50]蠢(うごめ)く舟
映画用に製作された、とあるオープン・セットの現場である。スタッフが準備した舟が係留されている舟着き場でのシーンが撮られていた。主役の遠藤は好物の豆を頬張りながら、出番を床几風の椅子に腰かけて待っていた。因みに、遠藤が食っていた豆は遠藤豆ではない。^^
「先生、もうしばらくお待ち下さい!」
スタッフの一人が飛び出てきて、平謝りに謝った。大物俳優だけに遠藤は賓客扱いされ、特別だった。
「どうしたの? 昼から予定が入っとるらしいんだが…」
遠藤はマネージャーをチラ見して睨みながら、スタッフに、すぐ笑顔を向けた。
「はあ、それが、先生が乗られるご予定の舟が、どうも水漏れするようでして…。今、確認をさせております」
「ははは…水漏れは困るな。セリフのいいところで沈まれちゃかなわん」
声で笑ってはいるが、遠藤の顔は引き攣っていた。そんなことくらい事前に確認しとけっ! とでも言いたそうな顔つきで、遠藤は口へ豆を放り込んだ。
その後、急場しのぎの舟修理が終わり、撮影は約半時間後に再開された。遠藤はスタッフに「大丈夫だろうね?!」と諄く念を押し、舟に乗り込んだ。カチンコが入り、カメラが回り出すと、さすがに大物俳優である。遠藤は撮影前までとは完璧な別人へと豹変し、役の人物に成りきったのだった。
ところがである。いい絡みもあり、シーンが佳境に入ったそのとき、艫綱が理由なく解け、舟が急に動き出したのである。
「カット! カット!!」
監督が怒って叫んだ。当然、主演の遠藤も怒り心頭に発す・・である。自分の出番は今まで一発OKが業界では暗黙の了解事項だったから、それも頷けた。
「あの…先生、今日は帰らせていただくと仰せなのですが…」
「そこを、なんとか…。もう一度だけ、よろしくお願いしますと…」
監督は遠藤のマネージャーに両手を合わせ、懇願するように言った。マネージャーがそれを伝え、遠藤は渋々(しぶしぶ)、了解した。
「特別に一度、だけですよっ!」
遠藤は態々(わざわざ)、カメラ前まで歩き、口へ豆を放り込みながら監督にダメダシをした。
「はあ、それはもう…。よろしくお願いいたします」
どちらが監督なのか分からなかった。撮影が再開され、シーンは順調に進んでいった。が、しかしである。シーン終了の直前、またしても艫綱が解け、舟が急に動き出したのである。いや、誰の目にも、舟が蠢いている・・としか、もはや映らなかった。
「カット! カット!!」
「もう、いい…も~~~う、いい!」
怒りのあまり、遠藤は舟の上で立ち上がった。その結果は明白である。蠢く舟はバランスを崩し左右に大きく揺れだした。遠藤は堪らず水面へザブーン! と落ちた。そして、ブクブク…とそのまま引きづり込まれるように水中へ・・ということはなく、助け上げられたが、風邪を引いて寝込む破目にはなった。遠藤は翌日、役を降りる旨の電話をマネージャーにかけさせた。
その後、どういう訳か、そのシーンを代がえ俳優が演じると、舟はさ迷わなくなった。
真相を語れば笑うだろうが、実は、…遠藤が豆を食い過ぎたのが原因だった。妖怪舟蠢きは豆を食らいたくなり、遠藤に嫌がらせをした・・というのだ。この事実も私が舟蠢きから直接、聞いた話なのだから疑う余地はない。
完




