第23話 君の父の名は
読んでくださりありがとうございます。ニコラはマシューの父を知っているようです。
居間のちゃぶ台を囲み5人がそれぞれ座っている。レイモンドの家にこれほど多くの人が結集した記憶はさほど無くかなり新鮮な光景である。
しかしマシューはそのことを全くと言っていいほど気にしていなかった。それ以上に気になることがあるためそれは致し方ないことである。マシューはニコラからどんな話が聞けるのか気になって仕方がなかったのだ。
「……もう10年以上も前のことだ。私はとある人物を訪ねるためにここテーベへ来たことがある。その時何日か滞在したのだが、その時に泊まらせてもらったのがハンナさんの家、つまりはここだ」
「……全く記憶に無いな」
「それはそうだろう。当時ハンナさんは生後間もない赤ん坊を抱いていた。多分その赤ん坊がレイモンドだろう。ならば記憶に無いのも仕方ない」
「……それで、その訪ねたとある人物っていうのは?」
「以前の私は平均をやや下回るくらいの魔力量しか無かったという話を覚えているかい? 当時の私は魔法の上達のために父親に頼み込んで紹介してもらったのさ。……その人物はケヴィン・アーノルド。君の父親であり、後に時の勇者と呼ばれる人物さ」
マシューは口を開けたままゆっくりと首を傾げた。いったいニコラは何を言っているのだろうか。マシューの父ケヴィンは時の勇者である。その仮説は一瞬頭に過りすぐに却下された馬鹿げたものである。
そもそも自分の記憶の中のケヴィンは病弱で魔法を扱っている姿なんてとてもじゃないが想像できない。だが目の前のニコラはとても冗談を言っている顔には見えない。だからこそマシューは自分の目の前の光景が信じられず首を傾げているのだ。
「……時の、……勇者? 俺の父さんが?」
「……? 何を首を傾げているんだい? ケヴィンさんが勇者となったのは今から5年前のこと。その時には君も大きくなっているはずだから知っているだろう?」
ニコラは要領を掴めない表情をしている。そしてそれはマシューも同じである。5年前ならば確かにマシューは既に産まれている。だからこそニコラが言っていることが信じられないのだ。
マシューは8歳の頃には既に自分の家の畑を耕していた。そしてその頃もうマシューの父ケヴィンは病床に伏していた記憶がある。自分の家の畑でさえ満足に耕せなかった父が勇者であったとはマシューには到底思えないのだ。
「そんなはずない。……そんなはずは無いんだ。……レイモンドも俺の父さんを覚えているだろう? 俺の父さんは重い病からずっと寝て過ごしていたんだ。まさか勇者なはずはないよ」
「ああ、俺もそう覚えている。……ニコラは別人の話をしているんじゃないのか?」
「別人? この町に他にケヴィンと言う名前の男の人がいたのかい?」
ニコラはまだ驚いた表情のままである。確かにここテーベにケヴィンが2人いれば勘違いの可能性はあるだろう。帝都に長くいるニコラがそう考えるのも無理はない。
だが、マシューとレイモンドはほんの一月前までテーベで過ごしていたのだ。この小さな田舎町では大人も子どもも全て見知った顔である。ケヴィンと名のつく大人はマシューの父以外にいないことなど分かりきっていたのだ。
「……いや、ケヴィンはマシューの父ちゃん1人だけだ」
「なら私の言うケヴィンさんも同じ人だ」
ニコラはひとり安心した表情を浮かべた。それは自分の言っていることが勘違いではなかったことへの安心である。その表情から考えるにニコラは嘘を言おうとしている訳でないことはマシューとレイモンドにも伝わる。
だからと言ってニコラを信じるかは別問題である。ニコラが信用出来ないと言っているのではない。それはニコラを信じれば自分の記憶を疑わねばならない故である。他ならぬ自分の記憶がそれを否定しているのだ。
「……俺が生後間もない頃の話なんだよな。それってニコラが何歳の頃の話だ?」
「……10歳くらいだったかな」
「……そんなに早くから騎士を志すものなのか? やっぱりニコラの勘違いだったということはないのか?」
マシューとレイモンドはどうにかニコラの勘違いだという路線にしたいようだ。だがそれはエルヴィスによって否定されることになる。
「少し早いくらいだね。でも珍しくはない。僕が知る限り最年少で騎士団入りした人物は当時6歳の少年だった。……それに騎士を志すのは騎士団に入るよりも先のこと。別に10歳の少年が騎士を志すのは特に変なことでは無いよ」
ニコラを除けばエルヴィスは最も騎士団の事情を知る者である。それ故にその発言の信憑性は高い。自分たちの旗色が悪いのはマシューたちも感じていた。だが自分の記憶に嘘はつけないのだ。せめてその記憶に納得のいく説明が欲しいのである。
「……済まない。ニコラやエルヴィスを疑っているんじゃないんだ。ただ、……俺の記憶の中の父さんはとても勇者とは思えない人なんだ。病気でずっと寝て過ごすような人だった父さんが勇者だったとは、……とても信じられないんだよ」
そう言いながらマシューは肩を落としていた。自分の記憶が疑えない故に他人を疑うことになることに後ろめたさを感じているのだ。マシューのその感情が伝わったのだろうか。ニコラは少し考え込んだ後、目をキラリと光らせた。
「……なるほど、つまり君の記憶の中の父と時の勇者であったという父が結びつかない訳だな」
「……ああ」
「記憶の中の父と同じであることは証明出来ないが、マシューの父が勇者だということの証明は可能だよ。……さ、地下室へ案内してくれ」