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64]幻影(げんえい)

 ムッとする暑気が去り、これでようやく…と、検察官の長谷はせ正也は安息の溜息ためいきらした。だが世の中、そうは単純に出来てはいない。問屋はそう簡単にはおろしてくれないのだ。その後も残暑は容赦ようしゃなく長谷をめたてた。暑気には滅法弱い長谷にとっては、被疑者を取り調べているより自分が取り調べられているような心境になる夏の酷暑だった。

「長谷さん、どうされました?」

 ウトウトして長谷の身体がデスクへ崩れそうになったとき、検察事務官の藤谷美玖が声を大にして呼んだ。その声に長谷はハッ! と目を見開いた。

「んっ? そんな訳がない…」

 なにがそんな訳がないのよ? という女性特有の表情で、美玖は黒ぶちの美人眼鏡を手指で正し、長谷をうかがった。だが、長谷には訳があった。ウトウトとしたとき、わずか数分の間に長谷は見るはずがない幻影げんえいを見たのである。美玖が座るデスクの上に、昔、童話で読んだ小柄こがらな座敷わらしのようなわらべ胡坐あぐらをかいて座っていたのだ。美玖は童にまったく気づく様子もなく、机上の書類に目を通している。それが長谷には不思議でならなかった。声を出そうとするのだが、幻影のせいか声が出ない。そして、そのまま数分が過ぎ、美玖が声を大にして長谷を呼んだという訳だ。

「疲れてらっしゃるんじゃないですか? よろしければ、お昼、ご一緒にどうです? いい店ありますよ」

 快活な声で美玖は長谷を誘った。藤谷が私を誘った…見た幻影の童よりそのことの方が長谷には有り得ない幻影に思えた。

「ああ、いいね。じゃあ、そうさせてもらうかっ!」

 昼どきになり、二人が検察官室から出たとき、童は長谷の椅子に座りながら、指でVサインを作ってニンマリと(わら)った。


                   完

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