Nikolashka
あの夜のカウンターを思い返すと、忘れがたい光景が蘇る。
「砂糖抜きのニコラシカなんて、珍しい注文ね」
Y女史が、どこか挑むような笑みを浮かべながらグラスを差し出した。
「覚悟がいるわよ」
ニコラシカ――ブランデーを注いだグラスの口にレモンのスライスをのせ、
その上に砂糖を盛り、ひと口で頬張る。
砂糖の甘みとブランデーの重厚さ、そしてレモンの酸味と苦味が、
一度に口の中で混ざり合う独特の飲み方だ。
19世紀末のロシアで生まれ、兵士たちの強壮酒としても広まったと伝えられている。
だが、その夜の客は「砂糖抜き」を選んだ。
つまり、甘みという救いを排し、酸味と苦味に真正面から向き合う一杯だ。
彼はためらいなくレモンを噛みしめ、一気にブランデーを煽った。
強烈な酸味と苦味が顔に現れる――それでも、彼は笑った。
「新しい挑戦のために、ね」
その言葉は、単なる酒の感想ではなかった気がする。
酸味に顔をしかめながらも笑ったその表情に、
彼自身のこれからへの決意が重なって見えたのだ。
かつてのRAINのカウンターには、
そんな挑戦に臨むような酒の飲み方を選ぶ男の姿があった。
砂糖を拒んだその一杯は、彼の人生の節目を映し出す儀式のようでもあった。
今となっては、もう味わうことのできない夜。
だが、あの酸味の鋭さと、彼の笑みは、
記憶の底でいまなお鮮烈に残っている。




