38]恐怖のストップ・モーション
地下鉄への道を歩んでいた通勤途上の川津は、今朝も渋面で空を眺めた。この一瞬、川津の足は停止しており、手はポケットのハンカチを弄っていた。さらにその手は額と首筋へ動き、汗を拭った。この一連の所作は、通勤途上の同じ場所で、ほぼ同時刻に決めごとのように繰り返されていた。その場所は地下鉄通路に下る入口階段の手前で、ようやく日差しが避けられる、少し気分が安まる場所だった。その場所で止まらないと何かが起こる・・というある種の自己暗示的な恐怖心もあったせいか、川津は通勤する日には必ずそうした。
この日も朝から暑気が出ていた。ああ、今日もか…という目線をギラギラと照り始めた太陽に向け、川津はそう思った。それは、いつもの停止場所だった。当然、汗 掻きの川津の手はポケットを弄り、額と首筋を拭いた。さて、行くか…と川津が一歩前へ足を踏み出そうとしたときだった。足がストップ・モーションのように動かなくなった。川津の意思は、歩こうとしていた。だが、足は動かなかった。それどころか、手、足、腰と身体のすべてが氷結したように動かなくなっていた。妙なことに、暑気は感じなくなり、少し肌寒ささえ覚える川津だった。辺りを通行する人の動きはいつもどおりで、川津が立ち止っていることなど無視するかのように、雑然と動いていた。川津は必死に足を動かそうとした。恰もその姿はリハビリ途中の患者が必死に足を動かそうとする姿に酷似していた。次第に川津は焦り始めた。誰でもいいから通行者に救いを求めるか…とも思った。と、そのときだった。一人の男が冷や汗を掻いて必死になっている川津に気づいた。
「ああ、お宅もストップ・モーションですか。私も以前、ここで、そうなりました。ははは…大丈夫! もうそろそろ…。それじゃ!」
意味深に言うと、その男は地下鉄入口階段を下りていった。川津の身体は、その男が言ったとおり、数分後、嘘のように元へと戻った。その日以降、川津はその位置で意識的に止まらないことにした。そしてそれは、今日も続いている。そんな訳でもないのだろうが、川津は冬でも氷を寒がりもせず食べ、皆に笑われている。
完




