91]流行(はや)り病(やまい)
幕府もそろそろ傾きかけていた江戸中頃の話である。江戸深川に仙次という男気のある花板がいた。外っ面もよかったが、これがどうして、なかなかの料理人で、若いにもかかわらず板長にまで上りつめた男だった。遊び人ではなかったから女房のお里は助かったが、料理出前の関係からか深川芸者衆の間では色っぽい評判となっていた。その仙次が盆明けに妙な病にとり憑かれ、寝込む破目となった。看病するお里は気が気ではなかったが、これだけはどうしようもない。惚れたのは、今年の春、八十八の米寿で身罷かったお粂婆さんだった。婆さんは新盆にあの世からこの世へ帰っていて仙次を見染めたのだ。色年増ならまだしも、枯れ木に花も咲かない老女の初恋である。これはもう性質が悪い病のようなもので、盆明けにもかかわらずあの世へ帰らず居座わり続けた。そうして、夜な夜な仙次の枕許に現れ、見惚れるのだった。あの世の者に見続けられれば、次第に精気が失せるとしたものだ。さすがに、婆さんだから牡丹灯籠のようなことにはならなかったが、あの世の方では、ややこしい話になっていた。帰りが遅い婆さんを待っていたのは、これも数年前に九十の卒寿で亡くなった連れ合いの爺さん、瓢助だ。瓢助は先にあの世へ戻ったことを悔やみ、痺れを切らしてこの世へ取って返した。すると、婆さんがそういうことになっているではないか。知った爺さんは怒りも忘れ、呆れ果てた。その爺さんが仙次の枕許に座る婆さんを睨みつけていると、そこへ女房のお里が現れた。悪いことに爺さんはお里に一目惚れをしてしまった。で、お里も病で寝込む羽目となり…。これが流行り病なのである。今でいうところの流行性感冒の風邪というやつだ。恋患いは広がるのである。
完




