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始まりの前

 終わらない……終わらない……


 生命の輪……メビウスの輪……


 日記の背表紙をつないで貼り付けたように……


 我が命は終わりを迎え……


 そして……

 ………………………………………始まりを迎える。




「待っててね。またすぐに見つけてあげるから……」




      ・・・




 車の音。人の声。

 はじめはうるさいと思った。

 足裏のコンクリートの感触も最初は少し落ち着かなかったが、もう慣れた。

 ただ、

「あっつ……」

 この暑さは慣れない。

 ここは繭咲まゆさか市。

 押野見おのみ けんは足を急がせる。

 全身から汗が出ているが関係ない。拭いても出てくるのだから。

 時刻は午前8時を回ったところ。8時半のホームルームには十分間に合う。

 近くにあったコンビニに入り、冷気を得て体力を回復する。

 ついでに何か適当な飲み物も買っておく。

 ありあっしたー、という感情のこもってない声を流して外に出る。買ったのは一番安かった紅茶だ。

 


 キーンコーンカーンコーン

「……はいチャイムなったな。これよりあとはみんな遅刻な」

 眼鏡をかけた担任の女性の先生、七釜戸ななかまど奈南ななは出席にチェックを入れる。

 と、そこに後ろの扉がガラガラと開き、

「あっぶねえせーh」

「アウトだ」

 淡々と言い放ち、彼女は黒板消しをその入ってきた男に投げ、命中する。

 ボハッ! と当たった彼は後ろに倒れる。それを七釜戸はため息を吐き、クラスに笑いが起こる。

 彼は真っ白にした顔を押さえて立ち上がると、黒板消しを拾って、

「いってえ……俺じゃなかったら体罰で訴えてますよ先生」

 キャッチボールのように投げ返す。彼女はそれを受け取り、チョークを吸い込む機械のところに持っていき、

「お前じゃなかったら投げてない」

「お! 愛情表現ですね!」

「死ね。いいから早く席に着け斎藤さいとう」 

 ウィーン、と機械がうなり粉を吸い込む。斎藤春来はるきはニシシと笑って押野見の横の席に着く。

「おっす押野見!」

「おはよう斎藤。今日はなんで遅刻したの?」

「そう! それなんだよ!」

 斎藤はいつも遅刻した時は言い訳を用意してくる。実は押野見はこれが朝のちょっとした楽しみなのである。昨日は「桃の中に入ってたらいつの間にか沖ノ鳥島に」という言い訳にクラスの全員が鼻で笑ったが。

 それを聞かれた斎藤は待ってましたと言わんばかりに身を乗り出し、辺りをキョロキョロとみて、小さな声で話す。

「実は俺、あれについて調べてんだ」

「あれ? 何それ?」

「知ってるだろ? 今巷で噂の……」

「……まさか」

 そうそうあれあれ、と彼は嬉しそうに無邪気な笑顔を浮かべる。

「新しく来たスイーツ店」

「……え?」

 その答えに思わず首を傾げる押野見。その様子に斎藤も頭に疑問符を浮かべる。

 押野見は手を前に出して笑って誤魔化し、

「いやぁ流れからてっきり『連続猟奇殺人事件』とか、そういった話が出てくるのかと」

「はぁ!?」

「いやいやアニメとか漫画だったらそんな流れあるじゃん? てっきりお前がその類なのかと」

「その類ってなに? きっかけ作って主人公を巻き込んだけど中盤くらいで死ぬ仲のいい友達みたいな?」

「えーっと……」

「目をそらすなよ!」

「まずお前は聞く耳を持て!」

 いつの間にか近づいてきていた七釜戸先生にバシンと頭を叩かれる斎藤。

「体罰というなの愛情表現はウェルカムですけど、俺はマゾじゃないんですよ!? 痛みに快楽は覚えません!」

 そう抗議?をする彼に、彼女は呆れてため息を吐き、

「そこらのマゾよりたちが悪い」

「ひどい! っと、話が逸れたな。美月みつき! 放課後三人で食べに行こうぜ!」

 と、彼は押野見の後ろに二つ下がったところに座っている女子に話しかける。彼女は美月美陽みよ。女子の中ではよく話す方で、二人とは仲がいい。

 しかし彼女はプイッと外の方を見る。ノリ悪いな、と斎藤は少し寂しそうな表情をして再び押野見の方を見る。

「冷たいよな?」

「いやぁ……えーっと……」

 困ったような押野見の様子に斎藤は疑問を抱く。そしていまだ危機を感じていない彼に、押野見は小さく後ろを指してあげる。

 それに従って斎藤は後ろを振り向く。

 そこには……

「お前がMじゃなくてよかったよ斎藤……」

 え、と言葉を漏らす斎藤。

 パキパキと指を鳴らす七釜戸先生。

「じゃなきゃお説教・・・にならないからな」

「いやいやいやそれ『お説教』じゃないから! 体に訴えるほうだからああああああああああああああああ!!」

 解き放たれた拳が下から彼の顔面に突き刺さり、空中に打ち上げられる。

 見事なアッパーカットが決まった。

 斎藤の体はきりもみして宙を漂い、

「うべふっ」

 床に落下する。

 フゥ、とまるで撃った後の拳銃の煙を消すかのように彼女は拳に息を吹きかけ、

「これにて朝礼終了!」

 と晴れ晴れした顔で皆にそう言い、

「授業に遅れるなよー」

 シン――――――、と静まり返る教室をあとに、扉を閉めた。その言葉に皆時計を見る。

 時刻、8時57分

 授業開始時刻、9時00分

『あと3分しかねーじゃねーか!!』

 クラス一同、気持ちがそろったところで皆大急ぎで教室を出ていくのであった。



 昼休み

 斎藤は前の机を反転させてくっつけ、購買に行った。

 一人になった押野見は机の上にコンビニ弁当を広げる。

「ったく斎藤のやつ。朝礼の時は恥かいちゃったじゃない!」

 と、その隣に机をくっつけてくる美月。

「お疲れ美月」

「ホントにね。食べないの?」

「うん。斎藤がまだだし」

 ふ~ん、と彼女は自分の弁当をだし、机に置く。が、手は付けない。

 それを見た押野見は不思議そうに彼女を見て、素朴な疑問を言ってみる。

「食べないの?」

「あ、あんたが食べてないなら私も食べるわけにいかないでしょ!」

 そう言うと美月はフンとなぜかそっぽを向いてしまう。

(何かまずいことをしただろうか……)

 彼女の反応に、少し驚き戸惑う押野見。しかしこんなのはいつものことだ。なぜか押野見が話しかけるとたまにそっぽを向かれる。が、どうやら嫌われているわけではないようだ。

(女心とか乙女心ってやつかな? 男の僕には分からないな……)

 なんてことを考えていると、丁度いいタイミングで斎藤が帰ってきた。

 彼は二人の姿を見ると、大きく手を振って、

「おお! 待たせたな諸君!」

「さあ待ったことだし早く食べない?」

「そうだね」

「おいおい俺まだ席についてないぞ?」

「「いただきまーす」」

「冷た!」

 なんて感じで食事が始まり、あっという間に終わる。

 そして余った時間は雑談に使う。

「なあ。放課後新しくできた駅前のスイーツ食べに行こうぜ」

「女子か」

「甘くとろける男子と言ってくれ」

「物理的にでしょ」

 ガクッと肩を落とし、「冷たい奴だなぁ」と斎藤は口を尖らせ文句を言う。と、それを客観的に見ていた押野見に目をつけ、

「お前も来るだろ? あそこの今月限定のケーキはスポンジにこだわってるらしいぞ」

「えーどうしようかな……美月が行くなら行こうかな」

 その言葉に彼女は驚きの声を漏らす。そして少しだけ顔を赤らめて、

「ど、どうして?」

 それに彼は、

「だって、男二人で入るとか想像できないだろ?」

 あっけらかんとして、そう答えた。

 それに斎藤も「なるほど確かに」と頷く。なぜ気づかなかったのかという疑問は今は置いておこう。高校二年の男子が二人で夏にスイーツ屋に出没。明日の朝刊に載りそうな勢いだ。

 それを聞いた斎藤は美月の方に向き直ると、

「ということで美月よろしく」

「……いやよ」

 少し低く、暗い声でそう言うと、彼女はチラッと押野見を見た後にプイッとまたそっぽを向いてしまう。

 また自分は何か言ってしまったのだろうか。

 頭を掻いて困った顔をする押野見。

 しかし斎藤は諦めない。美月の肩を叩くと一度廊下の方に誘導する。何かを話しているようだ。

 そしてしばらくして……戻ってくると、

「やっぱり私行く!」

 美月の目がきらきらしていた。一体何を吹き込まれたのだろう。

 それに斎藤もうんうんと頷き、

「やっぱり女子は甘いもの食べてるときが一番かわいいよな。な、押野見もそう思うだろ?」

「え!? あ、うん。そうかもね」

 といきなりのフリに困りはしたが、冷静になり、

「ご飯食べてるときの幸せそうな美月の顔を見てると、そう思うよ」

「はひゃッ!!」

 その一言で顔がトマトのように真っ赤になる美月。それを見て斎藤は何て分かりやすいやつ、といつものように思うが、彼女の変化に押野見まったく気が付いていないようだ。

 押野見はそのまま斎藤の方を見て、

「で、出発は? 終わってからすぐに行くの?」

「ああそのつもりだ。金は大丈夫か?」

「わ……私は、大丈夫よ」

 軽く深呼吸し、なんとか落ち着きを取り戻す美月。

「僕はちょっと高いものは買えないな」

 押野見は自分の財布を開き、中を見て残念な顔をする。

 斎藤は「仕方ない」とため息を吐くと、

「俺が少し奢ってやろう。実は昨日バイトの金が入ってきたんだ!」

「いいの?」

「泥船に乗るつもりで行きなさいよ」

「さきに言うなよ美月!」

「え、言うつもりだったの!?」

 思わず驚いた押野見であった。




      ・・・




 ………………うん。

 中々に育ったな。

 とはいってもまだ子供か。

 人間の成長はだいたい二十歳まで。

 それに経験もまだ少ない。人生約百年中の高々十七年。

 頭がキレるわけでもない。

 身体能力が異常に高いわけでもない。

 ルックスも至って平凡。

 総合的に可もなく不可もなく、平凡で普通……か。

 まあ……いい。




      ・・・




「……み」

「ん……」

 誰かの声が聞こえる。

 自分を読んでいるのだろうか。

「……のみ」

 聞き覚えのある声だ。きっと自分を読んでいるのだろう。

 押野見はまだ半開きの眼を擦って顔を上げる。

 そこには、

「おーのーみッ!」

 パシンッ! と顔面に平たい何かが当てられた。というか、平手だった。

 振り下ろされた平手が顔を上げ彼の顔面にヒットした。押野見は鼻を押さえて机の突っ伏す。

 それを見て、慌てて叩いた本人の美月は謝罪する。

「ご、ごめん! 大丈夫だった!?」

「だ、大丈夫。血は出てないから」

 押野見は鼻を何度か触って血が出てないことを確かめると、美月の方をみる。

「痛いじゃないか」

「……だ、だって中々起きないから!」

 さっきのしゅんとした態度から一遍。今度は反論を唱える。

 それに押野見はため息を吐く。この状態の彼女に何を言っても聞かないだろう。いつものことだ。

「まあありがとう。でも次回はもっと優しく起こしてくれるとうれしいな」

「え、あ……うん。わかった。でもそっちも授業で寝ないように心掛けてね。もう放課後よ」

「うそ!?」 

 と、時計を見てみると、確かに授業時間を過ぎている。そしてみんな帰る準備を始めている。

 そんな中未だに教科書を広げている押野見。なんだか恥ずかしさが込み上げてきて、慌てて帰り支度を始める。

 それを見て「まったく」と呟く美月。

「でも珍しいわね。授業中に寝るなんて。昨日夜更かしでもしたの?」

「んー……特に思い当るところはないんだけど。最近暑くて寝苦しいかな」

「まあ確かにね。一人暮らしでしょ? エアコンってお金かかるよね?」

「そうなんだよぉ……なんとかならないかな美月」

「なに? 奴隷になれってこと?」

「いや飛躍しすぎだよ」

 終わりのホームルームが終わり、みなそれぞれ家路につく。

 部活は、斎藤はバスケ部に、美月はバドミントン部に入っている。

 が、今日は二人とも休みになっている。しかし斎藤はサボり、美月は先生の都合で本当に休みになっているらしい。

「運が良かったな」

 校門を出たところで斎藤が悪戯っぽく笑う。

「ズル休みにそれを言う権利はないんじゃない?」

 それに鋭い美月の突っ込みが入る。

 高校最寄りの駅に向かって歩く一行。

 見慣れたコンクリートジャングルだが、ヒートアイランド現象のせいで鉄板並に熱くなっているのは毎年うんざりする。慣れない。

 交差点の信号が青になり、待っていた人が皆一斉に歩き出す。

 押野見賢も歩き出す。

 前方で人の波が接触する。が、その粒子同士はぶつからず、互いに避けて波風ひとつ立てない。

 その粒子の一つである押野見も人を避けて対岸に渡ろる。渡りきった。

 その瞬間、

「ッ!!」

 バッと後ろを振り返る。

 そこには人の壁が見える。そして点滅している信号。

 それ以外は見えない。当たり前だ。

 なら、一体何に反応したというのか……。

 今のはまるで……まるで……

(誰かに呼ばれて……)

「おーのーみッ!」

 ペチッ、と頬に平たく柔らかいものが当たる。それは平手だった。見るまた美月だった。今度は軽くしてくれたようだ。

 しかし彼女は心配そうに押野見を方を見上げてくる。

「どうしたの?」

「……いや」

 そう答え、

「なんかごめんね。さ、いこ!」

 と明るく笑い彼女の先に出る。それに美月も「ちょっと!」と慌ててついてくる。そしてそれを斎藤が「なんだなんだ? お熱いねぇ」といじり、美月にシメられる。

 そのいつもの光景に安堵する押野見。

 そこでまた疑問を持つ。

(安堵?)

 そして再びあの交差点を見る。しかし今は何も感じなかった。

 さっきのはいったい何だったのか。

 深く考えないことにした。

「ほら押野見! 早くしないと店が無くなっちまうだろ!」

「あ、ごめん。今行くよ」

「もう突っ込むのに疲れたわ。いや、これは突っ込んだら負けなのかしら」

 いつの間にか少し遠くにいた斎藤に急かされ、押野見は走って追い付く。

 そして三人はまた駅前を目指して歩き始めた。


 ……その右方。

 一人の女性が立っていた。

 その女性は押野見を見ると、にやりと笑みを零し、

「見つけた……」




      ・・・




 

「ありがとうございました」

 あのコンビニとは違い、丁寧な挨拶を受けて店を出る三人。皆満足した顔をしている。

 辺りは少し日が暮れだしたところだ。

「いやぁ噂通りうまかったなこの店」

「食べ過ぎよ! お店のケーキ食べ尽くしちゃうかと思った」

「いやいや。いくら斎藤でもそんなこと……」

「……」

「やろうとしてたの!?」

「若い内は迷ったら突き進め。俺が師匠から教わった言葉だ」

「誰よそれ?」

 何てことを話しながら家路につく三人。昼の暑さは少し抜け、少し風が涼しく感じる。

「にしてもあっちーなぁ」

 ……そうでもないらしい。

「ケーキの食べ過ぎで血糖値があがったんじゃない?」

 カッターの襟をパタパタする斎藤に美月は言う。

「そうかもね」

 アハハ、と押野見は笑って同意する。






 ゾクリ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――、






 突如、旋毛から足先まで電気が走ったような感覚に襲われる。

 全身の毛が立ち、体が何かを訴える。

 そして、脳の命令とは関係なく、足は止まり、視線はゆっくりと右を向く。

 狭い路地の方に。

「……」

 押野見の体は路地の方を向く。そして自然と足が前に……

「押野見!」

「ッ!!」

 その瞬間、後ろに勢いよく体を引かれる。

 見ると、美月がこちらを見上げていた。その手には押野見の手が強く握られていて、目はひどく心配げだ。

「大丈夫?」

「え……あ、ああうん! ごめん」

 彼女の一言で正気に戻る。

「本当に大丈夫か? 呼びかけても返事しなかったしびっくりしたぜ」

 斎藤も柄にもなく心配そうな顔をしている。

 彼らを安心させようと、押野見は笑顔で返す。

「ごめん。本当に大丈夫だよ。ちょっとボーっとしてただけだから」

「ったく。心配させんなよな」

 斎藤はため息を吐き、美月も未だ心配そうにしながらも、いつも通りの彼を見て、胸をなで下ろす。

「今日は暑かったからな。熱中症で倒れる前にさっさと家に着いちまおうぜ」

「そうだね」

 そう同意して、押野見は再び家路を歩き出した。




 ぽっかりと口を開けたような路地の奥……

(気のせいだよな……)

 そう自分に問い、気のせいだと答える。

 あのとき感じた、まるで誘われるような感覚は気のせいだと。




・・・




  ……たい……

(……)

 ……いたい

(……)

 ……食いたい

(……何を?)

 ……喰いたい。

 くえクエくえクエえクエえ!!!




 渇く……どうしようもなく渇く……

 口が、喉が、体が、心が、

 まるで燻製になったような気分だ。塩をかけられた青菜のような気分だ。

 頭がぼおっとする。

 意識が朧気だ。

 自分は今……

 ……何をしている?


 手の中に何かの感触を覚える。

 しっかりとした、しかしどこか温かな、それでいて程よい弾力があって……

「うぅ……あぁ……」

 ぼやけた視界、意識の中で、どこからかそんな掠れたうめき声が聞こえてくる。

 いったいどこから……

 どこから……

「あぁ……ぐる……じい……」

「…………………………………………え?」

 急速に意識が覚醒した。

 ピントの合う視界。耳鳴りが消え、透き通る聴覚。

 そして目の前には……少女がいた。

 闇に溶けるような漆黒の長髪が印象的な、まるで日本人形のような少女。

 そして、その少女の首に、何かが巻き付いていた。

 何か……何?

 それは……………自分の、手だった。

 少女に馬乗りになって、僕は首を絞めていた。

「う、うああああああああッッッ!!!」

 その事実に気づいた瞬間、押野見は慌てて手を離し、後ろに後退る。

 解放された少女は「ケホッケホッ!!」と咳をして、

「よくも!」

 涙目になりながら、こちらに手を翳す。押野見はそれに嫌な予感を覚え、慌てて頭を下げる。その瞬間、彼の頭上を何かが通り過ぎていった。

 後ろの壁を見ると、べったりと何かの粘液が貼り付いていた。

(や、やばい!!)

 本能的にそう感じた彼は、急いで立ち上がり、走り出す。

「あ! 待て!」

 背後で少女の足音が聞こえる。追いかけてきている。

 しかし押野見の頭に彼女の背後の存在はなかった。

 人を殺めようとしていた。

(僕は人を……人を……)

 得体の知れない自分への恐怖が冷たく沸騰する。

 なんとか走っているが、全身が震え、思ったように体が動いてくれない。

(なんで……どうして……僕は悪く……何も知ら)

 突然何もないところで体制を崩して倒れてしまう。

「うあっ!」

 地面に投げ出された体。それをかばって体を捻り、腕を擦りむいてしまう。

「いっつ……」

 起き上がって見ると、血が出ている。

 しかしそんなことを気にしている場合ではない。

 なぜなら、

「……追いついた」

 ……もう遅い。

 少女は押野見を見つけると、にやりと獰猛な笑みを浮かべ、歩み寄ってくる。獲物を追いつめるように、じわり、じわりと。

 押野見は急いで走り出そうとする。

 が、突然足が動かなくなり、また転んでしまう。

 半場パニック状態になり、見てみると、足に何かネットのようなものが絡まっていた。

 さっき少女が出したものと同じものだ。

「なんだよこれ!?」

「これで逃げられない」

 それをはがそうとしたがもう遅い。

 少女はすでに目の前に立っていた。

 彼女は獰猛な笑みをさらに深め、

「さっきはよくもやってくれたな」

「あ、あれは……何かの間違いだ! 僕は何もしていな」

「白々しい。知らないで済んだら処刑なんてしないさ」

 そういって彼女は手をまっすぐにあげる。

 月明かりが照らし出したその姿は、何かの足だった・・・・・・・

 先がナイフのように尖り、肩のあたりまで黄色と紫と黒の縞模様が入った毛むくじゃらの腕。

 蜘蛛。

 蜘蛛の足に似ていると思った。 

 彼女は恐れのあまり声も出せない彼を見て、じゅるりと舌なめずりをすると、

「バイバイ」

 その腕を振り下ろす。

 悲鳴を上げるよりも早く、押野見は反射的に目を瞑って顔をかばう。




「はいストップ」




 その手を後ろから誰かが掴んだ。女性の声だ。 

 それに少女はチッと舌打ちをする。

「ぁにすんだよもえ!」

「目的は勧誘、または連行、または捕獲だったはずよあみ

 何やら揉めているようだ。押野見は恐る恐る目を開く。さっきの少女の背後。そこには、

「だって最初に手を出したのはこいつだよ? 正当防衛だって」

「どう見ても過剰よ。いいからその手をしまって」

「はいはい分かりましたよ」

 編と呼ばれる少女はそう言われ渋々腕をもとに戻す。それを確認し、萌と呼ばれる少女は安堵の息を吐く。そして今度は押野見の方に歩いていき、

「怖がらせてしまったみたいですいません」

 頭を下げ、誠意のある謝罪をし、

「私は柳木やぎ萌。『山羊』の『憑き物』を持っているわ。で、私たちは『ブレーメンの音楽隊』。『宿者しゅくじゃ』のコロニーの一つよ」

「しゅ、しゅくじゃ? ころにー? おんがくたい? お前ら何言ってるんだよ!?」

 震える声で押野見は問う。それに編は鼻で笑い、

「声震えてやんの。オオカミなのにネコ被るなんて、中々面白いな」

 と、萌の前に出てきて、グッと睨み顔で接近し、

「ついさっきまで私を殺そうとしたのにさ」

「……こ、殺そうとしたのは……お前だろ!」

 それにはさすがに反発する。何かはよく分からないが、何故かも分からないが、本当に自分は殺されそうになったのだ。

 しかし確かに自分も……彼女の首を絞めていた。

 なぜだろうか。そこに至るまでの記憶が曖昧だ。

(僕が人を殺す……)

 この曖昧な時間の内に、いったい何があったのだろうか。

 いや、まずアレ・・は人なのか。

 そういえば萌とかいう彼女が口にした言葉。『しゅくじゃ』

「しゅ、しゅくじゃって」

「シッ――――――」

 彼がそのことを聞こうとした瞬間。萌は口に人差指を立て、制止を促す。

 それに全員が静まる。

 そうして作り出された静寂、否、もとの静寂に戻すことによって、ある音が聞こえるようになる。

 コツコツコツコツ、―――—―――――—――

 靴音だ。

 それに萌は顔をしかめる。そして、

「いったん退こう」

 その指示に編も賛同し、

「さ、君も!」

 と押野見の方にも手を差し伸べてくる。突然、しかも日常では考えられない質の目まぐるしい状況の変化に、彼は戸惑いその手を見て、それから彼女の顔を見て、

「な、なに!? なんなの!??」

 その戸惑いの表情に彼女は苛立ちの表情で返し、有無を言わさずその手を掴み、

「殺されたいの!?」

 とほとんど引っ張るようにして彼を立ち上がらせ、すぐに路地の奥に走り出す。

 それでも未だ戸惑いの中にいる押野見は何が何だか分からず、走っていく彼女たちを見てから後ろを見る。そこからは複数の足音が聞こえる。そしてそれは確実にこちらに迫ってきていた。

 怖い。

 得体の知れないものへの怖さ。

 殺されると言われ、その意味を明確に知ってからのイメージによる怖さ。

 それらに突き動かされたのだろう。押野見の体は半場自然と彼女たちの背中を追いかけていた。

 


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