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Hemingway Daiquiri
あの夜のカウンターは、珍しく女性客ばかりだった。
その中の一人が、氷の溶ける音を聞きながら静かに言った。
「ヘミングウェイ・ダイキリを」
夕子さんは一言も返さず、棚からバカルディ・ホワイトのボトルを取った。
砂糖は入れない。マラスキーノで香りを添える。
ライムを搾る手つきは、まるで紙の端をそっとめくるようだった。
ミキサーの低い唸りのあと、カウンターに置かれたのは、
半フローズンの淡い琥珀色。
酸味の中に、ラムの静かな甘さが潜んでいる。
それは、文豪ヘミングウェイがキューバで愛した特別なダイキリ――
自由な魂は強く、そして繊細であることを思い出させる一杯だった。
女性客は、氷のきらめきを覗き込むようにグラスを傾けた。
その仕草に合わせるように、ジャズのピアノが小さく跳ねた。
僕はその夜の光景を、今もよく覚えている。
あのカクテルは、ただの酒ではなかった。
BAR RAINの灯りの下で、
過去と現在をひとくちに溶かし込んだ、静かな物語だった。