歌詠音々
「んーっと」
暑いコンクリートジャングルから一休み。喫茶店に入って涼んでいる魔術師『歌詠 音々』はストローをくわえたままバッグの中を確認する。中には紙の束がぎっしりと詰まっている。
そして一通り確認すると、「よし」とグラスに……表現が悪いが、蚊のように加えていたストローを差してコーヒーを飲む。
外が見える窓側の席なので、ふと見ると灰色の灼熱地帯が広がっており、そんな中を人々が忙しなくどこかへと行き交いしている。
そんな様子を見ているとこっちまで暑苦しくなってくる。またあの中を歩かなくてはいけないのだ。今なら焼き魚に同情できそうだ。もしくは蒸されている肉まんに。
「……お腹へったな」
時刻はちょうど12時。
(狼退治か……まあ、お金貰ってるからね……)
仕方ない。仕事なのだから。
せっかくだからここでお昼を食べていこう。
そう考え、彼女はメニューをとった。
・・・
ふぅ、と一息吐き、帰宅の支度を済ませる。
時間的に日は白い。外はまだオーブンのように熱いだろう。
席を立つと、そこに柳木が来る。その肩からは、少し大きめのバッグが下がっている。
「……まさか」
今日は体育があったからそれだろうと思っていたが、それにしては少し大き過ぎする気がする。押野見の体育ようのカバンを持ってきているが、大きさが1,5~2倍ほど違う。他の人たちには「これしかないので」と説明していたが、押野見はそれの真の使い方に思い当るところがある。
彼女はそのかばんを見て不安げな顔をした押野見を見て
「ご明察」
にこりと笑った。
一緒つく帰路。押野見の前を歩く柳木。この感じは昨日ぶりである。
しかし昨日一晩過ごしてみて、少し気が楽になった。思っていたよりも硬い人ではないようだ。
それに……少しドキドキしている。
思春期男子。
(あの事件のせいだよな……)
思い出して赤くなる顔をそらし、ため息を吐く。
未だ日は白い。
人は流れていく。流れと表現するほどに多い。
これを鬱陶しいと思ったこともあるが、今は思わない。慣れてしまった。
それはつまり、自分も流れの一部と化しているということだ。
故に……違和感はすぐにきた。
(……?)
それははじめなんとなくだった。
なんとなく彼女の行く方向に違和感を覚えた。否。その方向に行く人の流れに。
流れと言っても人はどの方向にも行く。当然だ。皆が皆一か所に向かっている訳ではない。
しかし、押野見は周りを見て思った。
(逆流……している?)
まるで注射針で毒を入れられたように、嫌な予感が彼の中でジワリと発生する。
少し前にいた柳木の方に寄る。
「敵?」
「……」
どうやら当たりらしい。
押野見の手に汗がにじむ。
敵。
思い浮かべたのは刺客の二人。
ならばこの人混みの中に紛れて襲い掛かってくるのではないか。
自然と意識は周りに向く。
が、
「……あれ?」
思わずそう声に出すほどに、変化はありありと現れた。
気が付くと、
「人が……いない……」
「結界ね」
立ち止まって周りを見回すと、人の波から完全に分断されていた。違和感の正体はこれだったのだ。
確かに都心ではないが、それでもこの時間に人がいないというのはあまりにもおかしい。
「結界って、これが?」
しかし、しん、と静まり返った辺りには人の息遣い一つ感じられない。まるで町が死んでしまっているようだ。そう印象を持つほどに。
「あなたの思ってるのはきっとバリアーね。光の壁みたいな。まあそんなのもあるけど、今回のは『人払い』ね」
柳木は辺りを見回し、適当な路地に入っていく。
するとその入口に紙が貼ってある。彼女はそのA4サイズの紙をとり、押野見に見せる。
「これが今回の触媒ね」
「触媒?」
「力を引き出し、それを使うために用いる道具のことよ」
なるほど、と思ってそれを受け取る。そこには上から下までびっしりとアルファベットで文字が羅列していた。
「すべての文字には意味がある」
声が聞こえた。
それに反応し、二人は通りの奥に目をやる。
そこには、茶色の長い髪をした女性が立っていた。
押野見は感じ取った。
死んだ町。
そんな異界じみたところにに平然と立つ女性。
間違いない。彼女がこれの発端だと。
「それは文章という文字列として扱うことでより意味を持ち、より効果を高める」
彼女が一歩歩く。その動作だけでも異質と感じてしまう。
チラリと柳木の方を見る。
彼女の顔を見ただけで分かった。もう臨戦態勢に入っているのだろう。表情は冷たく、鋭く、落ち着いている。
敵だ。
女性は数歩歩いたところで思い出したように立ち止まり、
「私は『歌詠 音々』ね。ねねねってなんかおかしいけど」
クスリと笑う。
「まあお金も貰ってることだし、」
さて、と彼女はバッグから紙を取り出し、
「サクッと死んでくれると助かるんだけど?」
「「ッ!!」」
ぞっ―――――――――――――――――
二人は身を翻し、走る。逃走だ。
「Slashout」
彼女が紙を放ると、それらは独立し、生物的な動きで彼らの方に飛んでいく。
それに気づいた柳木は押野見の手を引き、路地の中に飛び込む。それに沿って紙も曲がるが、曲がり切れずにコンクリートに突き刺さる。刺さった紙は役目を終え、文字が消えてはらりと地面に落ちる。
ありゃ、と彼女は首を傾げるが、
「まいっか」
とまた紙を取り出す。そしてそれに付け加え、折り鶴を取り出す。
「Flying」
と、掌サイズの折り鶴は彼女の体と同じくらいの大きさになり、その上に乗ると宙に浮く。
そうして適当なビルの屋上に上がると、手早く折り鶴を小さくしてしまい、下を見て確認する。あまりふわふわ飛んでいると迎撃されかねないし、風にも流される。
そして屋上から屋上に飛び、辺りを見回し、
「見つけた」
休んでいる二人を見つけ、思わずにやけてしまう。
そこに向かって紙を飛ばす。
「Needle!」
紙は空中で命令通りドリル状になり、回転しながら二人のところに一直線に飛んでいく。
それに気づいた柳木は押野見に合図し、それを避ける。
中々良い感覚を持っている。
そう相手に賞賛を送りながらも、攻撃の手は緩めない。
「Slashoutっと!」
今度はまた紙を五枚、そのまま放り、追尾型の平らな刃で攻撃をする。
走って逃げる押野見達の背後に紙が迫る。
なんとかしてあの紙を封じることはできないだろうか。
(せめてこれだけでも無効できれば……)
そう思って曲がり角をぎりぎり引き付けて曲がる。と、先に行った柳木がドアを開け、建物の中に入るように促してくる。それに従い、飛び込むように押野見は中に入る。その瞬間、思い切り彼女はドアを閉める。が、ドアに紙は刺さり、うねって抜けてこようとする。
もう生き物だ。
「上に行くわよ! 急いで!」
そう言われ上に上がる。
そこはオフィスビルだったようで、上は事務室だった。
「ここよ!」
「え、ちょ! ここ!」
そう引っ張られて入ったのは女子トイレだった。
押野見は共感している訳ではないが、女子トイレは花園だと言っていたやつがいた。どこからそんなイメージが湧いてくるのだろうか。
カチャリと音がし、魔術師が入ってくる。
「おーい。どこだー」
声の主はドアのところで様子を見ているのだろう。
建物を盾にするつもりが、逆に追い込まれた。
そう相手は思っているだろう。
が、違う。
なぜトイレに逃げ込んだのか。
魔術師の彼女は言った。
『文字には意味がある』と。
「よし!」
清掃用のホースをつないでもらい、彼は事務室に踊り出て、全ての紙に水を浴びせる。水を浴びた紙たちは文字がふやけてしまい、しなしなと落下して動かなくなる。
(やっぱり!)
あの魔術師の弱点は水だ。
そう結論づけ、押野見は入口にいるであろう魔術師にホースを向ける。チェックメイトだと。
が、
「おーい。どこだー」
「え……」
そこにあったのは紙だった。
紙から声が繰り返し聞こえてくる。録音されたものだろう。
完全にしてやられた。
そう思ったときにはもう遅い。
パリンッ! と外の方の窓が全て割れ、一斉に二十枚ほどの紙のドリルが飛んでくる。
押野見は慌てて水を向ける。
が、刹那の刻に彼は見た。
ネジ巻いている紙が水を弾いているのを。
コンクリート突き刺さるような硬い性質を持った紙。そんな紙が水でしなしなになるとは考えにくい。
ホースで倒せたのは文字を消し、普通の紙に戻ってからその水を吸収したからだと今理解した。
ネジ巻いている紙は内側に文字があり、水を全て弾き、勢いをそのままに彼のところへ飛んできた。
死んだ。
「危ないッ!!」
すべてがスローモーションの中、その声が鋭く耳に刺さり、押野見は突き飛ばされる。
「柳木!!」
ぞぶ、―――――――—――
叫びと不愉快な濡れた音はほぼ同時にだった。
ドリルは追尾型ではないようで、乱れ撃ちのうちの三発が彼女の胴体を貫通し、床に突き刺さっている。
風穴があいたところからはドロドロと赤い液体が垂れ流しになっている。それが床から広がり、押野見の手に当たる。生暖かい。
「……ッはあッ――――――――――!」
その瞬間まで呼吸すら止まっていた。
ようやく時間が動き出すが、同時に目の前の死体に対して激しい生理的嫌悪感に襲われ、嘔吐してしまう。
(やめろ! やめろ!! これは柳木だ!)
そう思い口に手を当て必死に吐き気をこらえる。
(あいつだ! 昨日だって笑って! 家に泊まってまで僕を守ってくれて! さっきも…………)
「――――――げぇッ!」
それでも込み上げてくる汚物をせき止めきれず、戻してしまう。
その時、階段から足音が聞こえた。
「うわ! 吐いちゃったの? 大丈夫? なんて問ても、殺すし意味ないか」
彼女の声が聞こえてくる。
部屋にはいない。
声音はひどく落ち着いている。こういう現場によく立ち会ったことがあるのだろう。それか自分が作ったか。
逃げなくては。
彼女が身を挺して守ってくれたんだ。
そう頭の端では思っている。が、意識がぼおっとして体に信号が伝達されない。
本当は全てがどうでもよくなっていた。
朦朧とする意識。魔術師の女の言葉も耳を素通り、床の汚物からは生臭さと酸っぱさが混じった匂いが鼻腔を刺す。
精神的に死んでいた。
歪み、暗く、曇っていく視界に、最後に映ったのは汚物に群がるように浸透していく真っ赤な血だった。
まるで自分が吐き出した『生』貪るよう。そんな印象を受けた。
やがて視界は十円玉よりも小さくなる。
そんな中で耳に籠る声があった。
唸り声だ。
何の声かはわからない。
しかしなぜかその時、その声を「お腹が空いている」と受け取った。
「……いいよ」
彼は無意識にそう呟いていた。
その瞬間、どこからか狼の遠吠えが聞こえた。