オオカミ
「今の……何?」
道路を挟んで二つ隣りのビルで双眼鏡をのぞいていた歌詠は、そんな疑問の声を漏らす。
トドメの一撃。
狙いは首。
殺すつもりで放った『Slashout』。しかしそれは彼の首には届かなかった。
その前で爆ぜた。
そして変化はもう一つ。
これは彼女が幾多の戦場で培ってきた勘からくるものだ。
雰囲気が変わった。
勝負は、勝つときもあれば負ける時もある。
そして高確率で勝つときは、その時の独特の雰囲気があるものだ。
はっきりとは感じないが、確信を持てるほどにそれは色濃く現れる。
負ける時もまた然り。
「flying!」
折り鶴を取り出し、彼女はそう叫んだ。
嫌な予感。
暗闇に似た悪寒が全身をかけた。
それと同時に、パシュッ、と鋭いような、何かが破裂したような音がして、折り鶴が揺れた。
「ううおわっ!」
慌ててバランスをとろうとする。
が、
「ッ!!」
咄嗟に歌詠は鶴から飛び降りる。それの直後、今度は折り鶴が爆ぜた。
「んなっ!」
立て続けに問題が起こり、思考が混乱しかける。とりあえずは落ち着こうと落下中に考え直し、カバンからフックショットをだし、屋上の鉄柵をとらえ、落下を止める。そしてフックショットと同時に取り出していた紙を窓ガラスに向かって投げる。
「Needle!」
バリンッ! と窓が割れ、侵入に成功する。
が、うかうかしている暇はない。とりあえず体制を立て直す必要がある。
場所がバレた以上、この建物の中にいる方が危険。
いや、ここはそう相手も思っていることを考えて建物内に潜んで勝機を伺うか。
そう迷いながら階段を降り、外に出ることにする。
オフィスビルの受付口を横切り、裏口から外へ。標的とは真反対の方に出た。
(とりあえず、戦線を一時離脱するにしても相手の情報が欲しい……)
少し走り、誰もいない交差点を曲がって壁にはり付き、少し顔を出して様子を見る。
入口に人影は……ない。
(中に入るか……)
紙を構え、一瞬の葛藤の後、彼女は飛び出す。
カツカツカツと誰もいない町に、足音が響く。
そして建物に入ったところで。
「やあ。待ってたよ魔術師」
「Needle!」
持っていた五枚の紙を投げる。ドリル状になった紙は宙を掘り進むように直進し、押野見に向かう。
が、
「さて、『質問』だ」
紙は彼の前に来たところで、何かによって破壊される。その破壊したモノは直線上にいた歌詠にも襲い掛かる。
「なっ―――――――くはっ!!」
まともに喰らった彼女はそのまま吹き飛び、道路の向こうのビルに叩きつけられる。その際に頭を打ち、血が伝う。
背中から突き刺すように衝撃が抜け、肺から空気がしぼり出されるような感覚を味わう。
押野見はゆっくりと入口から出てくる。その口元には、いつもの彼らしからぬ、不敵な笑みが浮かんでいる。
「この質問に嘘は吐かない方がいいよ」
そう言って彼は道路を挟んだ向こう岸に立ち、クスリと笑う。
「狼少年の最後は……むごいよな?」
「ッ!!」
その単語を聞き、自分に迫っている危機を確信する。
急いで起き上がろうとする歌詠。しかし頭を強く打ってしまい、体に思うように力が入らない。
壁を伝ってようやく体を起こすことができた。
「流石魔術師。博識だな……誰だって肉塊にはなりたくない」
その這いずるような姿を見て、少年はまた笑う。
「なら簡単だ! 僕の『質問』に嘘偽りなく答えればいい。真偽はあなたの心から読み取るから」
「……」
マズい。
狼少年。
「狼か来たぞ」と嘘を吐き続けた結果、最後には本物の狼に貪られる。
歌詠は紙を取り出し、
「Slashout! Unfold!」
投げる。それを合図にカバンから紙が流れるように宙に展開される。
その数、両手合わせて数十枚。
その見た目は壁のようにも見える。
よって狼は嗤う。
「まるで……藁の壁だ」
「Clip this life!!」
彼女が叫んだ瞬間、紙々は生物的な動きで相手に迫る。
が、彼にはそれが今はとても弱々しく、ひらひらと襲われるのを待つ蝶のように見えた。
紙の群れ、数十枚の波とも表現できるそれは、容赦なく彼に襲い掛かる。
刹那。
「言うことを聞かない『豚』には、お仕置きが必要だな」
嗤う。
紙は全て消し飛ばされ、歌詠の近くを突風が抜ける。その時、彼の近くに何か、半透明のものが動いているように見えた。
それで確信する。
「狼の……咆哮……」
「ご名答」
彼は隠す気もなく、正解した彼女に拍手を送る。
「童話は『三匹の子豚』だね。藁の家、木の家を吹き飛ばした狼の咆哮だ。いやいや恐れ入ったよ」
なんて言いながら嫌味な笑みを崩さない。
「……さて。そろそろ退屈してきたし、『質問』をしてちゃっちゃと終ろうか」
「くっ……」
情報を偽ればこいつに殺される。かといって情報を漏らしてもこいつから殺される。
「じゃあ『質問』だ」
「っ……!」
「『俺の駒になりたいか。ならずに死にたいか』だ。次の言葉は質問の返答になるから気を付けろ」
「……!」
そう言う使い方があるのか、ということに驚きの声を漏らしそうになった彼女は、慌てて言葉を飲み込む。
死にたいか。そう聞かれれば即座に心にNOと浮かぶ。
そう言われれば答えは駒になるしかない。
ならずに死ぬ。つまり『私は手を引くから見逃してくれ』も死ぬ可能性が高い。
なるか、ならないか。
ならばなるしかない。
(……そっちが生きてればね!)
ここまでのやり取りで、少し回復していた歌詠は素早くカバンに手を入れ、中から一丁の拳銃を取り出し、押野見に向ける。
職業柄、使うことは多々あった。
口が塞がれているこの状況。
この距離からなら、絶対に外さない。
「なるほどそう来たか」
その状況に、彼は特にひるむことなく、やはり不敵な、余裕を持った笑みを浮かべる。
まだ何かあるのか。
いや、何をするにしても、この引き金を引けば終わる。
「フッ……」
彼はクスリと笑った。
次の瞬間、パンッ! と乾いた音が響いた。
「……おっと、」
押野見はその場に膝を突く。見ると太ももに真っ赤な染みができている。
「いっつつ……」
少し顔をしかめ傷を見る。太ももはしっかりと貫通していて、血がとめどなく出てきている。
そして次に歌詠を見る。
「……――――――、」
その眼はぼおっと虚空を眺めている。そしてその瞳に光はない。
しばらくすると、彼女はそのままばたりと前に倒れ、額に開いた穴から大量の血を零し始める。
「あーあ」
それを見て、彼はそう言った。
特に何の感動もなく、感情もなく。しいてあげるなら『勿体ない』。そのくらいにしか思っていなかった。
まあいいか、と言う代わりに鼻で笑い、
「額を狙えたなら銃も狙えたんじゃないの? 『罪乗の山羊』さん」
「やっぱり分かってたの……」
そう呆れてため息を吐き、声の主は立ち上がり、髪を撫でる。
そんな柳木に彼はクスリと笑う。
「嘘つきは、鼻が利くんだ」
たどたどしくながらも片足で立ち上がる彼。
あっそ、と柳木は拳銃を懐に終い、スマートフォンを取り出し誰かに電話を掛ける。
「ええ。刺客は処理しました。後処理を……」
報告を済ませると、電源を切る。
そして「さて……」と一息吐き、押野見の方に向く。
「あなたが『転び狼』ね」
「まあ好きに読んでくれて構わないよ。小悪魔ちゃん」
転び狼はニヤリと悪戯な笑みを浮かべる。
それに柳木は寒気を覚える。
「押野見君の顔で言われたら違和感があるわ」
「おっと、これ以上は嫌われちゃうかな?」
「もう十二三分に嫌いよ」
「ひどい子だ」
そう言いながらも笑みを外さない狼にいい加減嫌気がさす。
「とりあえずここを離れるわよ」
そう話を切って歩き出す。
魔術師の彼女が死んだことでこの『人払い』もじき消える。そうなれば面倒なことになるのは言うまでもない。
彼女はそそくさと場所から離れようとする。そして狼の横を通り過ぎようとしたとき、
「まあ待ちなって……」
「鬱陶しっ―――――――!!!」
その言葉に反応し、いい加減強く言おうと彼の顔を見た瞬間。
狼は片腕を彼女の背中に回し、
「んっ――――――――――――!!!!」
その唇を奪った。
乱暴に、有無を言わせず。
慌ててその手から離れ、口を拭う。それを見て狼は「ハハッ」と笑い、
「ひどいね」
「っッ――――――――!!!」
殺してやろうか。
睨んだ彼女の目はそう言っていた。
ただならぬ殺気を宿す彼女の目。
しかし狼はそれにひるまず、
「さて、『質問』だ」
「っ!」
そう言って彼は柳木を見る。
味を確かめるように、品定めをするように、
「『俺のモノになるか、死にたいか?』」
「『死にたい』わ!」
即答だった。
それに狼は初めて驚愕の表情をする。
なぜならそれが、彼女の本心だったからである。
柳木は未だ屈辱の涙を浮かべた瞳で狼を睨む。
「……クスッ、」
アハハハっ! と狼は大笑いし、こっちは笑い泣きで涙を拭う。
それに彼女は不愉快だという視線を強める。
狼は一しきり笑い終えると、息を整えながら、
「いやあ、ね。我が宿主の運は中々のものだ!」
「馬鹿にしてるの?」
「いやいやこれは純粋に賞賛だ。しょう怒るな。きれいな顔が台無しだぞ? いや、その今にも泣きそうな顔も中々」
「っっっ!!」
思わず柳木は平手を出す。が、それを狼は片手で受け止め、
「体を傷つけられるのは困る。主も俺も痛いからな」
「そう。なら最後に!」
そう言って彼女は思い切り足を上げると、その透き通るようなきれいな足で、彼の真っ赤な太ももを思い切り蹴った。
「んがっっっ!!!!!」
狼の顔が今までにないくらいグシャリと壊れた。
想像を超えた激痛が太ももから脳に突き刺さり、意識を一瞬で刈り取る。
ばたりとその場に倒れる狼。
それを見て柳木は少しスカッとする。
しかしこれで彼を背負っていかなければならないことになった。
「……血を全部抜いたら軽くなるんだろうけど……」
さすがにそれは死んでしまう。とりあえず手持ちのハンカチで止血し、肩を貸す。
夏の熱気が容赦なく炙ってくる。
熱中症にならないか心配になりながら、彼女はいやいや彼を運んだ。