第11話 脱出の手段
読んでくださりありがとうございます。脱出の手段は持っておくべきです。
「……それは?」
「【転移】の魔水晶だ。これに魔力を流すことで相互に転移し合うことが出来る。これをこの家に置いておけばいつでもここに転移することが出来る。ひとまず緊急の脱出手段としては問題無いだろう」
そう言ってニコラは左手にある魔水晶をテーブルの上に置いた。【転移】の魔水晶を見るのは久しぶりである。今回は裏の世界へ転移する必要が無い故に魔水晶の色が青いのだろう。
「……だがこれが使えるのは一度きりだろう。出来れば使いたくは無い」
「使用に制限でもあるのか?」
「いや、違う。魔水晶自体には特に回数制限は無い。ただ、【転移】を使って脱出したならばそのことはきっとバレるだろうし最悪この拠点の位置がバレる可能性だってある。無闇に使うのはリスクが高い。それ故に一度きりなんだ」
なるほど、確かにニコラの言う通りである。【転移】を使えば例え窮地に陥ったとしても簡単に脱出出来るが、その手軽さ故にすぐに思いつく手段でもあるのだ。そして転移先はここマシューたちの秘密の拠点であり、転移先がバレてしまえば自ずと拠点もバレてしまうのだ。
「それを踏まえて、マシュー。天空の竜笛をどこに探しに行くかを君が決めてくれ」
ニコラはまっすぐマシューを見ていた。その目はマシューに任せきった目であり、マシューがどんな決断をしてもニコラは従ってくれるように思われた。だからと言って簡単に決断はしない。じっくりと考えマシューはついに決断を下した。
「……書庫だな」
「決まりだな。それでは天空の竜笛を探すため書庫へ向かうとして、細かい段取りを決めておこう」
そこから先は話が早かった。隊列や閉架スペースへ入るための手順など事前に決めておける内容を全員で話し合って決めたのである。そして行動はなるべく早い方が良いとして、すぐに出発することに決まったのだ。
「……そうか、あんたたちはもう行ってしまうのか。何だか寂しいな」
話し合いの様子をずっと眺めていたバーナードはそう言って肩を落とした。ニコラはそのまま同行するが人数があまり多いのは機動力に欠ける故に、バーナードやデービッドたちはもちろんポールやエリックも同行しない。従ってバーナードたちとはしばしのお別れとなるのだ。
「残念だけどゆっくりもしてられないからね。大丈夫また会えるさ」
「……ちなみに聞くが、目的のものが手に入ればまたここへ戻ってくるのか?」
「いや、多分戻ってこない。帝都にずっといるのは危険だから天空の竜笛が手に入ればすぐに帝都を出ることになると思うよ」
「……そうか。なら俺たちは【転移】とやらが発動しないことを祈っておけば良いんだな?」
「そうだな」
「よし、分かった。……危険が無くなって、また帝都に来ることがあれば今度はこの家じゃなくて緋熊亭で待っていることにするよ」
「……そうだな。緋熊亭でまた会えるのを楽しみにしておくよ」
そう言って2人は微笑みあった。帰りを待っている人がいることはなんと幸せなことだろうか。それほど帝都で過ごした時間は長くはない。だがそれでもマシューたちにはこうした縁が生まれていたのだ。それを嬉しく思いながらマシューは笑ってデービッドの家から出発した。そして他の4人もマシューの後を追って出発したのである。
「(……書庫へは先程決めた道順で向かう。見つかる可能性を少しでも低くするために移動は迅速かつ静かに行う。そのことを頭に入れておいてくれ)」
ニコラの小声のその指示に4人とも無言で頷いて応えた。エレナは慣れないフルフェイスの兜に少し呼吸がしにくそうである。被っている兜は4人とも顔が割れてしまっている故に混乱にならないようニコラが用意してくれたものである。これがあればすぐにマシューたちとバレることは無いだろう。
とは言え油断は禁物である。先程まで笑顔だったのが嘘のようにマシューたちは緊張で表情を硬くしながら書庫への道を急いだ。
エリックから提供された警護の配置の情報はかなり正確らしく全員見つかることなく書庫の前までたどり着くことが出来た。だが安心は出来ない。書庫の中にも警護の聖騎士はいるだろうし、閉架スペースに入る手続きに手間取る可能性もあるのだ。
「(……よし、それでは書庫の閉架スペースへ入るための手続きをしてくる。君たちは黙って数歩後ろで待機していてくれたまえ)」
書庫の閉架スペースへ入るには受付に手続きをしておく必要がある。もちろんその手続きはニコラが請け負う。深緑の騎士団長であるニコラなら問題なく手続きは受理されるだろう。……そう思ってはいても少し落ち着かない。フルフェイスの4人は書庫にいるには少し珍しく異質な存在感を放っていた。
やがて無事に手続きを終えたらしく鍵らしきものを持ったニコラがこちらへ戻ってきたのだ。マシューたちが一歩も動かないのも不自然なので歩み寄る形で5人は合流したのである。
「……閲覧時間はそう長くない。さっさと要件を済ませるぞ」
ニコラの口調は普段と違い感情があまり感じられない無機質なものであった。それは怒っているという訳ではなく、一緒に閲覧する流れを作るために部下と接するように演技しているのである。これは先程決めた段取りのうちの一つである。
閉架スペースへ向かう前にマシューはふと受付の女性の様子が気になったのである。以前書庫に来た時の受付の人と同じ人のように思うが、記憶ではもっと血色の良かったはずである。
と言ってもその差は誤差程度であり特に気にする必要も無いだろう。そう判断したマシューは先に行く4人の後を慌てて追いかけた。