第十一話 旅の準備 其の一
フィンは荷馬車を引くセリカと共に、朝から王城の城門前で人を待っていた。
待っているのは、もちろん勇者パーティの四人である。
昨夜の立食会で、フィンは勇者パーティの面々と初めてまともに言葉を交わしたが、その時に、今日の午前中から旅の準備を始めよう、という話になったからだ。
それにしても、こんなに早くから彼らを待つ必要はなかったのであるが、そこは、案内係は誰よりも早く集合場所にいるべき、というプライドがいつの間にかフィンの中に芽生えたからだ、ということにしておこう。
実は、本当のことを話すと、昨夜は王城の一室に泊まったのであるが、その部屋があまりにも高級感があったせいで落ち着かなかったため、うまく眠れなかったからである。
フィンの目の下にほのかに浮き出たクマが、それを物語っている。
セリカ、なんか雰囲気変わった?
すこし、大人びたような気がするけど。
そんなことを、フィンは心の中でつぶやいていた。
ちなみに、セリカの雰囲気が変わったように感じたのは、セリカが厩舎で出会った、気品ある馬たちの佇まいに影響されて、真似をしていたからである。
真似をしていたというか、雰囲気に引っ張られたというか……。
まあ、どちらにせよ、元のセリカに戻るのは時間の問題である。
早朝の城門前では、おそらく騎士団の所属と思われる者たちが、数人で集まって、あるいは一人で走っていた。
おそらく、彼らはみな、早朝に走ることが日課になっているのだろう。
フィンがセリカを撫でながら、彼らを目で追いかけていると、人一倍真剣に走っている人物がふと目に入った。
ツバキだった。
このあと、旅の準備をするという予定があるのにもかかわらず、日課の鍛錬は欠かさずに行っている。
フィンはツバキの、サボることなく、自分を律して、さらに上を目指そうとするその姿勢を素直に尊敬していた。
ツバキのその姿が目に入った瞬間、フィンの胸に、静かな痛みが走った。
ああ、やはり、皆さんとは、人としての格が違うんですね。
世界を救おうとしている英雄。
はたまた、その方々を案内するだけの脇役。
これから先、彼らの一番近くにいるのは僕ですけど、僕は、近くで見ているだけのただの傍観者です。
世界を救える力もありませんし、そうしようとする勇気もありません。
そんな僕が、皆さんと仲良くなろうなんて、勘違いも甚だしいです。
ああ、でも、どうしてこんなに、寂しい気持ちになるんでしょう。
師匠。
どうして、僕を置いて行ったんですか。
あなたは、僕に旅をしながら生きる方法しか教えてくれなかったのに。
どうしてそれに必要なことを全て教えてくれなかったんですか。
せめて、戦い方まで教えてくれれば、セリカと二人で旅商人を続けられて、こんな気持ち、知らずに済んだのに。
セリカと二人で、ただ穏やかに暮らしていけたはずなのに。
フィンが目を伏せた瞬間、セリカが小さく鼻を鳴らした。
その音は、フィンの胸の痛みにそっと寄り添うようだった。
━━ゴーン━━
遠くで、城の鐘が一度だけ鳴った。
朝の空気が少しだけ張り詰めて、フィンの思考を現実に引き戻す。
……こんなこと考えていても、だめですよね、師匠。
うん、頑張ります。
あなたに教えてもらった、知識と経験を生かして。
彼らが世界を救えるように、案内します。
見ていてください、それが僕の仕事ですから。
フィンは、胸に下げたペンダントを握りしめながら、そう覚悟を決めた。
そして、誰にも聞こえないほど小さく、師匠……と呟いた。
セリカは、フィンを励ますように、フィンにすり寄っていた。
それから少し経ったとき、白銀のローブをまとったアルバスの医療魔術師が王城の方から、こちらへ歩いてくるのが見えた。
リオ・クラウスである。
右手に何やら厚い本を開きながら、歩いてきていた。
おそらく医学書である。
リオは、フィンを確認すると、医学書を腰に下げたホルダーに納め、少しだけ歩く速度を上げた。
そして近くまで来て、
「おはよう、フィン」
そう笑顔でフィンに言った。
「おはようございます、聖人様」
「早いですね」
フィンも笑顔でそう返すと、リオはフィンの返答のどこかに引っかかったようで、
「フィンこそ早いね……」
「え?」
「もしかして……聖人様って僕のこと?」
とフィンに尋ねた。
「はい、そうですけど……」
「嫌でしたか?」
「嫌っていうか……」
「リオでいいよ?」
フィンの質問にリオは、少し顔を引きつらせながら、そう言った。
しかし、フィンは、
「いえいえ、お名前でなんて呼べませんよ」
と答えた。
「じゃあクラウスでも……」
「そんなそんな、僕みたいな平民が、貴族様の家名で呼ぶことなんてできませんよ」
リオは、さらに妥協案を出したが、フィンは納得できないようだった。
「うーん、そうかぁ」
「でも、他のみんなのことは、普通に呼んでるんでしょ?」
リオがそう質問すると、
「いえ、そんなことないですよ?」
とフィンは答えた。
「え?じゃあ、ツバキのことはなんて呼ぶの?」
リオがそう質問すると、フィンは少しも迷うそぶりを見せずにこう答えた。
「刃姫様です」
リオはさらに質問を続けて、
「じゃあ、ユリシアのことは?」
「賢者様です」
フィンはまたしても即答だった
しかし、リオにも何か譲れないものがあったのか、さらに質問した。
「さすがにレオのことは、名前で呼ぶよね?」
「勇者様ですよ?」
これもフィンはすぐに答えた。
リオは一瞬、言葉を失ったようにフィンを見つめ、
「あ、なるほど」
そう真顔で呟いた。
そして、呆れたように少しため息をついて、
「わかった、今は諦めるよ」
「でも、仲良くなったら、絶対に名前で呼んでもらうからね」
リオはそう言って、フィンの肩を軽く叩いた。
その手のひらは、意外と温かかった。
フィンは、
「頑張ってみます」
「でも、すみません、僕には、出来る気がしません」
と返して、自分にすり寄るセリカを撫でたのだった。




