第32話 コカトリスを倒せば
読んでくださりありがとうございます。難敵ですが倒さねばなりません。
足場が悪い状態で倒れ込むと起き上がるのは少し難しい。焦らず着実にマシューは起き上がった。どこも石化状態にはなっていない。コカトリスの狙いはマシューの顔から腰にかけて。そのため発動直後に前に倒れ込んだマシューは幸運にも最高の回避のかたちとなり光線はマシューの真上を通過したのだ。
それだけではない。【火球】を発動したのは倒れ込む前。まっすぐ飛んだ【火球】は当然のようにコカトリスに命中したのである。石化状態にさせるはずが大きなダメージを負ってしまったコカトリスはマシューを鋭く睨みつけていた。
……正直ラッキーとしか言いようが無い。本当ならば石化攻撃が頭に直撃して、なおすことも出来ずに石化するところだった。……魔法は確かに強力で、コカトリスに対してダメージを与えられるものだろう。だが、視界がやや狭くなる。反応が遅れた場合致命傷になりやすいコカトリス戦において属性魔法で戦うのは少しばかり悪手だろう。
マシューはウェイトソードを前に構えた。距離さえ詰められればこれで攻撃しようと言う意思の現れである。そしてそれは魔法で攻撃しないという訳でも無い。マシューは自分が発動出来る 二種類目の火属性魔法をウェイトソードに発動させた。
「……【火纏】」
マシューがそれを発動させたことによりマシューの持つウェイトソードは火属性の力を宿した。【火纏】は対象を相手ではなく自身の武器に対して発動させる火属性魔法の中でも少し特殊な魔法である。マシューはこれでコカトリスを迎え撃とうとしているのだ。
両者睨み合うその間、知恵の樹上では静寂が訪れた。だがいつまでもそうしている訳にはいかない。痺れを切らしたコカトリスが再び翼を大きく広げた。そして光線を放つ直前コカトリスは一瞬視線を落とした。
狙いはマシューの足元。先程のように回避されないよう狙いをすまして石化攻撃は放たれた。マシューは翼を広げてから光線が放たれるまで瞬き1つしていない。どんな些細な動きも見逃さない覚悟の上だ。故に一瞬視線が落ちたことも、先程回避されたことからコカトリスが自分の足元を狙っていることも察知していた。
それならば避けるのは容易い。大きく跳ね上がり放たれた石化攻撃の光線を確実に回避するとそのままの勢いで距離をつめたマシューはしたからえぐるようにしてコカトリスの翼を焼き切った。火を纏った剣の切れ味は凄まじく骨を砕き羽根を切り裂いて翼を切り落としたのである。
片翼を失ったことでコカトリスはバランスが崩れてしまった。通常状態で回避出来ない攻撃がバランスを崩した状態で回避出来るはずがないのだ。【火纏】の効果が切れただのウェイトソードとなってなお、振るわれた剣によってコカトリス息絶えたのである。
「……討伐完了」
「すごいね。倒れ込んだ時はどうかと思ったけど、コカトリスを1人で倒しちゃったね」
驚きの表情と共にエルヴィスがマシューに近づいて来た。振り返ったマシューにはエルヴィスの笑った表情が見えた。だがエルヴィスは振り返ったマシューの顔を見て目をむいたのだ。マシューには何のことだか分からない。怪訝な顔をしているとやがてエルヴィスは収納袋から水の入った瓶を取り出したのである。
「ひどい顔だな。マシュー、君気付いているのかい? 今君の顔は返り血で真っ赤だよ?」
そう言ってエルヴィスは瓶の蓋を開けて中の水をマシューの顔に浴びせた。よく冷えた水が気持ちいい。手の甲で顔についた水分を拭うとわずかに赤色に染まっていた。なるほど、確かに知らぬ間に返り血を浴びていたようだ。
「とりあえずはこんなもので良いかな。帰ってからしっかり顔を洗うんだよ?」
「あぁ、ありがとう。……ところでエルヴィスは確か水を入れた瓶は持たないんじゃなかったのか?」
エルヴィスは一瞬不思議そうな顔をしてすぐに納得の表情を浮かべた。そしてマシューにほぼ空になった瓶を手渡して来たのである。受け取った瓶は何の変哲も無いただの瓶である。【水源】の魔水晶すら入っていないようだ。
「君らの持っていた瓶とは大きく違うよ。多分大抵の冒険者はそうやって水を持ち歩いていると思うよ?」
「……ただの瓶にしか見えないが」
「そう、ただの瓶さ。収納袋は状態保存が出来るから冷えた井戸水でも瓶に入れて収納袋に入れておけばいつだって水分が確保出来るのさ」
「……なるほど、それで非効率って言っていたのか」
後ろからレイモンドの声が聞こえて来た。コカトリスが討伐出来たため足場に気を付けながらこちらへ渡って来たようだ。もちろんその後ろにはエレナの姿もあった。
「そう言うことさ。入れておけばいつでも手に入るのにわざわざ魔水晶を使う必要は無いだろう? さ、もうすぐ祠の近くだ。気を引き締めて先へ進もう」
知恵の樹上に着いてからかなりの時間が経っており、もう祠の近くまで来ているようだ。マシューは討伐したコカトリスを収納袋に入れて先へ進むエルヴィスを追いかけた。そしてとうとう4人は紅玉の祠の目の前にたどり着いたのである。見下ろせば黄金の林檎が見えるところまでやって来たのだ。知恵の樹上攻略まではあと少しである。
「へぇ、黄金の林檎があんなに下に見える。この場所って結構高いんだな」
「そうだね。紅玉の森のりんごの木の多くは他の木よりもはるかに大きく育つ。それこそ木の上と下で生態系すら異なるくらいね」
「それで? 黄金の林檎を手に入れるにはこれからどうすれば良いんだ? まさかこのまま飛び移る訳じゃ無いだろ?」
「もちろん。あれを使うんだ」
「あれ……?」
エルヴィスが指差したのは4人のすぐ近くの木に絡みつくように生えるツタである。知恵の樹上の入り口にあったものと同じに見えるそれは解けばかなりの長さがあるように見える。つまりエルヴィスはこれを使いターザンロープの要領で飛び移ろうと言うのだ。
「……それ可能なのか?」
「……かなり厳しいが仕方ない。どの文献にもこれ以外の方法は載っていなかった」
「なるほど、やるしか無いのか」
「あぁ。失敗すれば下まで落ちることになる。そうなればまた最初からやり直しだ。そうならないためにも覚悟を決めないとね」
エルヴィスは既に覚悟を決めているらしい。その表情は引き締まっていた。それを見て覚悟が決まったのだろう。マシューは力強く前へ一歩踏み出した。
瞬きはしていないはずだ。それなのになぜ今自分の視界は真っ暗なのだろうか。マシューには訳が分からなかった。遠く上の方からため息混じりのエルヴィスの声が聞こえて来た。その声でマシューは自分が黄金の林檎目前で落ちてしまったことを知ったのである。