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ぼくの名前は、たちばな あきらです。
ぼくは小さいころからなき虫で、大きくなってもなき虫のままです。
お兄ちゃんとケンカしたときも、となりの家のけんちゃんに女の子みたいだとからかわれたときも、いつもぼくはないてしまいます。
お父さんもお母さんも、ないてばかりではいけないと、ぼくをおこります。その時の2人の顔がとてもこわくて、ぼくはもっとないてしまいます。
だけど、今はなかないようにがんばっています。お姉ちゃんとやくそくしたからです。
ぼくには、だいすきなお姉ちゃんがいます。本当のお姉ちゃんじゃなくて、むかいの家にすんでいるお姉ちゃんです。
お姉ちゃんはないてばかりのぼくに、みんなみたいにおこったりしません。だけど、ぼくがなき止むまで、いつもそばにいてくれます。
『お姉ちゃんっ…ないてばっかりで、ぼくのこときらいにならない…?』
『ははっ…なるはずないだろう。泣きたい時は泣けばいい。大事なのは、ここぞという時に泣かないことだ。わかるか?』
お姉ちゃんは、ぼくの頭をやさしくなでながら言いました。
『わかんないっ…。ぼく、すぐないちゃうから、むりだよ」
今だってしくしくとないているぼくに、そんなことできるわけありません。
『ふぇ…なんで、ないちゃだめなの…?』
『ふむ、そうだな。泣くことは別に悪いことでも、恥ずかしいことでもない』
『うん…』
『しかし、泣いてしまったら、涙で前が見えなくなるだろう?』
『……?』
ぼくは、目をあけて、お姉ちゃんの顔を見ようとしました。でも、お姉ちゃんがどんな顔をしているのか、ないているぼくにはわかりません。
『うんっ…見えない…』
お姉ちゃんの言ってたことがわかって、ぼくは首をたてにふりました。
『そうだろう?家族の顔も友達の顔も見えないし、私の顔だって見えなくなってしまう』
『……!』
それはいやです。みんなの顔が見えなかったら、ぼくはさみしくてかなしいです。
『それだけじゃない。前が見えないと、身動きが取れなくなるんだ。進むことも戻ることもできない』
『……?』
『いざという時に何もできなくなってしまうんだ』
『…いざという時って?』
『そうだな…決して逃げ出してはいけない状況のことだ。例えば、負けられない相手に立ち向かう時や、自分にとって大切な人を守る時だな』
『立ちむかう…まもる…』
ぼくにはちょっとむずかしくて、よくわからなかったけど、ないていてはだめだということだけはわかります。
『…できるか?』
お姉ちゃんの声はとてもやさしいです。だけど、なみだで顔が見えないと、いつもよりうれしい気もちが半分になってしまいます。
お姉ちゃんの顔が見たくて、ぼくは一生けんめい、なみだをふきました。
『ぼく、がんばる…』
『そうか』
『うんっ』
『…やればできる子だからな。泣かないで頑張るんだぞ?約束だ』
ぜったいになかないというやくそくはできなかったけど、なかないようにがんばるとぼくはお姉ちゃんとやくそくしました。
「おい、ガキ!」
「なに邪魔してくれてんだ?あ?」
「……っ」
だからこのこわい人たちから、ぼくはにげてはだめなんです。ないてはだめなんです。
この小さな犬をぼくはまもらないといけません。それができるのは、きっと今ここにいるぼくだけです。
これが、お姉ちゃんの言っていた、いざという時なんだと思います。だから、なかないでがんばります。ぼくはお姉ちゃんとのやくそくをまもりたいです。
「…さっさとその犬離せよ。お前も殴られてぇのか?」
「そうそう。痛いのは嫌だろ?」
ぼくは、うでの中にいる子犬を、かくすようにだきしめました。
子犬はたくさんけがをしていました。この人たちにいっぱいなぐられたり、けられたりしたからです。
「…あ?聞こえてんのか?」
「黙ってねぇでなんとか言ってみろよ」
「……っ」
なぐられるのも、けられるのもいやです。いたいことなんてされたくありません。
だけどそれは、きっとぼくだけじゃなくて、この子犬だっていっしょです。
だから、おいて行くことなんてできません。そんなことをするほうが、もっといやです。
ぼくはみんなが言うようになき虫です。だけど、この子犬を見すててしまえば、ぼくはなき虫なだけじゃなく、弱虫にもなってしまいます。
それはなくのをがまんできないことよりも、とてもわるいことだと思います。そんなことをしたら、ぼくはきっと本当の弱虫になってしまいます。
だけど、やっぱりこわくて、ぼくはただじっとしていることしかできません。
「へー。離す気はねぇんだな」
「あーもうなんか面倒だから、こいつも一緒に可愛がればいいだろ?」
「それもそうだな…。忠告してやったのに無視したのはこいつだし」
その人たちの手がのびてくるのがわかって、ぼくはぎゅっと目をとじて、子犬だけでもまもれるように体を丸めました。
「……っ」
ぼくはやくそくをまもってないていません。だけど、こわくてこわくて、心の中でお姉ちゃんにたすけをもとめました。
すると、さっきまでかんじなかったはずの風が、きゅうに頭の上をふいたようにかんじて、ぼくはゆっくりと顔を上げました。
「……?」
ぼくの目の前に立っていたのは、さっきまでのこわい人たちではありません。そこにいたのは、かっこいいけど、ちょっとだけこわそうな男の人でした。
お姉ちゃんといっしょぐらいの年に見えるその人は、なぜか地めんにたおれている、こわい人たちのせなかをふんづけていました。
「…動物ってのはな、愛でるもんであって、殴るためのもんなんかじゃねぇんだよ。動物虐待って言葉も知らねぇのか?」
「うっ…」
「や、やめ」
「あ?知らねぇんだよな?知ってたらこんなことするはずねぇもんな?そういうやつらはいっぺん、動物愛護の精神ってのを養ってこい」
その人は話しながらも、くつでずっとこわい人たちのせなかをぐりぐりしています。
それから、たおれている人たちをそのままにして、その人はこっちのほうに歩いてきました。
そして、ぼくのうでの中にいる子犬の、きずがいっぱいの体を見て、とてもかなしそうな顔をしました。
「ありえねぇ…」
その人はそう言って、こわい人たちのほうへもどって行き、その人たちの顔を力いっぱいなぐりました。
「……!」
ぼくはびっくりしたのと、いたそうなのとで、思わず目をとじてしまいました。
「…どうだ、痛いか?」
「おま、なにすんだっ…」
「くっ…!」
「こんなんじゃ全然足りねぇけど、少しはあの犬の気持ちがわかったか?これがお前らがあの犬にやってたことだ。試しに、お前らの真似してみたけど、全然楽しくねぇな」
その人はとてもおこっているようです。