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「…んで、お前は誰だよ」
私を離すことなく史狼は、私たち以外にもこの場にいる人物に向かって言った。
「あー…彼は……」
「悠は少し黙ってて」
「うっ…」
説明をしようと口を開いた途端、史狼にきつく止められてしまう。
心なしか、史狼の声が強張っているように聞こえ、不満に思いながらも口を閉じた。
「噂通りにおっかないやつだな、あんた」
「はっ…んなことは聞いてねぇんだよ。悠に何の用だ」
後ろから抱き締められているため、史狼の顔を確認することはできない。しかし、怒っていることは口調からもわかる。
「別にあんたには関係ないだろ?」
「は?関係あるに決まってんだろーが」
彼は面倒くさそうに「…もう俺、帰るから」と、私に視線を向けて言うと、背を向けて歩き出す。
「おい、待てよ…!」
出て行こうとする彼に、史狼は納得が行かないようで、彼を追うために、私を腕の中から一旦解放する。
「……!悠…?」
しかし、咄嗟に私は、離れていこうとする腕を掴み、そんな史狼を引きとめた。
「…史狼」
そして言い聞かせるように彼の名前を呼び、首を横に振って、行くなと伝える。
「けど…!」
史狼は私と彼の間で視線を何度も行き来させる。まだ迷っている様子の史狼を見て、私は史狼の胸に飛び付いた。
「いいから、行くな…」
「……っ」
そうすることで、やっと史狼は彼を追うことを諦めたようだ。「はあ…」と溜め息をつきながら、私の背中へと腕を回し、隙間がなくなるまで体を密着させた。
「…葉山さんがあんたのこと、何にも思ってなかったら、俺も同じ位置に置いてもらうつもりだったんだよね」
彼は私たちの様子を、興味深そうに眺めながら静かにそう言った。
「……!」
史狼は驚いたように、顔だけで後ろを振り返る。
「お前…悠のことっ…!」
「好きだけど?あんただってそうだろ?だから今の位置で我慢してる」
「……っ」
「まあ、俺は振られたも同然だし、あんたのことをどうこう言うつもりはないよ」
彼の姿を見ることのできない私は、彼と史狼の会話にただ耳を傾けた。
「…けど、俺はあんたが羨ましい。何でかわかるか?」
「……」
史狼は、彼の質問に答えることなく、抱き締める力をもっと強くした。
「葉山さんのした顔だよ。あんたのことを話す顔、あんたのことを思い出して笑う顔が、同じなんだ」
「同じ…?」
「…そう。愛犬のことを話す時のあの顔と、全く同じ」
「なっ…! 」
史狼は信じられないというように、彼の発言に息を呑んだ。
「…嬉しくて、楽しくて仕方ないって、幸せそうな顔。そんな顔をさせることができるあんだが、俺は心底羨ましくて、心底憎らしくて堪らない」
「……っ!」
彼はそう言い終えると、それ以上は何も言わず、教室を出て行ってしまった。
しばらくの間、沈黙が続いた後、先にそれを破ったのは私だった。
「なあ、史狼…」
「ん…?」
「…すごいことがわかったんだ」
「…?すごいこと…?」
「ああ…」
私の急な話に、史狼は何がなんだかわかっていないようで、不思議そうに言葉を繰り返す。
私は史狼の首へ腕を回し、耳元に顔を寄せて言った。
「…どうやら私は、史狼のことが好きらしい」
一瞬だけ、びくっとなった反応からして、私の言葉は彼にしっかりと届いたようだ。私は満足気に、史狼の胸に頬を擦り寄せた。
「そ、それは…犬っていうか、ペットとしてだろ…?」
まあ、そう思われても仕方ないが、上手く気持ちが伝わらないことが、とてももどかしい。
私は首から腕を離して、今度は両手で顔を包み込んだ。身長差を埋めるよう、一生懸命背伸びをし、ゆっくりと顔を近付ける。
お互いの鼻がくっつきそうになるまで、私はじっと史狼を見つめた。
そして、その距離がゼロになる瞬間、静かに目を閉じて唇を重ねた。
「……!?」
何が起きたのかわからず、ただ驚いたように目を見開く姿は、実に可愛い。
「…人間同士の場合、こうやって愛情を確かめ合うんだろう?」
「……っ!」
いつも史狼がじゃれついてくるものとは違う。好きという気持ちを伝えるために、初めて私から史狼に触れたのだ。
私は手を離して、姿勢を正すと、史狼と向かい合った。
「…藤城 史狼くん」
そして、一度深呼吸をし、彼の名前を呼ぶ。
「私は君のことが好きだ。これからもずっと一緒にいたいと思っている。だから私と付き合ってほしい」
告白なんてしたことがない。相手の胸を打つような台詞なんて思い浮かばない。だからこそ、私は今思っていることをそのまま言葉にした。
今度こそ伝わってくれるはずの期待感から、私は溢れる気持ちを押さえきれず、ついつい口許を緩めてしまう。
「…は?えっ?なっ…!う、嘘だろ…!?」
さっきまで固まっていたのが嘘のように、史狼は顔を真っ赤にさせて慌てふためく。その様子は、まるで数分前の私のようだ。
私の発言を聞いて、史狼はやっと完全に理解したのか、今にも泣き出してしまいそうな顔で笑った。
「悠…!」
そして、潰れてしまうのではないかと心配になるほど、とても力強く私を抱き締めた。
付き合うことにどんな意味があるのかはわからない。けれど、史狼の喜びようからして、きっと私の選択は間違っていないはずだ。
私はなんだか嬉しくて、堪えきれずに笑い出してしまう。
「ふふっ…。好きならば、お付き合いを申し込むのがセオリーなんだろう?」
「まあ…間違ってないけど、普通は告白する前にキスはしないな」
「……!」
そんな規則があったのか!つまり、私はその順番を無視してしまったことになる。
「私は知らないうちに、ルール違反を犯していたのか…」
「いや、そこまで重く考えるなって。俺は嬉しかったし」
「本当か?」
「ああ。大切なのは順番じゃなくて、嬉しいかどうかだから気にするな」
落ち込む私を励ますように、史狼はそう言って笑った。
「あっ!それよりも、まだ史狼からの返事をもらってないぞ?」
「ああ…。すっかり忘れてたな」
「なっ…!忘れるとは酷いなやつだ…。そ、それでどうなんだ?」
真剣な顔で見つめる私に向かって、史狼はとても柔らかい目付きで微笑んだ。
そして、史狼が囁いた承諾の返事と私への愛の言葉に、私は顔を赤らめながらも、その幸せを噛み締めたのだった。
《End》