13話 月明かりの下で
「いやぁぁぁぁぁ!!!」
目の前には少女の恐怖に歪んだ顔があった。その目線は私を捉えて離さない。ほんのついさっきまで楽しそうに笑っていた少女、しかし今は私を見て怯えていた。さっきまでとはうってかわったその態度を見て私は自分の姿を見下ろす。返り血に塗れた姿は確かに見ていて見苦しいものがあるけど、それしか感じなかった。私は今さっき3人の男を殺した。けれどそれに対して私は何も感じなかった。しかし少女は違ったようだ。私を、人を殺した私を見て怯えている。
何も感じない私の心が麻痺しているのか……少女が生きてきた世界が優しかったのか。それともその両方か。一つだけ言えるのは――私はもう少女の生きる世界では生きられないという事。優しい世界で生きるには、私はもう血で汚れすぎている。
改めて、私は城にいた頃の自分と変わった事を思い知った。少女は昔の私なんだ。人を殺す事を知らない、人が死ぬ姿を知らない。傷つく事、傷つけられる事の無い、優しい世界に守られていた私と……同じ。
目の前の少女がゆっくりと倒れていく。私は手を差し伸べる事もできない。穢れた私の手で触ってはいけない。少女はこのまま優しい世界に戻るべきなのだ。私のような堕ちた人間に関わってはいけない。けれど、それでも、私は……自然と叫んでいた。無意識に、ただ少女の名前を叫んでいた。
「カナデっ!」
そこで私は目を覚ました。
「夢……?」
厳密には夢じゃない、実際に起きて、感じた事。私がいかに変わってしまったのか、知らされた現実の出来事。
「重症ね……」
今はもう村を出て、森の中で野宿をしていた。静かな夜の森に、ひっそりと青い月の光だけが周囲を照らしている。
この辺りは大型の魔獣は出ないため、常に身に着けている簡易の魔除けだけで安全に眠れる事ができる。もっと危険な地域の場合は、結界を張る必要があるが、それには聖石と呼ばれる高価な石が必要で、しかも消耗品なのでおいそれと使用する事はできない。
危険が少ない場所、そのため周囲に気を張る必要は無い。しかし、だからこそ、余計な事を考えてしまう。
「……静かね」
なんの気なしにポツリと呟いた言葉、それは森の中へと消えていった。ほんの半日前なら、横には少女がいて、こんな気持ちになる事はなかった。けれど、これ以上少女と一緒にいる事には耐えられなかった。昔の自分と比べられるようで……今の惨めな自分を思い知らされるようで……私は逃げ出してしまった。
「大丈夫かな」
思い返すのは気を失った少女の事。置いてきてしまった自分が心配するのも変な話だけれど、少女の方もこれ以上私の傍にいるのは耐えられなかったと思う。だからこれでいいんだ、と、そう自分に言い聞かせる――何度も何度も自分に言い聞かせる。そして、今度こそいい夢を見られるようにと目蓋を閉じた。
(忘れなきゃ……)
そう、忘れなきゃいけない。少女、カナデとはもう会う事は無い。私の堕ちた人生に関わる事はない人種。関わらせてはいけない人種。優しい世界の住人。
(忘れなきゃ……)
何度も、何度もそう言い聞かせる。けれどそう思うたび、強く思い出してしまう。僅か数時間だけ一緒にいた少女。しかしその数時間で充分だった。彼女のずっと塞いでいた、閉じ込めていた気持ちを思い出させるには、充分過ぎる時間だった。
城を出て3年。最初の1年はただ生きるのに必死だった。2年目になって冒険者にも慣れてきた頃、ランクが上がれば騎士に任命される可能性があると知って、がむしゃらに依頼をこなしてきた。わき目も振らず、ろくに睡眠もとらず、ただひたすらにランクを上げてきた。そのお陰か、通常なら早くても5年はかかるといわれたランクCまで1年とちょっとで辿りついた。けれど3年目になってそれも止まってしまった。高ランクになってくると、こなせる依頼も少なくなってきたため、ランクを上げる事ができず、現状維持が続いていた。
そんな停滞している現状に嫌気が差してきた時に出会ったのがカナデだった。
この3年間、ずっと1人で、孤独に走り続けてきた。そんな時に現れた少女は、彼女の奥底に眠らせていた心を簡単に思い出せてしまった。恐らく少女からすれば、他愛のない会話だっただろう。別段面白い、身のある話をしたわけでもない。けれど3年間、ずっと一人でいた彼女からすれば、それは久しぶりに感じる触れ合いだった。
(…………)
閉じた目蓋から一筋の涙が流れる。彼女は気づいてしまった。この感情に。少女と一緒にいた事で、何の下心も感じない、純粋な少女と接した事で、思い出してしまった。
――さみしいという気持ちに。
城にいた頃も、淋しいと思う事はあった。母も父も、国の政務が忙しくて、なかなか会えず、小さい頃はよく泣いていた。けれどそんな時も、傍にはミリアリア、ほかにも侍女達がいてくれて、淋しさを紛らわしてくれた……けれど、今は1人。
(……さみしい)
思い出してしまったら、後はもう止まらなかった。ずっと閉じ込めてきた感情はもう抑える事はできない。3年間抑えてきた感情は、徐々に大きくなっていく。
(1人は……さみしいよ)
誰か傍にいてほしかった。隣にいてほしかった……一緒にいてほしかった……1人は嫌だった。
(……カナデ)
思い浮かんだのは、少女の事。この気持ちを思いだす原因となった少女……そしてもう……会うことのない少女。
(さみしいよ…………カナデ)
もう城にいた人たちと会う事はできない。私の家族は友人はみんな失ってしまった。けれど、あの少女は生きている。唯一、また会える可能性を持っている。
(会いたいよ……)
それは叶わぬ望みだと知りながら、彼女はゆっくりと眠りについた。その目蓋の裏側に涙を溜めながら、それでもこれ以上泣くまいと、気丈にも耐えながら……眠りについていった。