32]猫おむすび
鏑木は、茹だった夏の一日、ぐったりとフロアに寝込んでいた。ふと横を見ると、飼い猫のタマが同じようにぐったりとフロアに寝込み、うざったい目線で鏑木を見た。目と目が合った瞬間、鏑木は、そうだっ! と、フロアから飛び起きた。今日は、おむすびを作っていなかったのである。鏑木は、おむすびさえあれば他は何もいらない男だった。まあ、欲をいえば、香のものの沢庵が二切れでもあれば申し分ないのだが…と鏑木はいつも思っていた。
クーラーを入れ、鏑木はキッチンへ向かった。タマがのっそりと鏑木のあとをついてきた。
『もう、作ってありますよ…』
「えっ!」
急に聞こえた人の声に、ギクッ! とし、鏑木は辺りを見回した。だが、誰もいなかった。家族は親戚へ盆休みで帰郷しているから、今、家にいるのは出張で早めにUターンした鏑木だけのはずだった。んっな馬鹿な話はないよな、空耳か…と鏑木はニンマリとしながら、ふと見た。キッチン・テーブルの上には出来上がったおむすびの乗った小皿があった。
『今、言ったとおりです。作っておきました』
鏑木は、ふと足下を見た。タマが鏑木を見上げていた。鏑木はふたたび、んっな馬鹿な話はないよな・・・と思った。
『私ですよ!』
「ええ~~~っ!」
鏑木は驚きのあまり、フロアへ崩れるように腰を下ろしていた。
『まあまあ、ご主人。そう、驚かれず…』
今、俺は猫に慰められている…そう思った途端、急に眠気が襲い、鏑木は気が遠くなっていった。
しばらくして鏑木が目覚めると、タマはフロアの上で背を上下しながら爆睡していた。クーラーが効いたせいか、キッチンは適温になっていた。夢でも見たか…と鏑木は思いながらフロアから立ち上がった。キッチン・テーブルの上に出来上がったおむすびの乗った小皿が、やはり存在した。鏑木は一つを手にすると、ガブリ! と齧った。今までに食べたことがない美味い味がした。
完




