第1章 晴天下の恒星
Prologue.
「もう、帰らなきゃ」
これまでの雰囲気を壊すように、彼女は言った。
空は気づいた時から、彼女と一緒に列車に乗っていた。
ただ、周りには二人の他には誰も乗客はいない。
二人きりの空間で、何故だか、重苦しい空気が場を支配していて、空は彼女と目を合わせることすら出来なかった。
どれほどの時間、列車に乗っていたのかは分からない。だが、彼女はそう告げると、無理やり空だけを列車から降ろしてしまった。
「……待って!」空はそう言いたかったが、虚しく自分の胸に響くだけで、言葉として発せられなかったし、抵抗も出来ない。
彼女は寂しそうに笑っていた。そして、空に手を振ることもせず、短い発車ベルの後、列車とともに去ってしまった。遥かな旅路へと。
その時は突然やってきた。
平成29年の3月。前日までは催花雨が数日にわたって続いていたが、その日は季節が戻ってまるで冬のような、雲一つすら見当たらない晴天であった。
高校一年生の日、向空は、幼なじみである若林星と一緒に、長野の山に夜空を見るために二人でキャンプへ行く予定であった。
「…あの、ずっと、好きでした。付き合ってくださいっ…!」
自室の壁に向かって空は一人でにつぶやいた。言い終わるとふぅ、と小さくため息を吐き、コップに入った水を飲み干した。その時、「へぇ、お兄ちゃん、好きな人がいるんだ〜」と空の妹が勝手に入ってきた。
「う、うるせぇ、というか、勝手に入ってくるなっていつも言ってるよな!?」
ニシシ、と悪戯っぽく笑うと、
「今日、キャンプ行くんでしょ?その時に告るんだ〜」と騒ぎ立ててきた。図星であったので、空は「いいから、出て行けっ!」と妹を追い出した。全く、顔はいいくせに、性格は生意気なんだから…。
空はそう思いながら、荷物の最終チェックを始めた。
待ち合わせの予定場所へ行くと、既に星が居た。
「ごめん、待たせちゃった…?」
「ううん、大丈夫だよ」
待ち合わせの時間には遅れてはいないものの、「大丈夫だよ」と、待たせたことを否定はしないということは、多少は待たせてしまったのだろう。
「私、キャンプ、初めてなんだよね〜。きちんとできるかしら」そんなことを考えていた空の気持ちをよそに、星は不安そうに言った。
「そこは心配いらんよ。俺、こう見えても最低でも一年に一回は家族でキャンプに行ってるからね」
「まぁ、凄いじゃん!」
「えへへへへ」
空は得意そうに言った。もっとも、空がキャンプにハマったにはここ2年でのことで、通算でも3回しかキャンプに行った経験はないのだが、当然そのことは内緒だ。
「さ、行こうか」
「うん、楽しみ!」
2人は北陸新幹線に乗り込んだ。
春休みの期間であるとはいえ、平日であったので、北陸新幹線の中は殆ど人が乗っていなかった。
空は星の隣に座ろうとしたが「向かい合って座った方が話しやすいでしょ?」と星が言ったことで座席を反転させて向かい合わせの状態で座った。
新幹線に乗っている最中は、ずっと絶え間なく二人は他愛のない話を続けていた。勉強の話、家族の話、お互いの友人の話、小さい頃の思い出話。なかったのは恋バナくらいだ。
二人が話している最中、ふと新幹線が長いトンネルを抜けると、窓から一面の銀世界が飛び込んできた。テレビとかでよくあるシーンでもあるので、ある程度は空も予期していたことであったが、それを差し引いてもあまりの美しさ、そして景色の壮観さに意図せず息を飲んでしまった。
星は「うわぁ、すんごく綺麗!」とまるで雪を初めて見た幼稚園児のように大声で無邪気にはしゃいでいる。数少ない乗客である、通路を挟んで二人の向かい側に座っているおじさんが訝しげな表情でこちらを見ていた。思わず、空はそのおじさんと目が合ってしまったので、申し訳なさそうに目線だけで会釈をしておいた。そんな空の様子には目もくれず「これなら特大の雪だるまも作れるね。雪合戦だってやり放題じゃん!」と未だ喜んでいる。
「こら、一応、他にもお客さん居るんだから…」空は一応宥めてはみたものの、星はお構いなしにはしゃいでいる。そのくらい圧巻させられるような様相だったのだ。
「あぁー、やばい!」ついさっきまであんなにはしゃいでいた星がいきなり叫ぶように言ったので、何かまずいことでもあったのかと、空は「どうかしたの…?」と恐る恐る尋ねた。すると「ほら、晴れてるじゃん?そしたら、日光が反射して日焼けしちゃうじゃん。日焼け止め塗ってくればよかった…」と星はいった。
空が想定していたよりも軽い悩みであったので、思わず彼は吹いてしまった。
「あー、ねぇ、今、笑ったよね?馬鹿にしたよね?女子にとっては命取りなのよ?これだから男子は…」と呆れた表情で星は言った。
「いや、ごめんて、ね、ごーめーん!」と空は謝ったが「ふん!」と拗ねてしまい、とりつく島もない。
とは言うものの、星は普段から気をつけているのか、長野の雪と比べても遜色がないくらいに肌が白い。雪の中に埋もれてしまったら、そのまま雪と同化して溶けてしまいそうなほどだ。
「ね、俺さ、見て分かると思うけど、めっちゃ日焼けしてるじゃん?だから、そーゆーの、分からなかったの。ね、許して…?」空は出来る限りの甘えた声を出していった。
「ふふ、冗談よ」と星はいい、空の目を見て微笑んだ。
そして、話が変わり、星が何かについて語り始めたが、空にはその言の葉が右から左へと機械的に移動するだけで、脳内できちんと処理をしていなかった。先ほどの星の微笑みが今までに見たことのないくらい、空には可愛らしく感じられたからだ。
「ねぇ、私の話、聞いてる…?」唐突に星が聞いてきたので、空は不意を突かれてしまい、「いや、ぼーっとしちゃってた」と本当にことを言ってしまった。
「もー、せっかく話してたのに、ちゃんと聞いててよねー」と星は言った。空はこの手の会話でテンプレである「いや、聞いてたよ?」とかと言えば良かったと後悔し始めた。それに、この悪いのは俺に可愛く微笑みかけた星なんだから…。
丁度そんなことを思っていたとき、「次は長野駅〜」といった車内アナウンスが流れてきた。
「それじゃ、降りる準備、しようか」と空は言い、二人で支度を始めた。
未知の世界へ降り立つために。