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1]爪楊枝(つまようじ)物語

 今日お話しするのは、爪楊枝つまようじの一つの怪奇な物語である。

 学生街の大衆食堂、海老えび屋である。久々に学生時代を思い出そうと寄った平坂牧夫は、丼ものを食べ終え、若い頃はこんなことはなかった…と思いながら、シーハーシーハーと口の歯にはさまった食べカスを爪楊枝で、ほじいていた。そんなときだった。急に、聞きなれない声が平坂の耳元に小さく届いた。

旦那だんな、お疲れですかい?』

 平坂は、おやっ? 誰の声だ? と、辺りを見回した。客は他に学生が数人いたが、誰も食べているだけで、平坂に話しかけた形跡がない。空耳そらみみか? とも思ったが、それにしても自分の耳に、はっきり聞こえたのだから、平坂は幾らか薄気味悪くなった。それでもまあ、あたりに変わった様子もなく、また歯をしばらく、ほじいて店を出ようと、平坂は爪楊枝を灰皿へ捨てた。

『旦那、…それは、ちとれないんじゃ、ありませんか』

 また声が平坂の耳に響いた。平坂はこのとき、初めてゾォ~~っとする肌寒さを実感した。攣れないことを俺がしたのか…と、平坂がテーブルを見れば、今、灰皿に捨てた爪楊枝が目にとまった。平坂は捨てた爪楊枝を、ふたたび手にした。

『そうそう…』

 手にした指先の爪楊枝が、平坂にはかすかに響く感覚がした。平坂は、これか? とギクリ! としたが、しかしまあ、まさかな…とも思えた。一分ばかり経ったが、爪楊枝は何も言わない。ははは…そりゃそうだろう・・と、平坂は気を取り直した。さて…と考えたが、いつまでも食べ終えた店にこのままいる訳にもいかない。平坂は爪楊枝をポケットへ入れて立つと、レジで勘定を済ませ店を出た。

 店を出てしばらく平坂が歩いたときだった。突然、ポケットから声がした。

『すみませんね。こう見えて、私は山に住む精霊の一番、下っ端のしもべなんでございますよ。何の因果か、爪楊枝にされちまいましてねえ…』

 爪楊枝の声はにわかに涙声になった。平坂はすでに恐怖心が先走っていたが、一応、声の内容を理解して聞けた。

「なんで私に?」

 平坂は、いつの間にか語っていた。

『偶然、旦那が私めを使われたんでございますよ。お使いになられた方に、声をかけなけりゃ、誰にかけるんだ? ということでございます。この声は、旦那以外には聞こえちゃいませんから、安心なすって下さいまし』

 安心も何もあるものか…と思いながら、平坂は歩き続けた。いつの間にか、恐怖心は遠退とおのいていた。

 往来へ入ると、人の姿がにわかに増えだした。さして、平坂にはコレといった目的もなく、休日をブラつこうと思っていただけだったから、時間はたっぷりとあった。平坂は思い切って口を開いた。

「それで、私になにか?」

『いや、なに…。これといって旦那に頼みごとがある訳じゃないんですがね』

「それなら、おとなしく捨てられたままで、よかったじゃないですか?」

 平坂は、たかが爪楊枝相手に…と思えたものだから、上から目線で不満たらしく強がった。

『まあまあ、そう言わず聞いて下さいまし。捨てられる前に、私にも一つだけ心残りがあったんでございますよ』

「ほう、それは?」

『お山が荒れましてね。このまま見捨てちゃおけないと…』

「なるほど!」

 道を歩いてれ違う通行人が、ブツブツ言いながら歩く平坂を振り返り、いぶかしげに首をひねった。まあ、誰の目にも、ひとり語る平坂の姿は尋常には映らなかったのだろうが…。

『旦那に、とやこう言っても、ご迷惑でございましょうが、まあ、お気が向かれたなら、ひとつご助力を…』

 平坂はそれを聞き、ギクリ! とした。平坂は元農水省の中枢、大臣官房の次官だったのである。

「ははは…今の私には、なんの力もありませんがね。心に留め置きます。で、どのお山の?」

『よくぞ、聞いて下すった。ほん近くの、ほら、あそこに見える小高い…』

 その山は学生時代、平坂がよく登った山だった。

 数年後、どういう訳か、爪楊枝が告げた山の間伐が始まった。そして、その間伐が終わって間なしに、差出人も書かれず消印もないお礼の封書が平坂の家へ投函された。誰が投函したかも分からないその封書の表には[お礼]とだけ泥字でしるされ、中には、書くために使われたと思われる一本の爪楊枝が入っていた。その後、平坂家には吉事が続いたという。


                    完


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