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第1話 「魂がデカすぎる」

 死因、ベンチプレス。




 ——いや正確に言えば、300キロのバーベルを挙げた瞬間に心臓が「もう無理っす」と白旗を上げたのが原因らしい。享年二十五歳。筋トレ歴十年。ベンチプレスMAX300キロ到達の世界記録を打ち立てた三秒後に、俺こと剛田筋太郎は、この世から完全にログアウトした。




 我ながら最高の死に際だったと思う。




 胸筋がパンプした状態で死ねるなんて、筋トレ人生に悔いなしだ。




 ——で。




 なんで俺は今、真っ白な空間に立っているんだ?




 足元は雲。天井も雲。左右を見ても雲、雲、雲。湿度が高いのかと思ったが空気は妙に澄んでいて、むしろ筋肉のコンディションが良くなりそうな清涼感がある。




 目の前には巨大な門があった。




 金色のアーチに白大理石の柱。両脇で天使っぽい石像がラッパを吹いている。どう見ても天国のゲートだ。映画とか漫画で散々見たやつ。死んだ自覚はあったから驚きはしない。驚いたのは別のことだった。




 門の前に、一人の女性が立っていた。




 長い銀髪が重力を無視してふわふわ漂い、純白のローブは光を纏って発光している。瞳は淡い金色で、見る者すべてを包み込むような慈愛に満ちた微笑みを——




「あ、あの、ちょっと、そこで止まっていただけますかっ!?」




 ——浮かべていたはずの女性が、両手をバッと前に突き出して俺を制止した。




「近づかないでくださいっ、門が、門がっ……!」




「は?」




 言われるまま立ち止まる。何がまずいのかわからず首を傾げていると、女性は門の幅と俺の体を交互に見比べ、明らかに顔を青くした。




「わ、私は天界の管理を司る女神エリュシオーネと申します。剛田筋太郎さん、あなたの魂をお迎えに参りました。……参りましたのですが」




「おう、女神さま!天国ってことはやっぱ死んだのか。で、何がまずいんだ?」




「あなたの魂が——」




 女神エリュシオーネは、震える指で俺を指した。




「——デカすぎます」




「はい?」




「魂の筋肉量が規格を完全に超過しています!天国の門の幅は魂のサイズに合わせた標準規格でして、過去数千万の魂を問題なく通してきたのですが——あなたの大胸筋と広背筋が! 物理的に! 通りません!」




 見れば確かに、俺の魂は——というか俺の体そのものだった。生前のまんまだ。身長百八十二センチ、体重百十キロ、体脂肪率八パーセント。タンクトップから覗く三角筋は砲丸のごとく丸々と膨らみ、広背筋は翼のように横に張り出している。




 門の幅を見る。




 ……確かにこれ、横向きでもキツいな。




「いやいや、門を広げればいいだろ?」




「で、できませんっ!」エリュシオーネは涙目で首を振った。「天界の門の規格変更には神々の会議が必要でして、前例を作ると秩序が崩壊するんです! 私の一存では絶対に拡張できません!」




「じゃあどうすんだよ。俺ここで永遠にウロウロすんのか? それはそれで自重トレーニングができるから別にいいけど——」




「よくないですっ! 管理上、魂をこの空間に放置するのは規定違反なんです! ええと、ええと——」




 女神さまは明らかにテンパっていた。おっとりした見た目に反して、焦ると素が出るタイプらしい。銀髪をかき乱しながらブツブツと呟き、突然パッと顔を上げた。




 その目が、なんかこう——ヤバかった。面倒事を思いついた上司の目だった。




「——異世界がありますっ」




「は?」




「天国に入れないなら、別の受け皿を用意すればいい。ちょうど人材不足で困っている世界がございまして、剣と魔法の異世界でございまして、魔王とかいるんですけど——」




「待て待て待て。話が飛躍しすぎだろ」




「大丈夫です! 元のお体のまま送りますし、あちらの世界の法則に馴染むようにステータスとスキルも付与しますから! では!」




「いや『では』じゃ——」




 足元の雲が消えた。




 落ちる。




 真っ白な空間が引き伸ばされ、光が渦を巻き、視界が七色に弾けて——意識が一瞬途切れた。





 ◇





 ——風の匂いがした。




 草の匂い。土の匂い。都会のジムでは絶対にかげない、どこまでも生っぽい自然の匂いが鼻を突く。




 目を開けると、空が青かった。抜けるような青空に、見たこともないデカい月が二つ浮かんでいる。起き上がると、視界いっぱいに緑の草原が広がっていた。遠くに山脈。反対側に森。そしてさらに遠くに、城壁で囲まれた街のようなものが見える。




 異世界。




 マジで来ちまったのか。




 体を確認する。タンクトップにハーフパンツ、トレーニングシューズ。ジムにいた時のまんまだ。大胸筋——ある。上腕二頭筋——ある。大腿四頭筋——もちろんある。全身の筋肉が一ミリも減っていないことを確認し、まず安堵の息を吐いた。




 次に、視界の端にチラつく半透明のパネルに気づく。




 意識を向けると、それは目の前に展開された。




 ——ステータスウィンドウ。




 ゲームかよ。いや、女神さまが言ってたな。あちらの世界の法則に馴染むように付与するとか何とか。




 内容はこうだった。




『剛田筋太郎 レベル:1 種族:人間(異界)


 HP:580 MP:3


 筋力:A+ 魔力:G- 敏捷:B 耐久:A 知力:C 幸運:D


 スキル:【超回復】


 ——筋繊維の破壊と再生が常人の数百倍速で行われる。トレーニング直後に即座に筋肥大が発生する。発動条件:十分なタンパク質の摂取』




 MP3て。スマホの音楽ファイルかよ。




 だが——スキル欄を見て、心臓が跳ねた。




 超回復。




 筋トレーニーなら誰もが知る、あの超回復。トレーニングで破壊された筋繊維が修復される際に以前より強くなる現象。通常なら四十八〜七十二時間かかるそれが——数百倍速?




 即座に筋肥大?




 それはつまり。




「——スクワット、やるしかねえだろ」




 草原のど真ん中で、俺は腰を落とした。




 太腿が地面と平行になるまでしゃがみ、爆発的に立ち上がる。一回、二回、三回——フルスクワット。バーベルなしの自重だが、一回一回を丁寧に、筋肉の収縮を意識して行う。




 十回。二十回。三十回。




 五十回を超えたあたりで、大腿四頭筋がパンプし始めた。いつもの感覚だ。血液が筋肉に流れ込み、繊維が膨張する——が、何かが違う。




 熱い。




 筋肉の内側から、尋常じゃない熱が湧き上がってくる。




 七十回。八十回。九十回——。




 百回。




 立ち上がった瞬間、ハーフパンツの太腿部分が「ビリッ」と音を立てた。




 見下ろす。大腿四頭筋が明らかにデカくなっていた。一ミリや二ミリの話じゃない。筋トレ直後のパンプアップを差し引いても、確実に筋繊維が増えている。太腿の輪郭が変わるレベルで——百回のスクワットで——筋肉が成長していた。




 ステータスを開く。




『筋力:A+→S-』




「ハハッ——」




 笑いが込み上げてきた。




「ハハハハハッ! 何だこれ! 最高かよこの世界!」




 草原に仁王立ちで笑い声を上げる異世界人(元日本人)の図は、客観的に見ればだいぶヤバいだろう。だが知ったことか。十年間、毎日毎日コツコツと積み上げてきた筋トレ人生の上に、さらにこのスキルが乗るのだ。




 筋トレが、報われすぎる世界。




 涙が出そうだった。嬉し涙だ。胸筋の間を伝って腹筋の溝に落ちるタイプの涙だ。




 よし——とりあえず街に行こう。




 この世界で何がどうなっているのかはわからないが、まず必要なものは明確だ。




 タンパク質。




 スキルの発動条件がタンパク質の摂取である以上、食料の確保が最優先。鶏肉。この世界に鶏がいてくれ。頼む。





 ◇





 城壁の街は思ったより活気があった。石畳の通りを行き交う人々。馬車。露店。そして明らかに剣や杖を携えた——冒険者らしき連中。




 道を歩くだけで視線が突き刺さった。




 まあそうだろう。この世界の住人は総じて細い。剣士らしき男も、鎧の騎士も、俺から見れば全員が圧倒的にバルク不足だ。そこにタンクトップ一枚の筋肉の塊が歩いてきたら、そりゃ二度見もする。




 通行人に聞き込みをして、冒険者ギルドの場所を突き止めた。




 木造の大きな建物。扉を開けると、酒と革と鉄の匂い。広い酒場のようなフロアに冒険者たちがたむろし、奥にカウンターがある。




 カウンターの向こうに、一人の女性が座っていた。




 亜麻色の髪をきっちりまとめ、細い銀縁の眼鏡をかけた——受付嬢。姿勢が良い。書類の整理をしている手つきが几帳面そのもので、ペンの動きに一切の無駄がない。




 近づくと、彼女は顔を上げ——一瞬固まった。




「……冒険者登録をご希望ですか?」




「おう! 頼む!」




「……あの、失礼ですが」




 彼女——カウンターの名札に『リーゼロッテ・フォン・アイゼンシュタット』と書いてあった——は、俺の全身を上から下まで眺め、眼鏡の奥の碧眼をぱちくりさせた。




「冒険者登録にタンクトップ姿でいらした方は、前例がないのですが」




「鎧は動きの可動域を制限するからな。筋肉の動きを阻害しないウェアが最適解だ」




「はあ……」




 リーゼロッテは明らかに困惑していたが、プロの受付嬢らしく感情を抑え込み、登録用紙を差し出してきた。




「お名前、種族、戦闘スタイルをご記入ください。なお初回登録はFランクからのスタートとなります」




 記入する。名前:剛田筋太郎。種族:人間。戦闘スタイルの欄で少し悩んだ。




 ——素手。




 そう書いた。




 リーゼロッテが用紙を確認し、ペンが止まった。




「……『戦闘スタイル:素手(筋肉)』」




「ああ」




「補足の括弧書きは何ですか」




「事実だが?」




「…………」




 深いため息をつかれた。だが規定に反してはいないらしく、リーゼロッテは無言で登録処理を進め、冒険者カードを発行してくれた。




「Fランク冒険者・剛田筋太郎さん。掲示板に依頼書が貼ってありますので、ランクに合ったものをお選びください。——あと、くれぐれも無茶はしないでくださいね。Fランク依頼でも毎年死者が出ていますので」




 ありがたく忠告を受け取り、掲示板を見る。




 Fランク依頼。薬草採取。荷物運搬。下水掃除。——ゴブリン討伐。




 報酬、銅貨二十枚。推奨パーティ人数、三〜四名。備考:最近出没数増加、武器必須。




 武器必須か。




 拳は武器に入りますか——と聞こうとして、やめた。聞くまでもない。




 俺の武器は全身だ。




 依頼書を持ってカウンターに戻ると、リーゼロッテは案の定渋い顔をした。




「ゴブリン討伐、ソロですか? 推奨パーティ人数三名以上ですよ?」




「大丈夫だ。ゴブリンが何匹いるか知らねえけど、一匹あたり何キロだ?」




「……は?」




「体重だよ。ゴブリンの体重」




「……成体で三十〜四十キロほどと言われていますが」




「四十キロか。ダンベルカールの重量より軽いな。いけるいける」




「いける基準がおかしいです」




 だがギルドの規定上、ソロ受注を禁止する条項はなかった。リーゼロッテは「自己責任でお願いします」と念を押し、渋々ながら依頼を受理してくれた。




 その几帳面さ——嫌いじゃないぜ。





 ◇





 街の外れの森。




 ゴブリンの巣は、事前情報通り洞窟の中にあった。




 中から漂う獣臭。奥で光るいくつもの赤い目。数は——七、八匹か。




 武器はない。防具もない。あるのは百十キロの肉体と、十年分の筋繊維だけ。




 最初の一匹が錆びたナイフを振りかぶって突っ込んできた瞬間——右ストレートを叩き込んだ。




 拳がゴブリンの顔面にめり込む感触。衝撃。そして吹っ飛ぶ小さな体が洞窟の壁に激突して動かなくなる。




 一撃。




 残りのゴブリンが一瞬怯んだ。だがすぐに金切り声を上げて集団で襲いかかってくる。




 二匹目——左フック。沈黙。




 三匹目——右膝蹴り。大腿四頭筋の爆発力で天井まで打ち上げた。




 四匹目と五匹目が同時に来た。両手で一匹ずつ掴み、相撲取りが張り手をするように正面からぶつけ合わせた。二匹まとめて意識が飛んだ。




 六匹目。逃げようとした背中にドロップキック——いや、これは筋トレ的に正しくない。ちゃんとランジの動きで追いついてからの掌底にしよう。




 沈黙。




 七匹目。最後の一匹は震えて動けなくなっていた。




 そっと近づき、俺はしゃがんでゴブリンと目を合わせた。




「——お前も、鍛えれば強くなれるぞ」




 ゴブリンは失神した。





 ◇





 ギルドに戻り、討伐の証拠であるゴブリンの耳を七つカウンターに並べた。




 リーゼロッテは無言で耳を数え、無言で俺の体を見た。傷一つない。タンクトップに返り血すらついていない。




「……十五分で戻ってきましたよね?」




「ああ。往復の移動時間入れてだから、戦闘自体は二分くらいかな」




「七体を二分、素手で……」




 周囲の冒険者たちがざわつき始めていた。Fランク冒険者がゴブリン七匹をソロ素手で殲滅。しかも無傷。カウンター越しに耳を検品していたリーゼロッテの手が微かに震えている。




「報酬、銅貨二十枚です。……追加ボーナスで五枚つけておきます」




「ありがてえ! なあリーゼロッテさん、この街で鶏肉はどこで買える?」




「は?」




「鶏肉だ。チキン。胸肉がベストだけど、モモでもいい。とにかくタンパク質が要る」




「……中央通りの肉屋で買えますが、なぜ急に鶏肉の話を……」




「超回復の燃料だからだ! ありがとう!」




 報酬の銅貨を握りしめて肉屋に走り、鶏胸肉をありったけ買い込んだ。この世界にも鶏はいた。神に感謝。女神に感謝。——いや、あのポンコツ女神にはまた文句を言いたいこともあるが、鶏肉がある世界に送ってくれたことだけは感謝しよう。




 そしてギルドに戻ってきた俺は、中庭にあった丁度いい長椅子を見つけた。




 木製のベンチ。幅も長さも申し分ない。




 買ってきた鶏胸肉を塩で焼いて食べ——タンパク質を補給し——長椅子に仰向けに寝転んだ。




 中庭に転がっていた石材のブロックを両手で持ち上げる。重さは——五十キロくらいか。ベンチプレスの要領で胸の前から頭上へ押し上げ、ゆっくり下ろす。




 一回。二回。三回。




 大胸筋に効かせる。肩甲骨を寄せ、アーチを作り、バーベルの代わりの石ブロックを正確な軌道で上下させる。




 十回。二十回。




 大胸筋が熱を持ち始めた。あの感覚だ。超回復が来る——。




 三十回。四十回。五十回——。




 タンクトップの胸元が、目に見えてパンパンに張り出していく。石ブロックを挙げるたびに、筋繊維が破壊され、瞬時に再生し、より太く、より強く編み直されていく。




 気持ちいい。




 最高に気持ちいい。




 生きてた頃は四十八時間かかった超回復が、リアルタイムで、今、この瞬間に起きている。十年間夢見た理想の鍛錬環境が、この異世界にはあったのだ。




「——何をしてるんですかあなたはっ!!」




 石ブロックを持ち上げた姿勢のまま、声のした方を見る。




 リーゼロッテがギルドの裏口から飛び出してきていた。髪が乱れている。几帳面にまとめていた亜麻色の髪が数本跳ねていて、眼鏡が少しずれている。碧眼が大きく見開かれ、書類の束を胸に抱えたまま、俺を——正確には、俺の異常に膨張していく大胸筋を——凝視していた。




「いやあ、いいベンチがあったからつい。見てくれよリーゼロッテさん、この世界の超回復マジでヤバいぞ。筋肉が! リアルタイムで! デカくなる!」




「中庭で! 石を持ち上げて! 胸筋を膨らませる行為のどこに冒険者としての正当性があるんですかっ! しかもさっきからギルド内が騒ぎになってるんです、Fランクが素手でゴブリン殲滅した上に、中庭で意味不明な運動を始めたって——!」




「意味不明じゃねえよ。これはベンチプレスっていう人類最高の——」




「知りませんっ!」




 リーゼロッテは叫んだ。眼鏡の奥の碧眼が、困惑と怒りと——そしてほんの僅かな、好奇心を宿していた。




「——とにかく、業務規定第七条、ギルド施設内での無許可の私的活動は禁止です! 即刻やめてください!」




「おう、わかった。——なら明日、正式に許可申請出すわ」




「は?」




 石ブロックを下ろし、ベンチから身を起こす。ついさっきより一回りデカくなった上半身が、夕陽を浴びてテラテラ光った。




 リーゼロッテの視線が、ほんの一瞬だけ、俺の大胸筋の輪郭をなぞるように動いた——のは見なかったことにしてやる。




「この世界には剣と魔法があるんだろ? でもな、もう一つ——もう一つだけ足りないものがある」




「……何ですか」




 俺は笑った。




 全力で。




 大胸筋をバウンドさせながら。




「——ジムだ」




 リーゼロッテの眼鏡が、かたりとずれた。




 そして翌朝——ギルドマスターの執務室の前に、『ギルド中庭におけるトレーニング設備設置許可申請書』が、完璧な書式で提出されていたことを、まだ俺は知らない。




 書いたのが誰かも。

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