オレとボクとわんこ
さて、オレに何が起きたのか考えてみよう。
ドラゴンになった幻覚を見ている?
………それはあんまりにもあんまりなので、別の方向性から考えてみることにする。
判断材料が少なすぎる今、ぱっと思いつくのは二つくらいだ。
一つ、幽霊みたいにドラゴンに取り付いてしまった。
二つ、よく物語りにあるように、ドラゴンに生まれ変わってしまった。
どっこいどっこいの非常識さだけど、実際ドラゴンになってしまっている以上、常識的な推測なんて立てられるわきゃない。
現実的な結論を出そうとするなら、あえて目をそらしていた想像に直面しなければいけないのだ。
つまり、
一番ありそうなのは、オレが植物人間になってこんな夢をみている、ってことで………………。
滅多刺しにされたからなぁ。
病院に運び込まれた後、そうなってもおかしくはない。
というかあの男は何だったんだろう。
オレ、痴情のもつれにでも巻き込まれたかな……………ああ、女友達の彼氏だとか勘違いされていたのかも。
で、「新しい彼氏が出来たから、彼女は僕と別れたんだ、ちくしょーー!」 グサーッ! ………とか。
言いたかないけど、こちとら年齢イコール彼女いない歴だぞ。
――――む?
なんかオレ、ちょっと変なような………。
さっきまでの一連の思考に違和感を感じたのに、それが何なのか、自分のことだというのにハッキリしない。
まるでくしゃみをし損ねたようなスッキリしない後味が残る。
オレは首をひねりながらも、気持ちを切り替えるべく逸れていった思考をもとに戻す。
しっかし、植物状態で見る夢………か。
ドラ○もんの最終回俗説にそんなのがあった気がする。
そうやってダラダラ考えながら、颯爽と疾走を続けるオレは………すみません嘘つきました。
実際はなんども、ぶつかる、つまづく、滑り落ちる、と森の罠フルコースを堪能してましたとも。
しかしそのおかげで分かったこともある。竜はかなり丈夫らしいってことだ。
灰色のボディーは、するどい枝が身体を掠めても痛みすら感じないし、転ぼうが滑り落ちようがかすり傷一つ負わなかったのだ。
ともあれ、短い足でよたよたと走り続けるオレは、いまだに森で迷子だった。
360度、見渡す限りが森、森、森。
出口なんてどこにもないんじゃないかとすら思えてくる。
――――富士の樹海………いやいやいや。
たった一人で深い森を走っていると、ついつい考えが不吉な方向へ進んでいくな。
こういうときは発想の転換だ。
今のオレはドラゴン。つまりは動物。
よしっ!
オレここで暮らすわ!
立派な野良ドラゴンになってみせる!
疲れた脳がバカな答えを出したころ、とうとう耳がかすかな反響音を聞きとった。
自然の音ではありえない、遠く、硬質なものがぶつかり合う鋭い音。それが不協和音を奏でながら連続で響いている。
野生動物が角を突き合わせている、という感じの音でもない。ずっと金属的で透き通ったものだ。
謎の金属音だけじゃなく、木をベキベキとへし折るような音まで聞こえる。
とにかく『何か』はいるんだろう。
そうあたりをつけて、オレは音の聞こえる方角へ足を向けた。
◆◆◆◆
頼りない月光ではなく、煌々とした人工的な明かりがその森の一角を照らし出していた。
オレはそこにたどり着き、明かりを目にしてはじめて、今が夜だということを知る。
視界に何の不自由もなく、逃げるのに必死で気づいていなかった。
それはもう竜が異常に夜目がきくんだろうと割り切って、目の前の光景を理解することに全力をかたむける。
遠くから聞こえていた金属音も、樹をへし折っていく音も、ここまで近づけば正体は丸見えだった。
あきらかにヤバい騒音。
オレは身体のすべてを晒さないように、樹の幹からこそっと顔を出してのぞく。
結論から言うと、『何か』は複数いた。
巨大な生物と二つの人影。
その生物は――――灰色のドラゴンだった。
大人3人分はある長大な尾が、方向をかえるごとに大気を切り裂き、ときに周囲の木々をなぎ倒していく。
木々が悲鳴の変わりに、あたりにフィトンチッドの香りを振りまいている。心落ち着くはずの香りなのにまったく癒されない。
しかし、その伐採作業のおかげで、森の一角はもはや広場のようになっていた。
信じられない光景。
感想すら思い浮かばないオレを置いてけぼりに、尾と同じほど巨大な身体が、見た目の鈍重な印象を裏切る敏捷さで、二つの小さな人影を追い回している。
竜と比べると小さいというだけで、人影の片割れは、おそらく海外のバスケットプレイヤーよりも高い身長なのではないだろうか。
彼は等身をしのぐ巨大な武器を操り、暴れまわるドラゴンを翻弄している。
そう、灰色のドラゴン。
手も翼手で、大きさの違いはあれど、水槽で見た自分と同じだった。
もしかしたら同じ種族なのかもしれないが、あっちは幼さの欠片もない凶悪な顔つきで、狩りを行う野生動物そのままの迫力がある。
どう見ても、知性だの理性だのと言ったものはなさそうだった。
呆然とオレが見守るうち、拮抗していた状況が一気に傾く。
人類に勝てるとは思えない巨大生物ではなく――――――二つの人影の有利なほうに。
大柄な人影がドラゴンの首をだいたんに引きつけ、無防備な敵の脳天を狙って、もう一方の小柄な人影が側面から宙へ舞う。
その両腕は肩下から指先までが白銀のごつい甲冑に覆われていた。
甲冑は見た目を保ったまま、みる間に手先に行くほど巨大に膨張して、両腕だけが白き巨人のものへと変わる。
その両手を握り合わせ――――――全身のバネを使って叩きつけた!
鼓膜をすさまじい轟音がおそい、冗談のようにドラゴンの頭が大地にめりこむ。
地響きが森を揺さぶった。
しかしもっと驚くことにドラゴンの頭は原型を留めている。
怒り狂ったドラゴンが身を起こそうとするも、間髪いれずに大柄な人影が白銀の大剣を振りおろし、その軌跡はドラゴンの首へと吸い込まれていった。
空気を裂く断末魔。
巨大な首が胴から旅立つ。
そのあともしばらく首から下だけがもがいていたが、じきに流れ出る血とともに大人しくなっていった。
その様子を油断なく見守っていた二人は、確かにドラゴンが死亡したと判断すると緊張を和らげた。
それと同時に、身長を越える大剣は常識的なサイズへと縮小し、もう一方の巨腕はすべらかな白銀の細腕へと変化する。
最初に気づいた人工的な光、それは空中の一点に浮かんでいる光球が発しているものだ。
電灯よりも力強く周囲を照らす光源は、彼ら二人の姿をしっかりと照らし出していた。
小柄な人影は、空色のロングマフラーをした15、6歳の少女。
ふわふわとしたセミロングの髪は淡い色合いのブロンドで、両の碧眼は闘いの余韻に満足げに潤んでいる。
箸よりも重いものを持ったことがなさそうなのに、巨大な甲冑腕を軽々と操っていたのだから驚く。
そしてもう一方、大柄な人影は明らかに人間じゃなかった。
まず、尻尾がある。
モフモフしている。
何より顔が狼である。
もちろん比喩じゃなく、エジプトのアヌビス神のように、頭部を狼のものにすげ替えたような容姿だった。
身体は足を除いて人間のものと変わりないが、体表は頭部と同じ藍色の毛皮で覆われている。鼻周りや手先と足先、そして喉から腹にかけては毛皮の色が純白だ。
狼男、という単語が頭に浮かぶ。
さすがに、いろいろ、予想外です。
オレは翼手で頭を抱え込んだ。
うん、えーと、把握した。
うん………。
薄々そうじゃないかなーとは、思ってたんだ………。
オレは気力がつきた思いでしゃがみこむ。
――――ここ、地球じゃねえ。
しゃがみこんだ、というか、勢いがよすぎて尻餅をつくかたちになってしまった。
立ち上がる気力が湧かない。
下敷きにしてしまった小枝が折れる音に、何事か話し合っていた二人がこっちへ振り向く。
狼男―――声が低く、筋肉質な長身なのだから、性別はオスなんだろう―――が警戒するように何かを言い、少女がゆっくりと近づいてきた。
とりあえず男が何を言ったのかが分からなかった。
遠くて聞こえなかったわけじゃない、単純に言語が知っているものじゃなかったのだ。
少女は白い腕を好きな形状にできるのか、右の手先だけをカタールナイフのように変形させている。
オレの近くにまで来ると、少女は間合いを計りつつ木陰を覗き込んできた。
白銀の武器を構えたまま、その碧眼が瞠られる。
「………こ、子供!?」
………………………………あれ?
「う、うわあ、どうしようガウム!
この子、あの竜の子供かなっ?」
「リーニャ、οτιτυκανκα。
δονωμιτι ταιζι συρυ σικα νακαττα」
「うん。そうだね………そうだけどさ。
うぅ……やりきれないなあ……」
………なんで、オレ、この子の言うことは理解できるんだ?
もう一人が何言っているかはやっぱり分からない。
でも少女が口走る言葉は意味がわかった。
なんで、と疑問符ばかりが頭で踊る。オレは少女を穴が開くほど見つめる。
オレの驚いている理由がわからない少女にとって、オレの行動は、無垢な幼子の「なんでお母さんを殺したの?」という無言の訴えに見えたことだろう。
あう、と少女は呻くと、わたわたと武器化している右手とオレを交互に見比べ、オレに敵意はないと見たのか、とりあえず手をカタールから戻した。
「ねえ、キミ。
あの竜はキミのお母さん?
………って、言っても分からないんだよね」
少女は犬や猫に話しかけるタイプなのだろうか。友達にもたまにいる。
答えを期待しての問いではないだろうが、とりあえず首を横に振っておく。
あれはまったくの他人ならぬ他竜です。
まるで問いかけを理解しているかのようなオレに、少女はふたたび碧眼を瞠った。
それは狼男にとっても同じ驚きだったのだろう。
………もしかして、竜は知性がないのが当たり前なのだろうか。それとも『子供の』竜がってところがアウトなのか。
不味かったかもしれない。
「もしかして、ボクがなに言ってるのか………分かるの?」
オレは分かる、と答えるように、コクコクと頷いた。
そうだ、不味いかもしれなくても、それがなんだっていうんだ。
その時はその時さ。
………あとから思えば、この時はちょっと投げやりになっていたと思う。地球じゃない、というのはそれぐらいに衝撃的だった。
「じゃあ、じゃあ、もしかして人語が話せたり………?」
「キュ」
「しないんだね……」
少女はすこし考え込むと、背後の狼男と言葉を交わす。
男がなにを喋っているか分からなくても、片方の言葉が分かるだけで、それなりに会話の内容は把握できた。
とりあえず分かったのは、男の名前が「ガウム」、そして男が何度も「リーニャ」と繰り返すことから、それが少女の名前なのだろう、ということだ。
さらにふつう竜には、せいぜい犬か猿よりすこし上程度の知能しかないらしい。
けれど、少女の言い方からすると、知性のある竜もいなくはないみたいだ。
少女は狼男に、あるいはどっかの魔術師がつくった合成獣か何かかもしれない、と説明をしだしている。
あのたくさんの水槽に浮かんでいた『何か』を思い出した。
それっぽいのではなく、あの白い男は本気で魔術師だったのだろうか?
「でも、キメラだとしても、知能を持たせるなんてとんでもない腕だよ」
「φυμ、δρακων。
εγω νο ιυκοτ φα?」
狼男がオレを見下ろして何かを言った。
たぶんオレに何かを尋ねたはず。けれど分からないから首を傾げておく。
それで少女の言うことしか理解できないのだと伝わったのだろう。狼男が少女へと何かを話しかけた。
「あ、それはたぶん、これだね」
そう言って、少女はあっけらかんと、黒のホットパンツから伸びる色白の太もも、その内側を見せて示した。
きわどい足の付け根から下に向かって竜をかたどった刺青が這っている。
白い太ももがまぶしいです。
………じゃなくて、ちょっとでいいから恥らおうよ………。
「ほら、ガウム。ボクの一族って、竜の血が入ってるって言うでしょ?
この刺青は、その竜の因子を強めるためのものでさ。つまり存在が竜に近くなるんだ。
同じ竜同士だから意思疎通ができてるんだよ」
ほー。ということは、オレの言うことも少女になら伝わるんだろうか。
なら試しに!
「きゅー、キューイきゅキュキュイ?………きゅー? (なあ、今日って何日?………どう?)」
「えーと、『いま、いつ?』みたいなこと聞いてるの……?」
つ、伝わった!!
自分ですら、イルカの鳴き声もどきに聞こえるっていうのに!
でも、だいぶ言ったことが略されているというか………なんで疑問系?
オレの疑問が伝わったのか、少女は顔の前で手を振った。
「ご、ごめんよ。
竜に近くなるっていうだけで、竜そのものじゃないから………。
これは言語の会話じゃなくて、意思を直接伝える会話なんだ。
思念波の受信は、意思を受けとる側の感性に左右されるの。
人間寄りのボクには、キミの言いたい事はニュアンスぐらいしか分からないんだよ」
おーう、そういうことか。
オレは竜としての感性が高性能だから、少女の意思がほぼそのまま伝わってくるけど、逆はそうはいかないのか。
いやでも、何も言えないよりずっとましだ。
ここが異世界なら、最後の手段「筆談」すらままならないところだったのだ。
絵を描くか、ボディランゲージか、拳で語る肉体言語ぐらいしか手がない。
それを思えば、まさに地獄に仏。
だからそんな申し訳なさそうな顔をしないでくれ。
そういう思いを込めて、ぶんぶんと千切れんばかりに首を振った。
「あははっ、ありがとう。気をつかわれちゃったね」
「σορεδεリーニャ、δουσυλυ?」
「あっ、ごめんごめん。
それでキミ、もう森にお帰り
この森のどこかにキミの親か、うーん、作り主がいるんでしょ?」
まずい、このままだと爽やかに去られる。
咄嗟にオレは少女のマフラーの先っぽに噛み付いた。勢いが付きすぎて、そのままグイっと引っぱってしまう。
首が絞まった少女が「あう」とつんのめり、慌ててオレを諭しにかかった。
「えーっと。キミ、あのね?
ボクたちやっと仕事が終わって、これから帰るところなんだよ。
ずっと森には居られないんだ」
「キュー…」
オレはうるうると目を潤ませて見上げてみる。
元の姿でやろうものなら鳥肌が立つが、今は足蹴にするのもためらうちっさなドラゴンの姿!
どんな動物でも子供は愛らしいものだ。
卑怯というなかれ、本気でなりふり構っていられない。
この少女以外に意思疎通できる人間は、彼女の一族以外にそうはいないだろう。
ふふふ、それ以前にオレは遭難中だ。このままじゃ本当に野性にかえるしかない。
それはそれで面白そうだけど、オレはもとの世界に帰るって目的があるんだ。そしてオレは無事なんだって、家族を安心させなきゃいけない。
逃してなるものか!
「ね、だから放して……」
マフラーを口で捕獲したまま、上目遣いにじっと見つめる。
じっと見つめる。
じっと。
じーっ………。
「う、うぅ~…」
「ははは! リーニャ、νατυκαλε τανα」
「ガウム、人事だと思ってるだろ~」
ほだされかけている少女に狼男が朗らかに笑って何かを言った。
言葉はわからなくても、この場合はどういうことを言ったのかだいたい予想できる。
「懐かれたな」とか、そんな感じのことを言ったのだろう。
少女は子供の愛らしさに耐えられなくなったのか、しゃがんで目線を合わせると、我慢できないというようにオレの頭を撫ではじめる。「あああ可愛い」とか呟いているのが聞こえた。
「んーと……、ねえ、親御さんは? もしかして、その………いない?」
オレはマフラーを咥えたまま頷く。
「作り主さんも?」
また頷く。
少女は腕を組んでちょっと思案すると、狼男を振り仰ぎ視線だけで何かの確認をとる。それに狼男が鷹揚に頷く。
これはもしかして、とオレは期待を込めた目で少女を見つめる。オレの勝手な事情で振り回してしまうのは申し訳ないけれど………。
オレに向き直った少女は「抱っこしてもいいかな?」と言って微笑んだ。
マフラーを解放して頷くと、オレの脇下に少女の作り物のような白銀の腕が差し入れられて、ひょいっと彼女の目線の高さまで持ち上げられる。
うーん、女の子に軽々と抱き上げられるのは複雑な気分です。
「じゃあ、一緒にくるかい?」
「キュイ!」
「その、今は危険な旅の途中だから、ずっとってわけにはいかなくて。
ボクの里に預けることになっちゃうけど、それでもいいかな?」
願ってもない、と何度も頷いてから、よろしくお願いしますの思いを込めて「キュー!」と鳴いた。ああ人語を話したい。
少女はオレを抱えたまま立ち上がると、オレを狼男のほうへと向ける。
「このおっちゃんはガウムっていうの。
流れの傭兵で、一年ぐらいボクと一緒に組んで旅しているんだ」
「ο、οδισ……」
オレの目の前で、「おっちゃん」と言われた狼男…もといガウムが目に見えて落ち込む。
もふもふ獣人の年齢など外見から推し量るのは不可能だけど、おじさんと言われるにはダメージのある年齢なのだろう。
少女に悪気は一切ないと分かるだけに余計に堪えていそう。
「それでボクが、シャ・ギナ・リリーニャ。
リリーニャだよ。
シャ族の成人の儀の途中でね、世界各地を回っているんだ。
――――よろしくね、おチビちゃん」
少女…いやリリーニャは、そう言ってオレの頭を優しく撫でる。
うん、これから迷惑かけるけど、よろしくリリーニャ、ガウム。
オレは撫でられるままに目を細め、子供らしい鳴き声を一つあげた。
そうそう、オレの名前をまだ言ってなかったな。
オレは黒衛 巡夜。
元はもうすぐ高校三年生で、何がどうなったのか、子供の灰色ドラゴンになってしまった。
元の世界に帰れる帰れない以前にまず人間にもどらないとな。
白い奴から色々聞きだすため、アイシャルリターンのアイルビーバック、だ!
二話目をお読みいただきありがとうございました。
ギリシャ語が出来る方は、ガウムの台詞は適当に流してやってください……。
エセとかいうレベルじゃなくローマ字読み的な使い方です。
あ、ボディランゲージはジェスチャー、肉体言語はぷ○え様のあれのことです。
次は短めの幕間をはさんで3話目となります。
やっと白い人のターン。視点は彼の使い魔さん。
本当は幕間はこの2話につっこむ予定だったんですが、思ったより字数を食ってしまったんで分割することになりました。
それでは、次回もお付き合いいただければ幸いです。