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短編(日常・恋愛)

地面の下に住むダックスフンド

作者: 鞠目

 犬がいた。小さな一軒家が立ち並ぶ閑静な住宅街。夜道を一人で歩いていると犬がいた。たぶんダックスフンドだと思う。

 ダックスフンドだと言い切れない理由。それはダックスフンドの影しかないからだ。ダックスフンドの形をした影だけが道のど真ん中にいた。

 最初は誰かが水でダックスフンドの絵を描いたのかと思った。千葉にある夢の国ではキャストと呼ばれるスタッフさんがほうきで地面にお絵描きしてくれるらしい。それと似たようなものかなあと思った。

 しかし、どうやらそうではないみたい。だって尻尾を振っているから。


「今までご苦労様。早く新しい仕事が見つかるといいね」

 入って3ヶ月だった。大学を卒業して入社した地元の小さな住宅メーカーをクビになった。理由は業績不振だそうだ。訳もわからぬまま流れに流され、気がつけば私は無職になった。

 普通に考えてありえないことだと思う。でも私は直接文句を言う勇気も、誰かに助けを求める勇気もなかった。どうすればいいのかわからないまま最終出勤日である今日を迎えてしまった。

 会社で借りた備品や保険証を返し、簡単に挨拶を済ませて会社を出た。会社を出たのはお昼前だったと思う。それから家の近くまで帰ってきたものの帰る気になれなくてあてもなくふらふら歩いていた。そうしたらいつの間にか夕方になっていた。

 真っ赤な夕日が眩しくて思わず涙が出た。道路には私しかおらず、夕日は容赦なく私を照らす。周りに大きな建物がないので真っ赤な空がよく見える。

 きっとこの夕日を見ているのは私だけじゃないだろう。でも、今こんなにどうしたらいいのか分からず彷徨(さまよ)っているのは私だけなんだろうな。そう思うと涙が止まらなくなった。

 幸いなことに日がすっかり暮れるまで誰ともすれ違わなかった。周りが暗くなる頃には私の涙は枯れ、少しだけすっきりしていた。それでそろそろ帰ろうかと思った時に犬がいた。


 私の進行方向にいる犬。立ち止まり見ていると犬が私の方を見ながらゆっくりと歩き出した。犬との距離が10メートルほど離れた時に犬が立ち止まり私に向かって一回吠えた。鳴き声は犬のそれと同じだった。

 着いてこいって言ってるのかもしれない。私が犬に向かって歩き出すと犬は満足そうに再び歩き始めた。時々振り向いて私がいることを確認しながら歩く犬を見ているとなんだか一緒にお散歩をしているような気持ちになってきた。

 地面の中の犬。この子は一体なんなんだろう? かわいいけれど不思議な犬だ。


 しばらく犬について行くと小さな喫茶店にたどり着いた。初めてくる場所だ。木造二階建ての小さな喫茶店。中から何かいい匂いがする。

 気がつけば犬はいなくなっていた。どこに行ったんだろう。少し悩んだけれどせっかくなので喫茶店に入ってみることにした。

「いらっしゃいませ」

 中に入るとクマがいた。茶色い大きなクマだ。黒いタキシードを着たクマはのそのそと出てくると私をカウンターの席に案内してくれた。

 店内はそれほど広くない。10畳ぐらいだろうか。白い壁紙が綺麗な内装で、お客さんは私の他にドーベルマンが一頭カウンターの席に座っているだけだった。ドーベルマンの前には白いマグカップが置いてある。マグカップの中身はコーヒーのようだ。

「何になさいますか?」

 カウンター越しにクマが聞いてきた。茶色いからヒグマなのかな。黒縁メガネがよく似合っている。

「えっと、じゃあホットコーヒーで」

「かしこまりました」

 クマはそう言って店の奥に消えた。どんなコーヒーが出てくるのかな。ちょっとわくわくしてきた。


「こんばんは」

 突然声をかけられた。横を見るとドーベルマンがこちらを見ている。

「こ、こんばんは」

「ここのコーヒーはとても美味しいんですよ」

 ドーベルマンが優しい顔で教えてくれた。ドーベルマンって話せるんだ。初めて知った。いや、それを言うならクマもか。

「そうなんですね。ここは初めて来たのでまだ勝手がわからなくて」

「すぐに慣れますよ。きっとこれから何度も来ることになるでしょうから」

 ドーベルマンはそう言って右の前足でマグカップを持つと美味しそうにコーヒーを飲んだ。私は咄嗟に何を言われたのかがわからなかった。

「え?」

「さっきダックスフンドの影に案内されたでしょう? 彼はとってもいいやつなんですよ。もしよかったら仲良くしてやってください」

「あの、どうしてダックスフンドの影のことを知ってるんですか?」

 私はドーベルマンが言うことが理解できなかった。いや、わかるけれどわからないというか、頭の処理が追いつかない。

「彼はこの世の全てを知ってるんですよ」

 声がして前を見るとクマがいた。ことり、と小さな音を立ててマグカップが私の前に置かれた。とってもいい香りがする。

「理由はわかりませんが、彼はそういう存在なんです。過去のことも未来のことも、この世のこともあの世のことも。彼は全てを知っているんです」

 クマはそう言って私に微笑みかけた。冗談を言っているような、そうでないような。私にはどちらかわからなかった。

「冷めないうちにどうぞ」

 そう言ってクマは店の奥に消えていった。


 コーヒーはとても美味しかった。ブラックでこんなに飲みやすいコーヒーは初めてだ。苦いのに嫌な感じがなく飲みやすいコーヒー。とっても美味しい。

「クマさんがいれるコーヒーはとっても美味しいでしょう? 特に心が疲れている時は染みるんですよね」

「はい、そうですね。なんだかじんわり染み込んできます」

 私は自然とドーベルマンと話していた。

「またここに飲みに来たいんですけど来れますかね? 私、今日自分がどの道を通ってここに来たのかわからなくて」

 私は気になって聞いてみた。住所を調べたら分かるかもしれない。でもここは検索しても見つからないような、そんな気がした。

「ええ、大丈夫です。あなたがここに来たいなと思った時にあのダックスフンドがあなたに会いに行くはずです」

 ドーベルマンがふふふと優しく笑う。

「彼は一体なんなんです?」

「彼は地面の中に住んでいるダックスフンドです。落ち込んでいたあなたを見て心配になったようですよ」

 彼はとっても優しいんです。そう言いながらドーベルマンはまた美味しそうにコーヒーを飲んだ。器用に右の前足でマグカップを持って。


 私はゆっくりコーヒーをいただいた。本当に美味しくて絶対にまた来ようと思った。コーヒーのおかわりをしているドーベルマンにお礼を言い、お会計をして私は喫茶店を出た。

 さて、どうやって帰ろう。帰り道がわからずスマートフォンで調べようとしたら圏外だった。店に戻ってクマかドーベルマンに教えてもらおうと思った時、下から犬の鳴き声が聞こえた。地面を見るとダックスフンドがいた。正確にはダックスフンドの影が。

「帰り道を教えてくれるの?」

 思い切って聞いてみた。するとダックスフンドはこくんと一度うなずいた。

「ありがとう。お願いします」

 私がそう言うとダックスフンドはとことこと歩きはじめた。

 ダックスフンドと歩いて15分ほどした頃、気がつけば私は家の前にいた。不思議なことにどこをどう通ってきたのかよくわからない。

「ありがとう、素敵なお店に連れて行ってくれて。それから家まで送ってくれて」

 私がお礼を言うとダックスフンドは嬉しそうにゆったり尻尾を振った。撫でてやりたいなと思ったけれど影だから撫で方がわからない。どうやったらいいんだろう。

「また、会えるかな? よかったらお友だちになってくれませんか?」

 普段自分からそんなお願いをしたことはないけれど勇気を出してみた。するとダックスフンドは私の足元に駆け寄り尻尾を振ってくれた。どうやら友だちなってくれるみたいだ。

「ありがとう。じゃあこれからもよろしくね」

 私がそう言うとダックスフンドは嬉しそうに一度吠えるとすっと姿を消した。


 私は今日仕事を失い心が折れていた。まだこれからのことは何も決まってないし、不安なことだらけだ。明日からたくさんやることがある。

 でも、不思議な喫茶店での出会いと新しい友だちのおかげで心が軽くなった気がする。

「私、頑張れるよね?」

 家に入る前、少しだけまだ自信がなくて思わず独り言がこぼれた。すると背中からダックスフンドの元気な声が聞こえた。

 後ろを見たけどダックスフンドはいなかった。でもさっきのは絶対気のせいじゃないと思う。

「ありがとう」

 私はそう言って家に帰った。

 大丈夫。私は明日から頑張れる。


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[良い点] ∀・)とてもハートフルな世界のおはなしでしたね。何もかもに絶望した末に彼がみてしまった幻影なのか、彼が彼自身を励まそうと思って作った虚像なのか、真実はいくらでも想像できますね。でも、そんな…
[一言] 動物が人間と同じように生活している世界観っていいですよね。 ある意味、異世界みたいな。 くまさんが淹れたコーヒーをドーベルマンと一緒に飲みたいです(>ω<) ダックスフントに付いて行ったら…
[良い点] ホラーだと思ったらメッチャ癒されました!
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