2] 姥窪塚(うばくぼづか)の怪
そう、わしが聞いたところによれば、今から三百年ばかり前にあった話じゃそうな。まあ、話してくれと言われれば、話さんこともないがのう。今、思い出しても怖ろしい話じゃて…。わしも祟られては困まるでのう、手短かに話すとしよう。手間賃は多めに包んでいただくと有り難いが…。まあこれは、わしの独りごとじゃて、ほほほ…忘れてもらおうかのう。
時は江戸時代 半ばの頃、お前さんらも知っておろうが、ここから三里ばかり離れた姥窪塚を一人のお武家が通りかかった。名は樋坂源之丞とか言ったそうな。姥窪塚の道伝いには一軒の茶店があってのう、名物の煎餅が美味い茶とともに知られておった。その煎餅は今も売られておるから、お前さんらも分かるじゃろう。でのう、その樋坂というお武家が、その煎餅をひと口、齧った途端、不思議なことに、全天俄かにかき曇り、どしゃ降りの雨となったそうな。
「これは、お武家さま。とてもお旅はご無理でございましょう。しばらく小降りになるまで、お待ちなされませ」
店の主は、そう樋坂に勧めたんじゃ。
「そうさせていただくか…」
店の軒まで出てどしゃ降りの雨を見ながら、樋坂はそう言ってふたたび床几に腰を下ろした。そのときじゃった。一人の白無垢を着た娘がのう、濡れもせんで、不意に店へ現れたそうな。樋坂は驚いた。
「驚き召されまするな。私は、あなたさまをずっと、お待ち申しておりました」
娘はそう申したそうな。樋坂にすれば、一面識もない娘じゃ。面食らったのは申すまでもない。
「何かの思い違いではござらぬか?」
樋坂は娘に言い返した。
「いいえ…私は」
娘がそこまで言いかけたときじゃった。
「いかがなされました?」
話し声がしたからか、主が暖簾を潜り、奥から顔を出したんじゃ。
「この娘ごが…」
と樋坂が言いかけたとき、不思議なことに娘の姿は消えていたそうな。
「あの…誰もおりませぬが?」
店の主は、はて? と訝しそうな眼差しで樋坂の顔を見た。
「ご貴殿も、声は聞かれたでござろう?」
樋坂は同意を求めた。
「へえ、それはもう。なにかお話の声が…」
「で、ござろう。白無垢の娘ごが不意に現れましてな」
「それはっ!」
思うところがあったのか、店の主は俄かに顔面蒼白となり、震えだした。
「如何された?」
「それは姥煎餅という妖怪でございます。姿こそ美しい娘でござりますが、実は見染めた男を窪塚へと引き込もうとする怖ろしい妖怪でございます」
「そうであったか…。これは危ういところでござった、忝い」
「いえいえ。この旅先、お気をつけられませ…」
「なにか、よい手立ては、ないかのう?」
「ああ、それはござります! 『煎餅固いぞ、煎餅嫌いじゃ!』と申されませ。効果は、あろうかと…」
「では、そうすると致そう」
雨はやみ、樋坂は茶店を去った。歩く道中、樋坂は『煎餅固いぞ、煎餅嫌いじゃ!』と言いながら、煎餅を齧って歩いたそうな。…そんな、どうでもいい怖い話じゃ。
完




