【SS】雨ちゃんは友達
「みなさんおはようございます。今朝はいいお知らせがあります」
先生の朝の挨拶から始まる一日、今日はいつもと違っていた。何が特別なのかみんな分かっていた。
「四月から入院でお休みしていた中村雨さんが今日から復帰します。みなさん拍手!」
ぱちぱちとみんな愛想よく拍手して、一学期の時は固定で空席だった窓際の後ろの席に座っていた一人のクラスメイトが控えめな様子で立ち上がる。
「じゃあ中村さん、一言どうぞ」
先生に促されその子がおずおずと挨拶する。
「みなさん、はじめまして。中村雨です。よろしくお願いします」
その子はそうしてお辞儀をした。照れているのか怯えているのか彼女はふるふると震えていた。
中村雨さんは不思議な子でちょっと私たちと違っていた。中村さんは肌が半透明でそう、まるで体が水でできているみたいだった。中村さんがお辞儀をした時、体が中村さんの動きに合わせて静かに波打った。
私たちは新学期の時に、みんなと少し違った女の子がクラスにいることを先生から聞かされていた。見た目はそうだけど中身は私たちとおんなじだってことも。そして彼女は少し体が弱くて入院中だけどその内クラスに戻って来ること、彼女のご両親は彼女がみんなと仲良くなることを望んでいることなんかを。
二学期になって予定通りに中村さんは私たちのクラスメイトになった。その日は彼女の名前の通りーー柔らかな霧雨が降っていた。
「雨ちゃんて、入院してたんだよね? 入院ってどんな感じ?」
休憩時間に早速、クラスの中心的な存在である女子が彼女に声をかけていた。中村さんはふるふる震えながら答えていた。
「何かわかんないこととかあったらうちらに聞いてくれればいいから」
中村さんは厳密には違うが、いつの時も転校生的な存在は私たちにとって未知から来た住人で、しばらく彼女は引っ張りだこになるであろうことが予想された。
「まーた委員長が出張ってるね」
「面倒見がいいって言うんだよ」
私は仲のいい三人組でそんな風に話していた。本当は私たちもちょっとは中村さんに興味がある。中村さんは見た目がミステリアスだから特に。でも私たちはごく普通のクラスメイトなので今人気者の中村さんには近づけなかった。
中村さんとはふとしたきっかけで仲良くなった。それは秋の運動会の練習をしていた時のことである。
朝に飲んだ牛乳が飲み過ぎだったのか、昼前の体育の授業の直前にお腹が痛くなって保健室に行った。保健室には意外とたくさんの人がいる。保健の先生は当たり前として、体調の悪い人の他に保健室登校をしている人や、理由は分からないけど特別な許可を得て保健室にいる人たちがいた。保健室にはベッドゾーンの他に大きなテーブルがあって、体調不良の人以外はそのテーブルを囲んで自習をしている。その中に中村さんがいた。目があって私はぺこりと頭を下げた。中村さんもすぐに私に気付いて同じように軽く目を伏せた。
私の腹痛はその頃ピークを過ぎていて、先生から軽く問診された後、みんなと自習をすることになった。座る場所を探して視線を巡らせると中村さんが端に寄って隣の席を開けてくれた。
「ありがとう」
「うん」
先生から計算プリントを受け取って自習を始めた。ちらりと隣の中村さんを見ると、中村さんは視線に気付いて少し笑ってくれた。その時ふと、私は中村さんと話すチャンスだと言うことに気付いて、消しゴムを取るフリをして筆箱の中から一番可愛い付箋紙を取り出した。そこにメッセージを書いて、ちょっと勇気を出して中村さんのプリントにサッと貼った。
「……!」
隣で驚いた気配がした。私はしらばっくれてプリントを解くフリを続けた。すると中村さんも手元を隠しながら何かを書いて、先生の見てないスキにこちらに付箋を貼り返した。
「中村さん!同じクラスの福本です。みんなにふくもんて呼ばれてます⭐︎私だけ体操服で恥ずいよ〜(;ω;)」
「ふくもんちゃんありがとう(^-^)話しかけてくれて嬉しい!一人体操服は確かに気まずいね笑」
私は嬉しさもあって思わず吹き出してしまった。
「こら、そこ。仲良しなのはいいけど学習しないなら席を離しますよ」
先生に言われて私たちは済みませんと慌てた。でもその時、私も中村さんも心の中ではおかしくて笑っていた。
その頃、私の仲良し三人組は二人組になっていた。一人転校してしまったのだ。私はもう一人に中村さんと保健室で話したことを言って、それからかつての流行が落ち着いて放課後一人で帰る準備をしていた中村さんに声をかけた。そうして私たちは新仲良し三人組になった。でも不思議と三人組はそのままに、一人はクラスの中心的グループとよく一緒にいるようになり、私と中村さんは二人で一緒にいることが多くなった。私たち家が近いことも分かってほとんど毎日一緒に下校するようになったせいもあった。
冬が終わり私たちはクラス替えを経て、本格的に二人組になった。一人とはクラスが分かれてしまったのだ。もう一人の子とは、隣のクラスだから体育は一緒だし、しょっちゅう遊びに行くねと約束をし合った。
五年生の新学期が始まってすぐに、県内の少年自然の家に二泊三日で、軽登山やレクリエーションを通じて新しいクラスメイトと親睦を深める為の校外学習がある。班の決め方はクラスによって違うが、私たちのクラスは机の並び順になり、私と中村さんーー雨ちゃんは偶然にも一緒の班になった。
「出席番号順じゃなくてよかったー! 机の並びだってクジだったんだから奇跡だよ!」
帰り道、私は大はしゃぎで雨ちゃんに言った。するとどうしてか雨ちゃんが元気のない様子でうつむいている。
「何かあったの? またクラスのバカ男子に変なこと言われた?」
クラス替えを経て、前のクラスにはいなかった男子の一部が雨ちゃんの見た目をからかう時が少し前にあった。その時は女子が一丸となり(前のクラスの頼れる委員長も同じクラスだった)その男子たちを責めたので騒動はあっという間に収拾がついたのだが、もしそいつらが根に持ってまた変なことを言ったのなら許してはおけない。
「違う。違うの……」
雨ちゃんはまた最初の頃みたいに不安でふるふると震えていた。
「別のこと?」
「うん……」
私たちは帰り道の途中の公園に寄ることにした。カバンをベンチに置いてすぐ近くにあるブランコにそれぞれ座った。
「実はね……私、雨女なの」
雨ちゃんは力なくそう言って、今にも泣き出しそうになった。いつもよりずっとその肌がふるふると波打つ。私は一瞬分からなくて、でもすぐに雨女というのは雨を降らす人だと思い至った。
「雨ちゃんがいると雨が降りやすいってこと?」
「うん……。特にいつもと違う、大事な時に降らせてしまうの。困るよね。みんな一生懸命練習とか頑張ってて、本番で雨が降ったりしたら……」
「えっと……それの何が悪いの?」
言葉は選んだつもりだけど乱暴に聞こえなかったかなと私は不安になって雨ちゃんを見つめる。雨ちゃんは驚いたようで目を丸くしていた。透明に近い瞳が見開かれる。
「雨が降っちゃうから……」
雨ちゃんがそうしているように私も雨ちゃんの目をのぞき込んだ。二人でしばらく見つめ合った。
「あっ! 校外学習?」
「うん。私はお休みしようと思う」
雨ちゃんは私から視線を外してうつむいた。
「えー。雨が降ってもいいじゃん。むしろ降った方がいい。山登りなんてしたくないし、他は室内だから関係ないし」
私は慎重にゆっくりと話した。私の気持ちが伝わるように。雨ちゃんを傷つけないように。
「えっ……でも。でも晴れの方がいいと思う。景色だってよく見えるし、傘だって邪魔になるよ」
雨ちゃんは驚いたといった表情で続ける。私はゆっくりとブランコをこぎ始めた。雨ちゃんの視線が私を追って行ったり来たりする。
「関係なーい!!! 一緒に行こうよ! 雨もじゃんじゃん降らせちゃってよ!」
「いいの?」
「いいよ!」
「……本当に?」
「マジのマジだよ!」
私のブランコはだいぶ高くまで行くようになって、私は大声を出した。本当に声を大きくして言いたかった。大丈夫だよって。
「ありがとう」
「うん。絶対行こうね!」
「……うん」
「あはは! 雨ちゃんって本当に雨ちゃんなんだね!」
あ、この言い方はまずかったかなと一瞬思ったけど、雨ちゃんが安心したような雰囲気だったのでホッとした。私は気にしない。だから雨ちゃんにも気にしないで欲しい。
私は気付いていた。雨ちゃんはよく保健室で自習をしている。運動会の練習を含めた準備をしている時、P T Aの授業参観でみんなが張り切っている時、クラス対抗ドッジボール大会の時……きっと他にも。雨ちゃんのおうちに遊びに行って雨ちゃんのお母さんに会った時、お母さんはこちらが困るくらいかしこまって何度も私にお礼を言った。そして雨ちゃんにみんなと同じようにたくさんの経験をして欲しい〝けれど”と言った。体育関係でないことまで参加しなかったのは体が弱かったからじゃないんだ。みんな一生懸命練習してるのに雨で中止になったら悪いからだ。
雨ちゃんは泣き止んで、私たちは勢いよくブランコをこぎ始めた。
「私、雨好きだよ! 理由って説明しづらいけどさ。雨の日は嬉しくてベランダで宿題やってるもん!」
「変なの!」
「いいじゃん!」
雨ちゃんの表情は晴れやかになった。だから私も嬉しくなった。
校外学習の日はまあまあの雨だった。靴濡れるーとか、うえー最悪とか、やった登山中止とか、みんな色々言っていたが私は知らんぷり、雨ちゃんはちょっとそわそわしていた。
多分だけど、クラスメイトの何人かも雨ちゃんの秘密に気付いている。でも誰もそれを指摘したりしなかった。あの雨ちゃんの見た目をどうこう言った男子さえも、それだけは触れてはいけないことだって分かっていた。
そして、やがて雨ちゃんもそのことにーークラスメイトの優しさに気付いたみたいだった。
だからなのかは分からないけれど、雨ちゃんは次第に透明になっていった。
中学に入り私たちはよくその公園のベンチやブランコで話した。今まで真っ直ぐ一緒に帰っていたけれど、私は塾に通い始めたので、途中の公園まで一緒でそれからそれぞれ家なり塾なりに向かうようになった。塾の時間まで一時間くらいの余裕があるからその間が私たちの遊びの時間だった。
私が雨ちゃんをなぐさめたように、雨ちゃんも私をたくさん助けてくれた。私の好きな男子に彼女ができて悲しくて泣いてしまった時も、テストで思うような成績が出なくて追い詰められていた時も、雨ちゃんは落ち込んだ私を心配してブランコをぐーんと私に寄せて、手を伸ばし、私の肩をそっとなでてくれた。
その頃、学校では私たちは仲良し五人組になった。小学校でクラスが分かれたあの子とも再び同じクラスになり、そこにその子の仲良しも加わっての五人組だ。
でも、雨ちゃんは中学二年になる直前にまた入院をした。なので学校では四人組で過ごし、それ以外では時間を見つけて雨ちゃんのお見舞いに行くという日が続いた。
中学二年の夏にその仲良し五人組でディズニーランドに遊びに行くことになった。来年は受験生だからその前に思いっきりはしゃごうと言う計画だ。五人のうち二人のお母さんが付き添いで来てくれた。雨ちゃんは担当の医師から外出の許可を貰って来た。退院間近でもあったから特別に許されたらしい。
天気予報ではくもりだったけど、やはり雨が降った。でも今回は雨というより強風を伴う嵐のような雨だった。屋外のアトラクションはいくつか中止になってしまい、とはいえ私たちはそれなりに楽しんでいた。
「すごい雨。靴、びしゃびしゃだよ」
「このレインコート可愛いね」
「傘はもう意味ないかも」
口々に言いながら屋内のアトラクションやショーを見て回った。園内の異国情緒ある佇まいも雨の中でひときわ雰囲気があった。
夕方になっても雨は落ち着かなかった。雨宿りに入ったお土産屋さんでそれぞれお土産を見ていた時、
「ねえ! パレード中止だって」
五人組のうちの一人がキャストさんに聞いたみたいでそう言った。ディズニーには雨の日専用のパレードもあるらしいがそれも強風のため中止になることが分かった。
「えー!」
一同で、いや雨ちゃんをのぞいて、がっかりした空気が広がる。
「雨パレードはあると思ったのに……」
そこまで言って私はハッとして口をつぐんだ。でも残り三人の落胆は隠しようがなかった。そしてついに
「雨ちゃん、雨を止めてくれないかな……」
「ちょっと……!」
私は責めるように言葉をさえぎった。
「だって雨を降らせるなら止めることもできるんじゃない?」
「何でそんなこと言うの」
「そうだよ。今回は仕方ないよ。パレードとか受験終わればいつでも見れるじゃん」
慌ててもう一人が加勢してくれたが、言い出した子は止まらなかった。
「いつでもじゃなくて、今日みんなで見たかった。だって……だって中学最後だもん。パレード見たかった」
私は恐る恐る少し離れたところにいた雨ちゃんをふり返る。雨ちゃんは何ともいえない表情をしていたと思う。正確には表情が分かりづらかった。雨ちゃんは今日特に透明度が高かった。残り三人の視線も自然と雨ちゃんに集まってきた。雨ちゃんがあとじさる。
「ごめん……私、先に帰るね」
そのまま雨ちゃんはくるりと背を向けて早歩きで去って行こうとした。
「待って雨ちゃん!」
慌てて追いかけようとしたけど、お土産屋さんは私たちと同じように雨宿りしているお客さんでごった返してきて、小さな雨ちゃんはすぐに人混みに紛れて見えなくなった。一人が急いで親を呼びに行った。言い出しっぺの子は泣き出してしまった。
雨ちゃんはすぐにお母さんを呼んで帰ったらしい。同伴してくれていた他の二人のお母さんにそう聞いた。そして翌日、雨ちゃんのお母さんが私たち一人ひとりに電話をかけて謝った。
その後、雨ちゃんが退院したことを聞いたからプリントなんかを届ける名目で何度か雨ちゃんの自宅に行ったけれど、雨ちゃんは自分の部屋にこもりきりで出て来なかった。ディズニーでのこと、大事なことだったとは思うけど、ここまで拒絶されると私も辛かった。
雨ちゃんはその後学校に来ることはなくて、そのまま私たちは進級、進学していった。
中学を卒業すると今度こそみんなばらばらになった。そして高校生活は高校生活で、学業に部活に忙しく、私たちはあまり会う機会がなくなってしまった。
みんなと再会したのはそれからまた何年か経った成人式の時だった。県外に出た子も戻ってきているのでそのタイミングでプチ同窓会をしようということになった。
久しぶりに会ったみんなはたくましくなった感じがしたけど、話してみるとあんまり変わってなくてみんなはみんなだった。すぐに打ち解けて色んなことを話した。けれど、雨ちゃんの話をすると何故かみんな覚えていなくて私は驚きを隠せなかった。
その帰り道に混乱した頭で色々考えた。
雨ちゃんは私たちと同じように人間の大人になりたくてもなれなかったんじゃないか。だから私たちの前を去ったのだ。きっと、ディズニーでのあの発言が無くても、雨ちゃんは私たちの前からいなくなっていた。
「……でも、さよならくらい欲しかったなあ」
だんだん泣けてきて、私は家にとぼとぼ歩いて帰りながら泣いた。すれ違う人たちが腫れ物を避けるように私を一瞬見て、すぐに目を逸らした。
しばらくするとふと頬にぽつりと何かがあたる気配がして、私はようやく顔を上げた。ぽつりぽつりと、柔らかな雨が降り始めた。
「雨ちゃん……?」
思わずそうつぶやくと、ふと目の前の地面に小さな水たまりがあることに気づいた。そこに一瞬人影が映って消えて行った。私は慌てて追いかけようと、人影が去っていった方へ目を凝らした。でももはや見えなくなってしまった雨ちゃんを追いかけようがなかった。
それから更に時は経ち、私は社会人になった。
学生の頃はうちらずっと友達! そう思っていても、大人になるとそれぞれの事情から会えなくなって疎遠になっていくことが少なくない。社会人は思いの外忙しく、また新しい人間関係もできて学生の頃の思い出に浸る余裕もそんなになくなった。雨ちゃんのことも、いつの間にか思い出になり、遠くへ行ってしまいそうになる。
ある週末の休みに家族で祖父母の家へ遊びに行くことになった。
秋が近い田舎の家は涼しく、居間の畳の上でごろごろと過ごしていると、おばあちゃんが入って来た。
「そろそろじいさん呼んできて。晩ご飯だよ」
「はーい」
私は起き上がって麦わら帽子をかぶり、サンダルをはくと家の近くの畑へおじいちゃんを呼びに行った。
「おおー。よく来たねえ」
独特な発音の混じった間延びした口調でおじいちゃんが笑いながら目を細めた。
「おじいちゃん久しぶり。ご飯だって」
「はいはい。片付けるから待ちんしゃい」
「手伝うよ」
おじいちゃんの側には竹で編んだカゴがありそこには採れたての根菜や大葉なんかが収穫されていた。私はその隣の雑草を詰めたビニール袋を持ち上げる。
「お前が来たのすぐに分かったよ」
おじいちゃんはにこにこしながら片付け作業を進める。
「最近日照り続きだったからねえ。雨女が来ると畑が助かるよお」
まるで雨が降ったかのような言い方だった。
「……おじいちゃん、今日雨降ってないじゃん」
そう言う私におじいちゃんはうなずいてみせる。
「降ったみたいに畑が元気になるよ」
「そんなことある?」
「あるとも」
おじいちゃんの言うことが本当だとしたら……もしかして見えない濡れない雨が降っている?
私は胸にじんときて立ちすくんだ。ああ、雨ちゃんの姿だけじゃなく、雨まで、私はもう見えないんだ……。
大人になる。でも体や年齢はそうでも、心まで大人になりきるのは難しい。私なんか本当にまだまだだ。理不尽で悔しい時、ミスが続いて自分が情けなく感じた時、疲れ果てた時、そんな時に背中を優しくさすってくれる友達が近くにいてくれたらなあ。社会人は思っていたよりずっと孤独だった。でも新しい友達ができても、恋人ができても、大人になった今でも、私は雨ちゃんに会いたいと思う時がある。その時は不思議と思い出したように柔らかな雨が私に降り注いでいるように感じるのだった。




