとえばホテルの青いタイルの池からは噴水が無くなり、錦鯉が泳いでいるとか……。通常のビルだった建物に屋上庭園ができていたりとか……。小さな公園だと思っていた緑地に入ると、いつまでも遊歩道が終わらないなどである……。きょうの緑地は、ちょっとした森にも思える。低い雲が垂れ込め、思い出したように何滴かの雨を落として来た。おびただしい数の雨蛙が、遊歩道を群れ歩いた。

 やっと公園を抜けると、謎のオブジェがぶらさがった喫茶店が現れた。

 ……ああ、この店は記憶にある。そして今日の奇妙な宵の中でも、店の佇まいは記憶の通りだった。

 カラカラン、とベルを鳴らしてドアが開き、中からメイド姿の少女が走り出た。アマミキョーだ。入ったことはまだないが、ここは彼女が住み込んでいる喫茶店なのだ。

 ちょうどよかった。もう迷わなくて済む。

「……あの……」

「ん、誰よ、あんた? あたし忙しいの。食パンを切らしたから、マスターのお使いで買って来なきゃ。お店に来たんなら勝手に入ったら?」

 自分のことをアマミキョーは忘れている。茴香宿の精霊のアマミキョーが街に迎え入れる人々は膨大だ。憶えていないのも当然だ。

 今日のアマミキョーは、黒と白の凛々しいメイドドレスや、上で縛った長大なポニーテールのためか、いつもより酷薄な印象を与える。爛花が茴香宿に人を集めてくれるおかげで精霊の力が増すのだと、以前に語っていた。もしかして、きょうは爛花が居ないから、力が鈍いのか。こころなしか、アマミキョーの特徴である青空の色の瞳は、灰色に翳っていた。目つきもきつい気がする。

「……店に来たのではない。アーツリンを知らない?」

「あなた爛花を知っているの? 彼女はこのごろ街に来ていないわ。残念ね」

「……何か聞いている?」

「さあ、知らないわ。……ああ、でも、あの子に聞けば分かるわよ。何で来ないのかは」

 アマミキョーは突き放すように言う。爛花のことは知っているようだが、さほど思い入れもないように感じられる。自身に活力を与えてくれる相手に対して、冷淡に見えなくもない。あるいは情が深くないように見えるのは、精霊は長命なので物事のスパンが長いからだろうか。それにしても、聞けば分かるなんて理不尽ではないか。会えないのに聞けとは、まるでトーキョーヘイムの「闇の森」の中である。

「……アーツリンは、どこにいるの?」

「あたしは知らないわ。うん……? あなた、どこかで会ったことあるかしら。まあ別にすごくどうでもいいことね」

 アマミキョーは覗き込むように自分を見上げた。

 やはり憶えていない。爛花のことは知っているようだが、

「でも、アーツリンを捜しているのなら、あなたでは無理そうね。彼女が何処に居るかは知らないけど、あなたひとりじゃ絶対に辿り着けない処に居るのは間違いないもの……」

 きょうは声までとげとげしい。高飛車で高慢で、自分の知っているアマミキョーとは思えない。レコニングマン同士の干渉があるとして、爛花が精霊の力をプラスするのなら、自分はマイナスしてしまうのだろうか。自分が街に観ている奇妙な空気を、アマミキョーは反映し、増幅しているのか。

 いや、アマミキョーはただ仕事で忙しいのだ。誰だって忙しければ張り詰めた空気になる。精霊にも体調が悪い日もあるかもしれない。腹黒く見えたのは気のせいで、たまたまてんてこ舞いの日なのだろう。街の他の場所とは違い、アマミキョーの喫茶店がいつもと変わらない風情だったことが証拠だ。変転する街の軸のように、精霊の店は変わらない。

「じゃあね、ヴィヴィアン」

 それだけ言って、アマミキョーはみるみる駆け去った……。

 駅までの道を訊けると思ったのに。

 

「……ここに、住んでいるの?」

「貴様も住むつもりか? 常に魔王の後塵を拝するのが勇者だが、猿真似はつまらんな」

 ここは図書館の地下だ。魔王は辞書を見ながら、ノートに書き込みをする。

「……安心していい。魔王の真似などしない」

 少女による婉曲的表現を経て、言う。内心では二段階は野蛮なセリフを叫んでいるのだ。

 だが今だけは、魔王が大学近辺に居てくれて助かったのも事実。

 自分はアマミキョーと別れた後、駅に戻ろうと試みたが、駅には着けなかった。それどころかまさに「闇の森」よろしく、見当違いの所を廻らされ、気付いたら大学に戻って来ていたのだ。正しいと思って反対方向へ進んでいたわけだ。こんなことは勇者時代から経験が無い。カラダも疲れたが、気力が沮喪した。休憩もやむなしだろう。

「……駅に連れて行ってほしいだけ」 

 魔王の先導があれば戻れるだろう。そうだ、自分は魔王を利用しに来たのだ。

 完全に流儀が違う仇敵こそ魔王。馴れ合うつもりはない。

「ん? 貴様……。さっきとは見違えたぞ。妙なものを背負って来ているな」

 魔王は、妙な事を言い出す。

「貴様が纏っているものは『闇呪あんじゅの王衣』――トーキョーヘイムでは魔界でも高位の魔物だけが纏うことを許された衣装。魔界……。妖界……。そういった類の場所を通って来たようだな。しかも念入りに何周かしたようだ。ご苦労なことだな」

 魔王は「懐かしいものを観た」とでもいうように、唇の片側を引き上げた。

 アンジュ……王衣? 何だそれは? 自分の体を眺めるが、変わった所はない。魔王は世迷い言を言っているのか? だが引っ掛かるところもある。今日の街はどこかいつもと違うし、事実、同じところをぐるりと廻ってしまったのだ。RPGには、廃城や呪術師の街といった場所に行くと、呪われるイベントがあった。そういう場所のことか。

「気付いておらぬのか。ならば自ら望んで纏ったのではない……。闇の念に憑かれたな。強制的におっ被せられたな」

「……それは、どうして?」

「貴様自身が望まずとも、外界がじゅにまみれておることがあるのだ。特に悪のおびただしいこの世界では顕著ぞ。我は魔王であったゆえ、醜悪なオーラに世界一敏感であるどころか、その魔気を視認する・・・・ことさえできる。もっとも、観えてもこの肉体では何もできぬし、むしろたちまち致命となるほど、生気が削られるのだがな。図らずも今は貴様にトーキョーヘイムの意趣返しをされておるわけだな」

「……意趣返し?」

「かつての我なら、『闇呪の王衣』を着た今の貴様を観て、美しいと賞賛したであろう。だが今はこう言う。なんとおぞましい……! それも心からな。今の我は、悪にまつわることは一切為せぬ。しかも悪への認識能力・・・・のみが残ってしまった。前世の業であろうな。いったい貴様は、この世界の人間どもが今の我にとって有翼地獄魔族デモニス・スペキエスに観えておらぬとでも思うのか? 勇者とは世界一脳天気な職よな」

 なるほど。魔王は悪魔への認識だけが残った。それは視認できるほどの副作用となって、魔王を悩ませているらしい。今の自分は「闇呪の王衣」とやらを着てしまっている。

「……でも、なぜ」

「原因? 言ったであろう。トーキョーは悪なるものおびただしき土地だと。我の眼によって観れば、魔気の量も密度もまさに圧倒的だぞ。ゆえに天候や明るさ暗さ、人間どもの織り成す空気や密集の具合、湿度や臭気や風向、遠くの音やちょっとした大気のゆらぎ、土地にこびりついた歴史や念、等々。このトーキョーでは些細なもので空間が闇に祝福される。今の我から言えば汚されるわけだ。ましてここは都会。人間が悪意をもって動けばたちまち伝播し、集団にあっては増幅する。我はそれを知っており、何より観えるのでな。警戒して結界の中に生活圏をまとめておるのだ。伽藍堂大学は図形的にも、周囲の鉄柵や道路の配置からも、また特有の地形から言っても、少しの呪式を施せば魔気を受け付けぬ結界となるのだ」

 なるほど、バイトを含めた魔王の生活圏が大学の近辺で、一日じゅう学校に居るのは、魔王なりの事情があったようだ。

「いわば貴様は魔気と闇の迷宮に放り込まれたのだ。何をしていてそうなった? 原因を探し出すことは難しいが、精細に行えば不可能ではない。因果のもつれた毛玉をほぐし、元を辿ればよい。最近起こった事や、その他気にかかること等を、何でも書き出してみよ」

 魔王は即座にそう言い、ルーズリーフを渡してきた。言うよりも書くほうに向く自分を考慮しての提案だろう。客観的に言って魔王の思考は整然としている。頼りになるのかもしれない。だが、魔王が自分に助力など、いいのか?

「……いいの?」

「貴様が前世の勇者の立場に固執しないならば、我は一向にこだわらん。ここはトーキョーヘイムとは違う。我も一年前に一人でこちらに遷移した頃は未熟な誤りを無数に犯した。貴様には早く我と同じ水準に来てもらわねばつまらん。我も貴様を放ってはおけん。まがりなりにも我と話ができる者は、トーキョーヘイムでは貴様くらいであった。我と同じ器の大きさを持つ者は、勇者をおいては他にはおらぬ。もっとも、器の形も用途もまるで違っているがな。貴様の一点の捻りもない器は、眩しすぎて手の施しようがないな」

「……なるほど」

 魔王は向こうでは「魔なる合理主義」の権化だった。世界全体を自身の物と見て、使い尽くす。今も根本は変わらない。要は魔王は、かつての勇者がこの世界に慣れれば、自身の暇潰しの相手になると当て込んでいるのだ。魔王は潤沢な余興と娯楽を求める。

「……では遠慮なく、魔王の助力を受ける」

 自分は淡々と言った。魔王の思想には一理あると言えなくもない。もちろん魔王の所業を見習いたいとは思わないが、ある意味で自分は魔王をうらやましく思う時もある。魔王の強大な[オーラ]、[カリスマ]、徹底性、支配力。それらは悪にさえ使われなければ尊敬に値する。もっとも、こんな事は普段は考えない。たまたま魔王が同じように自分を尊重するかのごとき発言をしたから、自分も気まぐれを起こしてやっただけだ。

 だが少女の身体は、どうやら違ったようだ。

 放ってはおけないと言われたあたりで勝手にジワリと胸や頭や体の芯が熱くなった感覚があった。

 魔王の向かい側の学習机で、メモを書いている間、ずっとその調子だった。

 これは単純な生理的反応で、互いの魂を認め合う厳粛な静けさに比べれば、皮相な感情に過ぎない……そう思い込むことにした。たしかにこの未知の感情は冒険のうちかもしれないが、今は追求せずにおこう。自分の魂は男だし、そもそも魔王と馴れ合う気はない。

 あるいは魔王にも似たような身体的変化がこっそり起きているのかもしれない。きっとそうに違いない。おあいこでなければ、負けた感じがするからな。

 メモを書き終えて渡すと、魔王は顎に手を当て、入念に読み始めた。今、魔王の頭の中では「因果のもつれ」をほどいているのだろう。自分に掛かった「闇呪」の原因を推論しているのだ。

 そろそろ自分も、爛花が言ったこの世界の「流れ」が分かってきた気がする。つまり、ここで力を借りる事の対価で、魔王は『自分の演奏を聴きに来る』に違いない……。

「ふむ。これが貴様の最近の行動のチャートか。原因は予測できた」

 魔王はそう言って自分を見上げた。すると手を伸ばし、自分の前髪を押し分け、眉間を凝視した。体温が上がってきた。この少女にとって、額が露出するのは恥ずかしい事らしい。もっとも、この身体が額に触れている魔王の手に感覚を集中しているのは、恥ずかしい以外の情動もありそうだが。

「……何を赤くなっておる? 貴様は間抜けか? 器が変わって腑抜けたのか?」

「……ちがう。これは、自分じゃない」

「それにしては雛のように我にすがる目ではないか。まあ仕方あるまいよ。魔王の魂はあらゆる弱き者を惹き付ける特殊効果を持つ。我はもともと無性なので、どの性との交接にも適応できるが、人間の交友はまだまだ経験値が不足していて何も言えぬな。もっとも、貴様との……」

 その時だった。少女が・・・魔王に手を伸ばした。少女は・・・、相手の首元で手を交差させ、少し力を入れるだけで、簡単に立ち上がらせた。キスもしない。抱擁もしない。ただ観詰めるだけ。そして言った。

「……『勘違いしないで。あなたなんか、わたし・・・の敵じゃない』」

「……な、何……?」

 魔王は、面食らっていた。なるほど自分はこういう顔をしたわけかと、赤面した魔王を見て思った。自分は今、どんな表情をしたのか分からない。だが声は地中深くからの念話のようにゾッとさせるものだった。自分のものとは思えなかった。これは少女が・・・初めてみせた、自身の意志・・・・・だった。

 自分は魔王に接近している状態では認識力が上がる。現時点で理解できないセリフを口にすることは、不思議なことではない。しかし、少女は魔王に言ったのか、それとも自分に言ったのか・・・・・・・・。これは未来の少女の表れだったのか。あるいは、未来の自分の姿・・・・・・・だったのか。この場では何とも言えない。少女は……いや、自分は……すぐに魔王から手を離してしまった。

 だが、自分が思った事が一つある。少女の器は底知れない力を秘めている。それも未来に突然目覚めるものではなく、もともとこの身体に備わっているものに思える。いつか未来に、この少女の身体が男と強烈に引き付け合い、自分の魂では制御ができなくなったら――それはその時だ。だがあいにくと、遠い未来の可能性を空想する余力は無い。

「成程、貴様、その秘儀・・・・を持ち越したか……。あいかわらず勇者は虫が好かぬ」

 魔王は着席し、まじまじと自分を観察、何事かを結論づけた。納得したようだ。しかし自分はどうでもいい。自分にも分からない動作だったのだから。

「……それより、原因」

 予測できたと言ったはずだが。

「……ああ、そうであったな。メモで推論はできたが、貴様を観て確信に変わったぞ。貴様の額のあたりに実に興味深い反応が現れている。比喩をもって言えば、貴様は不可視の闇の縄・・・・・・・で繋がれている。つまり、特定の時空間に結び付けられている。それは闇呪による『遷異乖廊』――いわばその・・時空間へと繋がるトンネルのようなものだ。この時空間に貴様を吊り下げている、かの『縄』の先を辿れば、貴様に闇を憑かせた根源に行き当たろう」

「……つまり、どういうこと?」

 魔王はメモを手にして言う。

「貴様が魔気に汚染されたのは、菱澤龍圭の死と無関係ではない。近しい者の死は、典型的な闇の出来事……。もっとも闇呪の正体は、観てみるまでは判らぬ。実に興味深い。行くぞ勇者よ。このニクラウスが、『遷異乖廊』を辿って闇の根源まで案内してやろう」

 魔王は立ち上がった。結界である大学近辺から脱出しても、大丈夫なのだろうか……。だが、魔王の暗黒の瞳は、かつてなく昏く澄み亘っている。もしかすると魔王は、不可視の闇の縄とやらを辿ることで、自身のかつての魔的な能力を取り戻せると期待しているのかもしれない。あるいは、それができなくとも、この世界への明晰な観察を深められると期待しているに違いない。どうやら、心配は要らないようだな。

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