聖夜、君を想う
『ごめん、もう会わない』
届いたメールに、私は立ち尽くす。
恋人たちがこぞってデートを楽しむ聖夜――クリスマスイブ。
彼にもらった暖色のマフラーを首に巻いて、私は何時間と彼を待っていた。
空から落ちるようにふっている粉雪が画面に触れ、しずくに変わる。冷たい風に、マフラーが揺れた。
待ち合わせ時間から何時間か経って送られてきたそれを見て、私はゆっくりと唇をかみしめた。
ふわりと粉雪がマフラーにのる。頬にも、手にも、優しく触れた。
空はどんよりと曇っていて、冷たい。
泣き出しそうな空を見た私が、ぼんやりとショウウィンドウに映る。
眉を下げただけのあまりに無感動な顔に、気付く。
本当は、彼がここに来ないことは分かってたんでしょ? けれど、ほんのすこしだけ期待してたんだ。
彼はいつも優しいから、私のことを愛していてくれると勘違いしていた。
他に好きな人がいるだなんて、そんなの嘘。本当は、私を驚かそうとしてるんでしょ?
言い聞かせるように呟いた一人ぼっちのあの夜。あの日も、私は待ちぼうけ。
それからだんだんと合う数が減っていって、彼に違う香水の香りがして。態度が、可笑しく思えて。
理由すら気づけないような、鈍感な娘だったら彼に愛されてたの?
ばかばかしい、でも本心の言葉を飲み込む。
胸が張り裂けそうだ。息が苦しくて、いっそ眠ってしまいたい。
全て、悪夢だったらいいのに。目を覚ましたら彼が優しく笑ってくれる。あたたかい部屋で、綺麗に笑ってくれるんだ。
けれど、優しく冷たい雪が現実ということを痛いほど教えてくれた。
彼は、来ない。この先彼とは一生会えない――
現実を、ゆっくりと飲み込む。けれど納得がいかなくて、携帯の電源を落とた。
そしてぱちんと音を立てて閉じると、私はふらりと歩きだした。
**
からんからんと軽く高い音。
あの凍えるほど寒い待ち合わせ場所から数分。こじんまりとした喫茶店へ私は入った。
いらっしゃいませえと少し舌足らずの声を遠くで聞きながら店のずっと奥の席へむかう。
清潔感漂うこの喫茶店は、彼が好きだと言って教えてくれた場所だった。
お世辞にも広いとは言えないけれど、紅茶もケーキも美味しい。従業員さんも優しくて、彼は穴場なんだと言って笑いかけてくれた。
ちらほらと恋人たちのいるカウンター席。今日も、人は少なかった。
ほっとしてカウンター席から離れた席に座る。とったマフラーは、冷たくなっていた。
「ご注文はお決まりですか?」
にこりと優しくほほ笑まれ、私は彼が頼んでいた紅茶とシフォンケーキを頼む。
前回と同じ従業員で、目は合わせられなかった。けれどその人は気にせず優しく笑いかけてくれた。
その笑い方が彼と似ていて、また、胸が痛んだ。
ゆっくりとしたクラシック音楽が店内で流れている。
少し感傷的な気分で、すぐに運ばれてきたカップに口付けた。
あたたかい紅茶はほんのりと甘い。口の中に広がると、じわりと目元が熱くなった。
ふと、窓に映っていたすましたような自分の顔がくしゃりと歪んだ。
――自分勝手に想像して、傷付いたような顔をして。本当は、分かってたくせに。
ちびりちびりと紅茶を飲むと心が落ちつくきがした。
だから、そっと箱を開ける思いで彼とのことを思い出した。
大学で出会った彼は気さくな人で、人気者だった。少しずつ惹かれていた私はそんな彼に告白されて、一も二もなく頷いた。
付き合いだした私たちはいつでも一緒というわけではなかった。
けれど、一緒に居ると楽しいと言ってくれる彼が愛しくて、そのままの関係を好んでいた。
三年になって、四年になって――就職が決まって。
きっと、そのままでいたのが悪かったのだ。
彼は私に好きだと言ってくれた。けれど、私は曖昧な答えしか返さなかった。
面と向かって、私は好きだと言わなかった。
きっと傷つけていたのは、私のほうだったんだ。
ごめんねと、私はちいさくつぶやく。ひくりと、嗚咽をおさえて泣いた。
あたたかな店内の温度が優しく思えて、痛かった。思い出される彼との記憶が愛しくて、苦しかった。
そして私は柔らかいシフォンケーキにフォークをさし、その味をかみしめた。
まだ、涙は止まらない。
けれど、少しだけ泣けば彼がいた日々を哀しいものではなく愛しいものと思える気がした。
大切な思い出として、残せる気がした。
マフラーも、喫茶店も、なにもかも。
「好きよ……優しく笑う貴方のこと。大好きだったのよ」
窓の外では雪がゆっくりとまるで舞うかのようにふっている。
そしてこの恋は、終わりを告げた。
『願わくば、あなたが幸せになりますように。私に新しい恋が訪れますように』
クリスマスイブに願ったその思いを、私は一生忘れない。